もう一人の追っ手
ハナの手を引いたエリオはためらうことなく歩きだした。
そんな彼を、もう三人の少女たちも止めようとはしない。
ピーノにとってもいよいよ別れの時であった。ちゃんと最後の挨拶をすませることができただけ、まだよかったのだと考えるべきなのだろうか。
「みんな、元気でね」
エリオとハナの背中を視界の隅に捉えながら、いくつもの荷を両手いっぱいに持つ。そのせいで去り際に手さえ振ってあげられないのを、ピーノはひどく残念に思った。
この瞬間まで仲間でいることを選んでくれた少女たちの反応は三者三様だ。
「あんたたちこそ、死ぬんじゃないよ」
最年長というわけでもないのに、いつでも冷静で頼りになる性格だったため誰からも姉貴分のように慕われていたユーディット。
「どこにでも行ってしまいなさい、ばか」
まるで幼い子供のように拗ねているセレーネ。気丈であることを貫いてきた彼女のこんな姿を目にするのは初めてだった。
「またね、ピーノ」
そして、やはりトスカだけは再会を信じて疑わない。彼女の優しい眼差しの奥には、他人には容易にうかがい知れないほどの強い意志が息づいているのだろう。
ピーノと少女たちがすれ違う。
さよなら、という互いの言葉だけが寂しく宙を漂い、やがて消えていった。
◇
名残惜しさを振り払い、ピーノは先行していたエリオたちとすぐに合流した。
エリオは確認するように一瞥しただけだったし、ピーノも無言のままだ。
歩くように走る、あるいは走るように歩く。さすがにハナを連れて早駆けとはいかず、中途半端な速さでの移動がしばらく続いた。
それでもトスカたちと別れて以降、帝国軍の兵士とまったく遭遇していない。ハナが語ってくれた話によれば、皇帝ランフランコ二世は見初めた花嫁候補を奪われてしまったことになる。しかも信頼を寄せるニコラの部下によってだ。ウルス帝国皇帝の威信にかけて必死に奪還を試みてくると想定していただけに、ピーノとしても肩透かしであるのは否めなかった。
これはいったいどういう事情によるものか。己にそう問うてみて、「大同盟側との戦争で疲弊する軍にはもはや余計な兵力を割く余裕がない」からではないか、とピーノは推測する。
ただ、軍が総力を挙げて追っ手を差し向けてきたとしても、いたずらに死体の山を増やすだけである。特に今のエリオならば一切の温情をかけないだろう。
他にもいくつかの状況は考えられよう。逃亡するピーノたちとの実力差を熟知しているニコラが、皇帝をどうにか押しとどめているのかもしれないし、もしかしたら皇帝自身がハナへの興味を早くも失っているのかもしれない。物珍しさだけで褐色の娘を我が物にしようとしたのであれば、それだってありえない話ではないはずだ。
街道から付かず離れず、ピーノたち三人は先を急ぐ。
ある程度は落ち着きを取り戻した様子のハナが、久しぶりに口を開いた。
《ねえ、二人とも。本当にあれでよかったの?》
彼女の言いたいことはわかる。先ほどのトスカたちとの件だ。
抑揚のない声でエリオが答えた。
《いいも悪いもないさ。あいつらとおれたちはすでに道を違えた、ただそれだけのことだから》
ピーノにはまだそこまで割り切れはしない。とはいえ、優先順位を間違えるつもりもなかった。ハナを助ける、そのことに対する迷いなどただの一欠片さえ存在する余地はないのだ。
気づけば新都ネラからは随分と離れた。樹木の数は減り、道も徐々に上り坂へと変わってきている。そろそろ行く手に山岳地帯が姿を現す頃合いだろう。見方によっては、ここからの山越えの方が戦闘よりもよほど厳しい。
だが山道へと差しかかる手前の岩場で、最後の追っ手が待ち受けていた。
巨石に腰掛けたまま、右手と左手で弄ぶようにナイフの柄を持ち替えながら彼は言う。
「よう、遅かったじゃねえか。もしかしたら情にほだされて戻っちまったんじゃねえかってどきどきしてたぜ」
そこにいたのはルカ・パルミエリであった。
ちっ、と舌打ちしたエリオに構わず、ルカは緊迫した場にそぐわない間延びした声で話しかけてきた。
「おまえら会ってたんだろ、ユーディットたちによ。あの女どもに上手く泣き落としでもされて、まんまと嵌まっちまったんじゃせっかくの機会が台無しになるって心配してたんだぜ?」
反逆者の首をとる絶好の機会がよ、とルカは薄笑いを浮かべている。
巨石から飛び降り、彼は三人の前に立ちはだかった。
それを見たエリオがハナをかばうように位置を変える。
「ルカ、一度しか言わねえからよく聞け。今はおまえの悪ふざけなんかに付き合っている暇はない。おとなしく退け」
エリオの警告をまともに聞き入れることなく、さも愉快な出来事を楽しんでいるかのような調子でルカが大きく両手を広げて訊ねてきた。
「なあ、退かなけりゃどうするんだ?」
「おれを怒らせるな。でないと──」
「でないと?」
殺す、とエリオは即座に言い切った。




