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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
4章 さよなら、さよなら、たくさんのさよなら
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温かいスープ

 どうやらイザークなる男は己の力量に相当な自信があるらしく、ピーノとエリオが露わにした殺気をまともに受けても動じた様子がない。

 それどころか「ほう」と漏らして余裕の笑みさえ浮かべていた。


「どんな修練を積んだのかはわからんが小僧ども、並大抵の強さではないな。久々に身震いするよ。今の俺ではおそらく敵わんだろう」


 だが彼の発言と行動はまるで一致しておらず、馬から下りて悠然と歩み寄ってくる。意図を掴みづらいイザークの振る舞いに、ピーノたちもうかつに手を出せず成り行きを注視する他なかった。

 仕掛ける間合いとしてはわずかに遠い、ぎりぎりの場所でイザークが立ち止まった。


「とはいえ、手合わせを望むなら別に構いはしないが……その前に一つだけ訊ねさせてもらおう」


 ピーノたちからの反応を待つことなく、彼は質問の先を続ける。


「おまえたち、随分と疲れた顔をしているが、ちゃんと食事をとっているのか? 旅の基本は食事だぞ。腹さえ膨れてりゃ、後は案外どうにかなるもんだ」


 あまりに予想外な問いかけにピーノもエリオも面食らってしまう。

 そんな二人の腕を後ろから握る者があった。ハナだ。

 エリオの右腕とピーノの左腕をつかんだまま、彼女はぎこちなく言った。


「おなか、すいてる。あたしも、エリオも、ピーノも」


「ハナ!」


 エリオとピーノが振り向いて同時に叫んだ。

 なぜ勝手なことを、というやや非難めいた言葉が喉元まで出かかるも、どうにかピーノは飲み込んだ。

 今にも泣きだしそうな、悲痛な表情をした彼女にどうしてそのような無神経なことが言えるだろうか。何も言えるはずがなかった。きっとエリオも同じ気持ちだっただろう。


《あの人たちから悪いものは感じない。だからお願い、二人とも》


 彼女はたぶん、沈鬱な空気に支配された現状を変えようとしてくれたのだ。特にかつての仲間を手にかけたエリオの心情を慮って。

 すぐさまイザークが後続の連中へと怒鳴る。


「おうい、止まれ!」


 総勢四台の荷馬車にそれぞれ御者と交代要員が一人ずつ、イザークからの号令を受けた彼らは砂埃を巻き上げながら停車させる。

 愛馬のたてがみを撫でつつ、部下に対して再びイザークが声を張った。


「朝食のスープの残りがあっただろう。あれを火にかけてやれ」


「え、でも昼食にするつもりだったんじゃ」と答えたのは、一行の中で最も若そうな青年だった。


「予定変更だ、ぐずぐずするな。この小僧っ子どもが腹を空かせてる」


「──了解!」


 ピーノたちの顔をちらりと眺めた青年が、自身の腕をぽん、と叩いて応える。任せろ、という彼なりの意思表示なのだろうか。


「というわけだ、しばらく待て。さっきの手合わせ云々の話は、おまえらにうちの自慢のスープを飲ませてやってからだ」


 旨いぞお、とイザークが豪快に笑っていた。


 予期せぬ休憩のはずだが、荷馬車から下りた男たちは気にした風もなく談笑したり伸びをしたり、こういった場合の過ごし方を心得ているようだ。

 男たち全員が鍛え上げられているのも何気ない動作ですぐにわかる。足の運び方然り、位置取りや目配せの仕方然り。敵に回すと厄介な集団だ、とピーノは内心で唸ってしまう。

 中でも彼らを束ねるイザークともう一人、白髪交じりの年嵩の男は別格といっていい存在感を放っていた。

 ピーノたちへ近づいてきた男が「そこの娘よ」とハナを指差す。


「おまえさん、足を挫いてるな。すぐにこれを塗れ」


 そう言って懐から、小さな器に入っている茶色の軟膏を取りだした。


「乾かした雨取草をすり潰した薬だ。しばらくすりゃ腫れも痛みもましになるだろう。こいつがないと旅は始められねえってくらいの優れものよ」


「さすがにディー、よく気がつく」


 傍らではイザークが何度も頷いて感心している。

 だがディーと呼ばれた白髪交じりの男は少し顔をしかめてしまう。


「イザークよ、おまえがその呼び方を通すから──」


 彼がしゃべり終えないうちに、スープを担当している青年から「ディーさあん、仕上げの香草ってどれでしたっけー?」と声がかかった。

 ほらな、と肩を竦めながら「茎が細くて硬いのを使え!」と叫び返す。


「本来はディーデリックという名前なんだが、それほど長いわけでもないのにどいつもこいつも縮めて呼びやがる。ま、もう慣れたけどな」


「そういうことだ。おまえらも気軽にディーと呼んでくれていい」


 渋い表情のディーに陽気なイザーク。二人の口振りからは長年の付き合いであるのは容易に見て取れた。

 雨取草の軟膏をおずおずと受け取ったハナが、しかし慣れた様子で右足首へと塗りこんでいく。旅慣れた〈シヤマの民〉である彼女のことだ、きっとこの薬の存在も知っていたのだろう。

 自分たちが無知であったために長旅への備えが足りていなかったのを、今さらながらにピーノは申し訳なく思う。


 そんな彼らのところへ、先ほどの青年が「できたぞお」と木でできた三つの器をまとめて運んできた。器からは湯気が立っており、それだけでもう美味しそうに見えてしまう。

 スープには一口大に切られたいろいろな野菜が具材として使われているようだった。ピーノは途端に空腹が耐え難いもののように感じられてくる。


「さあ、遠慮なく食べてくれ」


 その言葉を合図のようにして、ピーノたちは行儀を忘れて目の前のスープをむさぼり食べて、飲み干した。

 満足感とともに一息ついて我に返ったとき、イザークとディーが目を細めてこちらを眺めているのに気づく。父や祖父に似た目だ、とピーノは思った。

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