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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
4章 さよなら、さよなら、たくさんのさよなら
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そして彼女が語りだす

 難なく救出に成功したまではよかったのだが、ハナの衰弱ぶりは想像以上にひどいものだった。全身を使って躍動する彼女の舞踏を知るピーノたちにとって、逃げようとして足がもつれてしまう姿は痛ましいの一語に尽きる。

 聞けばこの七日間、彼女はほとんど何も口にしていなかったのだという。


 ピーノとエリオの当初の予定では、最短距離を突っ切って逃亡するつもりだった。新都ネラへの出入りを監視する見張り塔が邪魔ではあったものの、任務に当たっている兵士たちを素早く皆殺しにしてしまえば目撃者など存在しない。

 だが彼らは計画の変更を余儀なくされた。ハナが無理をさせられる状態にないというのももちろん大きな要因なのだが、もう一つ別の理由があった。

 それはハナの「怯え」だ。


 ザニアーリ牢獄から逃げだす際、ピーノとエリオは事前に打ち合わせていた通りの役割分担で彼女を獄中から連れ出した。ハナを護るのがエリオ、先頭を進んで道を切り開くのがピーノ。

 行く手を阻むものがあればこれを退け、ハナの無事を確保する。そのためにピーノはわずかな躊躇いもなく四人の看守たちを絶命させた。もし仮に、ピーノとエリオの役回りが逆だったとしても結果は同じだっただろう。

 しかしそんな光景を目の当たりにしたハナはひどく怯えてしまった。


《いやだ、いやだ、いやだ。怖い、怖い、怖い》


 歯をかちかちと鳴らしながらずっと呟き続け、エリオの服を握り締めて離れない。彼女は人の死に対して明らかに拒絶反応を示していた。

 エリオも必死に《大丈夫だ、あいつらはおまえの味方じゃないんだ》と言い聞かせているが、半ば取り乱しているようなハナへ届いているようには見えなかった。


 尋常ではないその様子に、ピーノはあっさりと最短距離での逃亡を捨てる。

 ザニアーリ牢獄を飛び出した際、エリオに向かって別の方角を指差したのだ。そちらにあるのは、かつて〈スカリエ学校〉の面々が皇帝ランフランコ二世と簡単な謁見をさせられた深い森だった。


「森を抜けよう。遠回りにはなるけど、追っ手には当分見つからない」


 ハナの精神が落ち着きを取り戻すまでの時間が欲しい。

 そう考えてのピーノの提案にエリオも大きく頷いた。


「だな」


 それから彼は「あいつらが追ってこないことを祈るとするか」と言う。

 つい先ほどまでともに過ごしていた仲間たち。最後に会ったリュシアンは二人の身勝手な選択を許容してくれていたようだが、他のみんなもそうとは限らない。部隊を率いるニコラへ追討命令が下される可能性だってある。

 一般兵たちならどれほど追ってこようと物の数ではないものの、かつての仲間たちが相手となると逃亡の難度は恐ろしく跳ね上がってしまう。


 こればかりはエリオの言う通り、祈るしか手はなさそうだった。

 では何に祈るのか。セス教徒でもなければタリヤナ教徒でもない彼らは、傍らにいるハナたち〈シヤマの民〉が信仰する大地そのものに手早く祈りを捧げた。


       ◇


「ほとんど日の光も射してこないね」


 全員分の荷物を持って先頭を行くピーノが、枝を広げた木々の葉によって覆われている空を見上げた。

 どうにか夜のうちに森へと侵入し、彼ら三人はひたすら進んでいた。

 特にエリオはしがみつくハナをおぶって走り続けており、体力もかなり消耗しているはずだ。おそらくすでに昼頃なのだろうが、森の中では時間の感覚が狂わされてしまう。ただ体は強烈に空腹を主張してくる。

 さらにしばらく先へ進むと、やたら大きな樹木の幹がうろとなっているのを見つけることができた。


「これは助かるぜ」


 そっとハナを地面に立たせ、エリオも一息ついた。

 三人がすっぽり収まってまだ少し余裕があるほど巨大な樹洞である。

 身を寄せ合うようにして腰を下ろしたピーノたちは、食料を荷物から取り出す。胃が弱っているであろうハナにはパンと果物を少しだけ渡した。


《よく噛んで食べろよ》


 エリオが彼女を気遣う。

 ハナも素直に従い、小さい欠片を口に含んでゆっくり咀嚼していく。

 彼らにとってまず第一の目的は、ウルス帝国軍の中核を成す直轄部隊の支配下地域から脱け出すことだ。これは時間との戦いと言い換えてもいい。

 なので現在の状況に対してはいくらか焦りもある。しかしピーノもエリオも、そんな心情はおくびにも出さない。どういう結果になろうとも、最後の最後までハナを護り抜く。自分たちにできるのはそれだけだと腹を決めていた。


《婆ちゃんたち、今頃どの辺にいるんだろうなあ》


 あっという間に食事を終えたエリオが独り言のように口にする。〈シヤマの民〉の長老であるユエのことだ。

 びくん、とわずかにハナの身体が跳ねた。

 目敏いピーノが《どうしたの?》と訊ねる。


 あまり考えたくない事態ではあったが、もしかしたらハナのみが囚われていたわけではないのかもしれない。〈シヤマの民〉そのものへ帝国の手が伸びていたのかもしれない。そんな疑念がピーノの頭をかすめる。ただ、ザニアーリ牢獄に他の〈シヤマの民〉たちが拘留されていなかったのは確かだ。

 葉擦れの音と、時折遠くから鳥の鳴き声が聞こえていた。

 しばらく無言の間があって、エリオが首を伸ばして外の様子を窺った。


《ゆっくりしたいところだが、そうもいかねえ。二人とも、そろそろ行こうか》


 固まってしまった空気を変えようとしての言葉なのはピーノにもすぐにわかった。まだ早かったか、と先走ってしまった己を責める。

 宮殿で何か重大な出来事があったにせよ、そのことはハナ自身の口から語られるのを待つしかない。急かすべきではないのだ。

 残っていた食べ物をすぐに喉へ押し込み、ピーノも出発の準備を整える。


 だがそんな二人を止めたのは他ならぬハナだった。

 ピーノとエリオ、それぞれの服の裾をつかんだ彼女が、か細い声で《待って》とお願いしてきたのだ。


《ほんの少し、ここであたしに時間をくれ》


 しんどくても吐き出さないと押し潰されてしまいそうなんだ、とハナは美しい顔を歪めて唇を噛んだ。その肩は小刻みに震えていた。

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