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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
4章 さよなら、さよなら、たくさんのさよなら
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獄中の再会

 何が起こってどうなっているかなんて、ピーノには全然わからない。それでもエリオと二人、肺も裂けよとばかりに必死で駆けた。

 『門』を開いているせいで彼らが一歩進むたび、蹴る力の凄まじさによって大地が削り取られる。

 ザニアーリ牢獄に誰が囚われているのか、そこは互いに口にしなかった。だけど思い浮かべている人物は同じだっただろう。


 常人には成し得ない、恐るべき速さで彼らは目的地へとたどり着く。

 生命力を消費した反動に伴う疲労など気にも留めず、周囲を威圧する牢獄の門前へと二人が並んだ。

 ピーノが鉄製の門へと拳を叩きつけ、エリオは大音声で「おい、誰かいんのか! いるんだろ!」と呼ばわった。


「そうがなりたてんでも聞こえておるよ」


 脇に備えつけられている小さな扉から現れたのは、少し腰の曲がった老年の男だ。以前に〈スカリエ学校〉の面々がここザニアーリ牢獄で死刑執行の任を請け負っていた際、何度か顔を合わせたこともある。


「爺さん!」


 エリオがまたも切迫した声を上げる。


「うちのニコラ先生から話は聞いてんだろ? 早くおれらを中に入れてくれ!」


 まったく、と老人が渋々応じる。


「スカリエ中佐はいつだって無茶を言う」


 そして黙ったまま「ついてこい」とばかりに顎をしゃくってみせた。

 先の見えない不安に押し潰されそうな気持ちになりながらも、どうにか呼吸を整えてピーノは親友とともに牢獄内へと進んでいく。こんな場所へ二度と来たくはなかったのに。


 相変わらず中は薄暗く、石が敷き詰められた廊下に足音が反響する。冷えた空気が肌を刺してくるところまで同じだった。

 違うのは、前回のように地下への階段を下りていかなかったことだ。老人は一階部分をずんずんと早足で歩いていく。見た目よりもだいぶ足腰が丈夫らしい。


 両脇の牢屋からは小さな窓越しに粘りつく視線が送られてきた。すべてが壁で覆われ、外から様子を窺い知ることができなかった地下の牢獄とはまた別の造りである。扉も鉄ではなく木製だ。

 そして老人が足を止め、短く「ここだ」と言う。天井付近で蝋燭に炎が灯っている上、看守も二人立って警備に当たっており、明らかに他の牢屋とは扱いが異なっている。


「重々承知の上だろうが、中にいる者を決して出してはならんぞ。よいな」


 ずい、と顔を近づけてきた老人をそれとなく避けながら「わかってるよ」とピーノは適当に答えておいた。


「ふん、ならいい」


 不機嫌そうな老人はこの場を二人の看守に任せ、すぐにまた来た道を戻っていく。だが彼が背を向けたそのとき、「やれやれ、陛下も物好きな」と口にしたのをピーノは聞き逃さなかった。


「開けてくれ」


 エリオが静かに頼むと、看守たちは無言で解錠し、ゆっくりと鉄の輪でできた取っ手を引いた。

 ピーノは必死に目を凝らす。薄暗い牢屋の奥で膝を抱えて座りこんでいたのは、黒い髪に褐色の肌の少女。やはりハナだった。たった一度きりの出会いだったとはいえ、ピーノとエリオが彼女を見間違えるはずもない。


 しばらく囚われの身だったためだろう、少し頬がこけているようだ。だが彼女の眼だけは異様な光を放っている。

 次の瞬間、獣の咆哮にも似た叫びとともにハナがピーノへと躍りかかった。彼女は全身で憎悪と敵意を剥きだしにしていた。


「ピーノ!」


 後ろでエリオの声がする。そこにはいったいいくつの意味が込められているのだろう、とピーノは思った。気をつけろ、ハナを傷つけるな、もしくは意味を為していない不確かでぐちゃぐちゃの感情。


 彼女は手刀の形に揃えた指先で、ピーノの目を潰そうと狙ってきた。しかしかつて舞踏を披露してくれたときのような動きの切れがない。

 ならば、とあえてピーノはそのまま狙わせる。ただしほんのわずかに位置をずらして。その目論見通り、爪が鋭く伸びた手刀の切っ先は目蓋のすぐ横をかすめていく。ピーノの髪の色と同じ、真っ赤な血が薄く滲む。


 そしてピーノは好機を逃さなかった。すぐさま反転し、前のめりになってしまったハナと体を入れ替えて彼女の後ろをとる。

 暴れないよう両腕を抱え込んで拘束はするが、絶対に傷つけてはならない。力加減には細心の注意を払った。


《落ち着いて、ハナ。ぼくたちはきみの味方だ。友達だ》


 尻餅をついた彼女の耳元でピーノが囁く。もちろんニコラから教わった〈シヤマの民〉の言葉で。これならば外で聞き耳を立てているであろう看守たちにだってわかりようがないはずだから。

 すぐに寄ってきたエリオも膝をつき、彼女へ顔を近づけた。


《ハナ、ハナ。おれたちを覚えているか? エリオとピーノだよ。ほら、別れ際に「またね」って言ったんだろう? ユエ婆ちゃんが教えてくれたんだよ。だからさ、その約束を果たしに来たんだ》


 驚くことに、エリオは涙声であった。ここまで感情を高ぶらせている彼を見るのはピーノも初めてだ。

 牢獄で囚われている状況にもかかわらず、自分たち〈シヤマの民〉の言葉を耳にして困惑しているのか、ハナの身体から力が抜けていくのが伝わってきた。

 そんな彼女へ、エリオがさらに説得を続ける。


《いいか、これだけは信じてくれ。ウルス帝国側の人間に見えるかもしれないが、おれたちは絶対におまえの敵にはならない。何があったにせよ、これから何が起ころうとも、おれたちが必ずおまえを守る》


《そうだよ。今度はちゃんとおしゃべりしたくて、ぼくたちは頑張ってきみたちの言葉を学んだんだ。ここを出て、太陽の光の下でたくさん話そうよ》


 もう必要ない、と判断したピーノはそっと拘束を解いた。また暴れだしたとしても、今度は正面にいるエリオがどうにかするだろう。

 俯いているハナはそのまま動こうとしなかった。

 何かを言おうとしていたが、上手く口に出せず掠れた声だけが宙に消える。

 それでも二人の少年は辛抱強く待ち続けた。

 長い沈黙の後、ようやく聞こえてきたのは〈シヤマの民〉の言葉ではない。


「エリオ、ピーノ。うん、覚えてる、とても。また会いたかった、あたしも」


 ぎこちない片言ではあったが、それは紛れもなくピーノやエリオがいつも話している言葉であった。

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