暗い森を抜けて
ピーノたちは暗い森を抜けようとしていた。
ハナから〈シヤマの民〉を襲った理不尽な悲劇について聞かされて以降、何か話そうにも上手く言葉が出てきてくれない。喉で留まってしまうのだ。あの優しかった長老ユエや族長モズを始めとする愉快な人たちが、たった一人の気まぐれであっけなく皆殺しにされてしまうなんて。
エリオも同様だった。というより、ハナの手を引く彼の顔つきはこれまでずっと一緒に育ってきたピーノでさえ目にしたことがないほど、怒りに満ち満ちたものだった。
ハナは言わずもがなだ。きっとこれからも、彼女がすべてを失った絶望を忘れられる日はやってこないだろう。
それでも森を抜ければ、とピーノは心の片隅で期待していた。陽光の下であれば少しは気も紛れるはずだ、と。
ようやく森の樹々が途切れだし、帝国から外へと繋がっている街道も視界へと入ってきた。逸る気持ちを抑えきれずに開けた場所へと足を踏みだして数瞬後、先頭を行くピーノの足元へ二本の矢が突き刺さる。続いてやってきたエリオとハナの足元にも、まるで測ったかのような精確さで二本ずつ。
当てるつもりのない六本の矢、明らかにこれは牽制だった。
こんな芸当ができる人間をピーノは寡聞にして一人しか知らない。
目を凝らして周囲を探ると、相当に離れた小高い丘の上で愛用の弓をつがえた彼女がいた。
「ユーディット!」
ピーノが叫ぶ。
その呼び声に応じるように彼女は弓を下ろし、代わりに甲高く指笛を吹いた。
まずい、とエリオが口走るももう遅い。後手に回った状況で、動きの鈍っているハナを連れて逃げるには相手が悪すぎる。
ユーディット以外の追っ手が誰なのかはすぐにわかった。指笛が辺りに鳴り響いてからほとんど時間を要さず、トスカとセレーネが駆けつけてきたのだ。
おそらくは三人で幅広く範囲を受け持ち、それぞれが斥候としての役割を果たしていたのだろう。どうやら森を抜けてくるのを読まれていたらしい。
彼女たち二人にユーディットも合流し、少し距離を置いて三人対三人で対峙する形となった。
いかにして活路を見出すべきか、沈黙とともにピーノは三人の少女たちを観察する。彼女たちと本気で戦闘行為に及ぶなどとは考えたくもなかった。
ただ、冷徹に彼我の戦力を分析してみても有利なのは彼女たちの側だ。特に近接戦闘に優れたセレーネと、遠距離射撃の得意なユーディットの組み合わせは厄介すぎる。ハナを護りながらの戦いを強いられるピーノたちにとって不利な条件が重なっていた。
そんな中、まず口火を切ったのはユーディットだった。
「最初にこれだけは言っておくよ。わたしたちにあんたらと戦う気はない。あくまで説得しに来たんだ。これはニコラ先生の方針でもある」
だからその殺気をしまいなよ、という彼女の言葉はピーノではなくエリオへと向けられていた。
安堵したピーノとは対照的に、エリオは臨戦態勢をまだ解いていない。
「本当だろうな」
疑わしげな目で三人の少女たちを順に見遣る。
「頼むから、おれの敵にはなってくれるなよ。たぶん容赦はできない」
間違いなく彼は本気でそう警告していた。
ハナへの感情が高ぶっているせいで、いつもの冷静さを欠いている。親友に対してそう判断せざるを得なかったピーノは「ぼくが話すよ」と前に進み出た。
「大丈夫、いざとなったらハナを連れて逃げてくれればいい。そのくらいの時間はぼくがどうにかするしさ」
エリオの怒気を少しでも和らげるべく、あえてピーノは軽やかに告げた。
「そんなおまえを見捨てるような真似、できるわけないだろうが」
苦虫を噛み潰したような表情でエリオが応じる。
そんな二人を見ていたユーディットだったが、腰に手をやって「ふう」とあきれ気味にため息をついた。
「あのね、話の腰を折るようで悪いんだけど。その子を護ってあげたいのなら、うちに連れ帰って匿ってあげればいい。別に逃げだす必要なんてないんじゃない? 皇帝の意向には背くだろうが、ニコラ先生ならあんたらのためにそのくらいの融通を利かせてくれるはずだよ。牢獄襲撃の件だってもみ消せるでしょ、あの人は」
彼女の左隣にいるセレーネとトスカの二人も大きく頷いている。
だがこれを聞いたエリオが「はっ」と嘲るように鼻で笑った。こんな彼を、本当に今までピーノは見たことがない。
「いい案だな、そいつは。ハナの父親を殺したのが当のニコラだってことを抜きにすればだけどな」
何を言っているのかは理解できるハナの顔が青ざめていた。
エリオからの皮肉交じりの返答に、ユーディットたちも言葉を失う。
きっとこの交渉は決裂で終わる。そのことを改めてピーノも認識するしかなかった。すでにお互いの立場や見ている先はまるで異なっているのだ。
リュシアンは正しかった。それでも、裏切り者にだって誠意はある。この場で彼女たちと戦うことだけは絶対に避けなければならない。
意を決して再び少女たちへと向き直ったピーノだったが、その目を真っ直ぐに見つめてくるトスカの視線の強さに少しだけたじろいでしまった。




