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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
4章 さよなら、さよなら、たくさんのさよなら
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夜に浮かび上がる小さな灯

 ピーノたち三人は十六日間を費やして山岳地帯を抜けた。

 ただしまだ一つめの山脈を越えたに過ぎない。しばらく平地を進めば、より峻険なドミテロ山脈が待ち受けている。故郷へ帰りつくためにはその奥深くへと向かっていかなければならなかった。


 遅々とした歩みにピーノは幾分かの焦りを感じていた。亡きノルベルトと行動を共にしていた以前の旅では、すべての道程を二十日間で踏破しているのだ。

 ルカとの一件以降、ウルス帝国の手の者とはまったく遭遇していない。その点だけが救いと言えるだろう。

 彼らはすでに憔悴しきっていた。全員の表情に疲労が色濃く浮かんでいる。牢獄に囚われていたハナはもちろん、体力自慢のピーノとエリオでさえ道中に軽口を叩く余裕の一切を失って久しい。

 それほどまでにルカの死が彼らの心に大きく影を落としていた。


 得てして悪いことは重なるものである。森の中での告白以降はお荷物扱いを嫌って、自らの足で必死についてきていたハナだったが、もうすぐ山岳地帯の下りも終わるというところで足を挫いてしまった。

 飲み水として山中の沢から汲んできていた水を使い、すぐに患部を冷やしたものの、彼女に無理はさせられない。下山したら日が暮れる前に早めの休息をとろう、とエリオとピーノの間で話はまとまった。


 その夜のことだ。火を焚き、少ないながらも焼いた川魚を分け合って食べ終えた彼らは、見張りを一人残して眠りについた。見張りはいつもピーノとエリオが交互に務める。旅の当初はハナもやるといって聞かなかったが、不測の事態に備えるにはさすがに心許ない。ちゃんと寝て体力を回復してくれた方が助かる、と二人がかりで説得し納得してもらったのだ。

 見張り当番であるピーノは膝を抱えて座った姿勢で、夜の闇の中でじっと炎の揺らめく様を眺めていた。時折、焚き火が不規則に爆ぜる。薪の弾ける音が止むと、辺りには再び静寂が戻ってくる。その繰り返しだった。


「なあ、ピーノ」


 まだ眠っていなかったエリオから声がかけられる。

 どうしたの、とハナを起こさないように気をつけながら返事をした。


「おまえさ、ベルモンド少将の邸宅へ乗り込んだときのこと、覚えてるか?」


「もちろん」


 彼ら二人がニコラ率いる〈名無しの部隊〉として従事した、唯一の任務だ。忘れようったって忘れられるものではない。


「それがどうしたの?」


 少し間が空き、寝転んだまま顔だけをピーノへ向けてエリオが話しだす。


「門のところに警備の兵士が二人いただろ。ナイフに塗っていたルカの毒によって仕留められたやつらだよ」


 その二人のことなら当然記憶に残っている。だが、いったいエリオは何を言おうとしているのだろうか。

 ピーノからの相槌を待つことなく彼が先を続けた。


「あのとき、やつらは尋常じゃない苦しみ方をして死んでいったよな。喉を掻きむしり、のたうち回り、口から泡まで噴いてさ。なのに何で、ルカだけは毒でそうならなかったんだろうな。そんな疑問があれからずっと頭を離れてくれないんだよ」


 思わずピーノは言葉に詰まってしまった。

 ルカの死は、彼自身が望んだ結果なのではないかという疑念は、ピーノの中で日々大きく膨らんでいた。もはや確信に近いと言ってもいい。

 実際には塗られていなかった毒をいわば囮のようにして使い、自らを死に至らしめるほどのエリオの怒りを引き出す。穿ちすぎな見方だとは到底思えなかった。


 エリオに対してただ激しい憎悪を抱いていただけならば、弱っているハナを狙うことで一矢報いようと目論んだりもするだろう。

 けれどもその場合、毒を使用しなかった理由を説明できない。加えて、ピーノにはどうしてもルカらしからぬ行動だと映ってしまう。なぜならルカは、エリオへの対抗心を剝き出しにしながらも彼の強さと人間性とを認めていたからだ。


 それだけでなく、最期に見せた穏やかな顔も強く印象に残っている。あれは目的を果たせなかった人間が浮かべる表情ではないはずだ。

 何も答えられないでいるピーノに、エリオが軽く手を振ってきた。


「いや、いい。今のは忘れてくれ」


 半ば強引に会話を打ち切り、彼が寝返りを打つ。

 ぱちり、とまた薪の爆ぜる音がした。


       ◇


 翌朝、一行は朝食もとらずに歩みを再開する。持参した食料などとっくに底をついているため、その場その場で補充していくしかない。

 昨夜の出来事など何も存在していないかのように、ピーノもエリオも口を閉ざしたままであった。足を痛めているハナを交代で背負い、先を急ぐ。

 そんな重苦しい空気の折、彼女が声を上げた。


《見て。あそこに砂埃が舞っている。おそらく集団で人がいるよ》


 ピーノの背中の上でハナはかなり前方を指差している。

 いつもなら目の良さを活かして真っ先に気づくはずのピーノだが、このときばかりは彼女から指摘されるまでわからなかった。随分と意識が散漫になっているな、と彼は自分を戒める。

 次第に砂塵が近づいてきた。荷馬車らしき車輪の音も何台分か重なって聞こえてくる。どうやら家財道具を積み込んで移動している最中らしい。


《戦闘の可能性はなさそうだが、とりあえずハナはおれたちの後ろに隠れてろ。しばらく様子を見てやり過ごす》


 エリオの指示通り、おとなしくピーノの背から下りた彼女とともに道の脇へと身を寄せた。息を潜めて三人は集団が通過するのを待つ。

 集団の先頭には馬に乗った体格のいい男がいた。肩にかかるほどの黒々とした長い髪、遠目からでもわかるほど筋骨隆々の肉体。間違いなく只者ではない。

 その男が単騎、明らかにピーノたちを目掛けて駆け寄ってくる。

 一気に緊張の度合いを高めたピーノとエリオとは対照的に、少し距離をあけて止まった男は気安い調子で話しかけてきた。


「おうい、小僧ども。おまえらはこのあたりの育ちか?」


 無言でエリオが首を横に振る。

 そうか、とあからさまなほどにがっかりした男は聞いてもいない愚痴をこぼし始めた。


「乾燥がちな気候のせいだろうが、この辺の道はろくなもんじゃねえな、まったく。すぐに砂埃が舞い上がって煙たいったらありゃしねえ。多少遠回りでも他の道を知っていればと思ったんだが……」


 自らに言い聞かせるように「仕方ない」と男は頷いた。

 すこぶる壮健であっても年齢としては老境に差しかかっているのだろう、彼の眉間や目尻には深い皺が刻まれていた。


「それはともかくとして、小僧ども。地元の人間じゃないおまえらがどういうわけでこんな辺鄙な場所にいるんだ? しかも後ろの嬢ちゃんは〈シヤマの民〉の娘だな。ふむ、なかなかに興味深い組み合わせだ」


 男の口から出た〈シヤマの民〉を耳にするや、迷わずピーノは短剣を抜いた。エリオもいつでも戦闘行動へ移れる体勢をとる。

 低くかすれた声でエリオが男へ問う。


「──あんた、何者だ」


「俺か? 俺の名前はイザーク・デ・フレイ、しがない商人さ。ご覧の通り、人様の荷物を預かって無事に送り届けることを生業としている」


 親指で後方の一団を指し示しながら、男は相変わらずの鷹揚さでイザークと名乗った。

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