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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
4章 さよなら、さよなら、たくさんのさよなら
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あきらめの悪い少女たち

 時は前後する。

 新都ネラの外れにある〈名無しの部隊〉の寮では、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。少なくとも、このときのトスカにとってはそうであった。

 起床し手早く支度を済ませ、他の三人の少女たち──セレーネ、ヴィオレッタ、ユーディットだ──とともに階下の食堂へと向かう。


 けれども食堂内へ足を踏み入れた際、空気が少し違うのを感じ取った。上手く形容できないのだが、既に着席していた少年たちからどういうわけか、あきらめに似た重苦しい気配が漂っていたのだ。

 それは他の少女たちにも伝わったらしい。さっそくヴィオレッタが「おいおいおい」と彼らへ絡んでいく。


「朝っぱらから辛気臭いツラ並べてんじゃねえよ、おまえら。朝メシが不味くなっちまうだろうが」


 ずかずかと歩を進め、彼女は旧知の仲であるオスカルの隣に陣取った。


「おら、笑えよオスカル」


 いきなり彼の顔を両手でつかみ、強引に表情を変えようとしている。見慣れた二人のやり取りであった。

 普段なら軽く笑い声が起こる場面なのだが、それでも依然として少年たちの態度に変化は見られなかった。オスカルだけがしきりに周囲へ目線を送っている。

 ようやく、カロージェロがため息とともに「言うたらええ」と応じた。


「隠しとってもしょうがないじゃろ。どうせすぐにわかるんじゃ」


 そして彼は四人の少女たちへとぶっきらぼうに告げた。


「ゆうべ、エリオとピーノが出ていったらしい。もうここにはおらん」


 トスカには彼が何を言っているのか、まったく理解ができなかった。言葉の意味はつかめても、だ。

 傍らのセレーネもつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「ふん、いつもながら面白くも何ともない冗談ね」


 もっと気の利いたことが言えないのかしら、とカロージェロを煽る。

 しかし彼にはもうそれ以上会話を続けるつもりはなさそうだった。椅子へもたれかかって目を瞑り黙り込んでしまう。

 今度はユーディットがアマデオへと顔を向けるが、返ってきたのは恐ろしく長いため息だけだ。

 やれやれ、とばかりにヴィオレッタは大げさに肩を竦めてみせる。


「はは、わかってるって。おまえら全員であたしたちを担ごうとしてんだろ? で、隠れてたエリオとピーノがのこのこ出てきてさ、びっくりしたところを思いっきり腹抱えて笑うつもりなんだよな? ──なあ! そうなんだろ!」


 彼女が声を荒げても、少年たちは誰一人として陰鬱な空気を変えなかった。

 いつもの軽薄な調子ではなく、さも苛立たしげにフィリッポが言う。


「冗談でも何でもない、そのままカロージェロの言葉通りさ。彼ら二人はここから逃亡したんだ。実際にリュシアンが見送っているんだからね」


 彼の言葉を受けて、四人の少女たちの視線が一斉にリュシアンへと集まる。

「そうだ」とリュシアンはあっさりと認めてしまった。


「真夜中のことだ。静かに出て行こうとするエリオとピーノを呼び止めて、私は一人で彼らを見送ったよ」


 淡々とした態度を崩さず主観を交えず、彼は起こった出来事のみを語った。

 これに激高したのがセレーネだ。


「あなた、そのまま彼らを行かせたっていうの? ふざけないで!」


 力任せに食卓を叩き、リュシアンを糾弾する。

 それでもリュシアンは冷静な口調で切り返してきた。


「彼らの固い決意を覆すほどの理由など、私にはない。万難を排してここを去ると彼らが決心したのであれば、ただ尊重するまでのこと」


「リュシアン、あなたはそれでも同じ時間を過ごした仲間なの?」


 肩を震わせながらセレーネが歯噛みする。


「仲間であればこそだ」


 やり取りを重ねても二人の立場はまったく交わろうとしない。

 険悪な雰囲気が場を支配しつつある中、ようやく上官であるニコラ・スカリエが姿を現した。

 彼は一目で状況を察したらしい。というよりも予測していたのだろう。


「みんな、落ち着きなさい」


 静かな声音で話しだす。


「エリオとピーノのことだね。既にリュシアンから報告は受けているよ。彼ら二人がここから逃亡したのは事実だ。付け加えると二人はザニアーリ牢獄を襲撃し、友人を脱獄させてもいる。もちろん、そちらの件については君たちに累が及ばないよう尽力するさ」


 投獄された友人。そんな話なんてピーノから全然聞いていなかった、とトスカは目の前が真っ暗になったように感じた。結局彼はわたしを信頼してはくれなかったのか、と。

 だが続くセレーネの怒声で我に返った。


「報告は受けていた……? だったら何をのんびりしているんですか!」


 そうだ、彼女の言う通りだ。今ならばまだ間に合う。


「──追います」


 立ち上がってはっきりと告げるなり、ニコラの判断を待つことなくトスカは足早に食堂を後にした。

 命を懸ける覚悟なんてとうの昔に決めているのだ。

 どのような結末になるにせよ、まずは相当に先行しているであろうピーノたちへ追いつく必要がある。

 丈夫な編み上げ靴の爪先を床へとん、と軽く打ちつけた。心臓がわずかに早く脈打つのを感じながら、トスカは大きく息を吸った。


       ◇


「ちょっと、待ちなさいトスカ!」


 食堂からセレーネが怒鳴るも、どうやらその声は届いていないようだった。

 続けざまに彼女はニコラへと鋭い視線を向ける。


「私もトスカを、エリオとピーノを追います! 異論はありませんわね!」


 やや冷静さを欠いている様子がうかがえるセレーネに対し、ニコラは別の少女の名前を口にした。


「ユーディット・マイエ、君も同行しなさい」


「はい」と返事したユーディットは表情を変えずすぐに席を立つ。

 ニコラは小さく頷き、次にセレーネへと語りかけた。


「君には二つの条件を守ってもらうよ、セレーネ。一つは決してエリオとピーノの二人と刃を交えないこと。絶対に彼らと戦ってはいけない。あくまで言葉による説得に徹するんだ、いいね?」


「そんなこと、わざわざ言われるまでもありません! 彼らは仲間です! 仲間を傷つけたりなど私にはできません!」


 悲痛さを含んだ彼女の叫びに、食堂内の誰もが無言のままだった。何人かは唇を噛んで俯いている。

 そんな中、ニコラが再び口を開いた。


「もう一つ、その説得が失敗に終わったとユーディットが判断したなら撤退しなさい。もちろんトスカも連れてだ」


「なっ」


 二つめの条件にセレーネは動揺を隠せず、言葉に詰まってしまう。


「飲めないのであれば君をここから出すわけにはいかない。トスカも今すぐ連れ戻す」


「わかった、わかりました! おっしゃる通りでかまいません!」


 不承不承ではあるが、ニコラからの条件をセレーネも承諾した。

 これを見届けたユーディットが彼女へと近寄っていく。


「そうと決まればぐずぐずしてないでいくよ、セレーネ。まずトスカと合流して、そこから先の対応は走りながら考えよう」


「もう! だからわかってますってば!」


 貴族階級とも思えぬふくれっ面をしたセレーネが、落ち着き払ったユーディットとともに間もなく扉の外へと消えていった。

 釈明と根回しをしなければ、とニコラもそのまま退出する。


 残された八人の少年少女たちは一言も会話をせずに朝食を終えた。

 なし崩しにそれぞれ別行動となったため、もう一人いなくなったのにはしばらく誰も気づけなかった。

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