また会う日まで
咄嗟に短剣を抜いて身構えたピーノに対し、リュシアンは敵意がないことを示すように両腕を大きく横へ広げた。
「そう殺気立たないでくれ。別に君たちを止めようだなんて考えちゃいない。夜の散歩がてら見送りに来ただけだ」
旅立ちに誰もいないのは寂しいだろうから、と彼は言う。
完全に警戒を解きはしなかったが、ピーノも短剣を懐へ収めた。会話の成り行き次第ではいつでも抜くつもりで。
ピーノよりも大きな荷を背負ったエリオが首を傾げて訝しんだ。
「何でおまえ、おれたちが出て行くってわかった?」
確かにそうだ。仮に知る者がいたとしてもニコラくらいのはずである。
しかしリュシアンはこともなげに「情報さえあればそのくらいのことは推測できる」と言ってのけた。
「私はニコラから与えられる情報だけに頼ってはいない。宮廷や軍の動向を独自に探っているんだよ。集めた情報から類推しただけのことだ」
「じゃあリュシアン、きみは宮殿でいったい何が起こったのか知ってるの? 先生は教えてくれなかったんだ」
ピーノからの問いに「もちろん」とリュシアンが答える。
「だがそれは私の口より、これから助けだす君たちの友人から直接聞いた方がいい。彼女の身に起こった悲劇について」
「ハナから聞くのも、きみから聞くのも、結果としては同じだよ」
「いや違う」
リュシアンは己の意見をまったく曲げようとはしなかった。
これまでにピーノとエリオは彼とそれほど会話を交わしたことがない。別に避けているつもりもなかったが、より親しい仲間と過ごす時間の方が多かったのだ。
だから今、ここを去ろうという段になってようやく彼の強情さを知るのはどこか愉快でさえある。たぶん他のみんなにしたって同様だろう。濃密な日々を共に過ごしてきた仲間たちとはいえ、性格にしろその半生にしろ、まだまだわかっていないこともたくさんあったに違いない。
ただ、もうすべては終わったのだ。それらを過去のものとして前へ進まねばならない時がやってきていた。
「ま、おまえがそう言うなら無理には聞かねえよ。どのみちおれらのやることに変わりはないしな」
いつも通りの鷹揚さでエリオが言う。
そんな彼へ、思いがけずリュシアンは力強く頷いてみせた。
「まさしくそれだよ、エリオ。奇妙な、と言えば語弊もあるだろうが、私たち十三人は不可思議な縁によってここへ集った。生まれも違えば育ちも違う、もちろん価値観も考え方も大きく違う。そんな私たちだ、同じ場所にいながらもそれぞれの視線の先にあるものはやっぱり違う。同じ屋根の下で眠りながら、別々の夢を見ている」
おそらくは祖国の復興をいまだ願っているであろう彼の言葉が淀みなく続く。
「君たち二人はこれから、ウルス帝国のすべてを敵に回しかねない選択を行おうとしている。自身にとって大切なものを迷わず選び切るその強さに対し、私は心の底から敬意を払う。だからこそ、私は君たちの邪魔をしたくはないし、不要な情報を与えて迷いを生じさせたくもないのだよ」
わずかに体を強張らせ、またピーノが訊ねた。
「不要な情報……それってどういう意味なの」
「いずれはわかる」
そうリュシアンは断じた。
「餞として一つだけ伝えておこう。ニコラ・スカリエ、あの男は君たちに対してまだ隠し事をしている。ただし彼のことだ、本当に伝える必要がないと考えている可能性も否定できないがな」
十三人の少年少女たちの中で唯一、リュシアンだけがニコラを呼び捨てにする。面と向かっても臆することなく。もっとも当のニコラには特に問題視する様子も見られなかったわけだが。
ピーノとしてはリュシアンが口にした内容が気になりつつも、さすがにこれ以上留まってはいられない。ハナの待つザニアーリ牢獄へ急がねば。
どうやらリュシアンもそこに思い至ったらしかった。
「先を急いでいるのに足を止めさせてしまってすまなかった。さあ、これでお別れだ。行くも残るも苦難の道ならば、振り返ることなく前に進みたまえ。君たちの旅路に幸運があらんことを」
見送る彼にエリオも「世話になったな」とだけ返し、背を向けた。
じゃあね、と小さく手を振ったピーノだったが、もう一言だけ付け加える。
「でも、先のことなんて誰にもわからないよ。もしかしたらどこかでまた会うかもしれないじゃない」
だがリュシアンは感傷的な言葉を「ははは」と笑い飛ばした。
「君らしくもないな、ピーノ。わかっているのだろう? もし私たちが次に会うことがあれば、その時はきっと殺し合いになるはずだ」
◇
それからいくらも経たない真夜中のうちに、堅固なザニアーリ牢獄はあっさりと破られて一人の囚人の脱獄を許すことになる。怒れる二人の少年によって。
看守が四人、職務遂行を果たさんとして命を落とした。その中にはピーノたちの面会を快く思っていなかったであろう老人も含まれていた。