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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
1章 マダム・ジゼルの館
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クロエの事情

 散歩だと言っていた通り、特にどこへ行くつもりもなさそうな足取りのクロエはすぐに見つけられたのだが、同時にピーノの姿も彼女に見つかってしまう。

 ぼくとしたことがつまらない油断を、と悔やむも後の祭りだ。


「来るんじゃないかって思ってた」


 観念して堂々と近づいていくピーノへ、彼女は苦笑いを浮かべながら言った。

 彼よりもわずかばかり年上であるクロエは意外に勘が鋭いようだった。何せピーノがその後ろ姿を視界に捉えた瞬間、くるりと顔を向けてきたのだから。


「だってさ、マダム・ジゼルもコレット姉さんもすっごく心配性でしょ」


「たしかにそうかも」


 ピーノとしても納得できる理由である。


「きみと二人きりになるってのは今までほとんどなかったよね。せっかくの機会だし、一緒にどこか行こっか」


 賑やかな館を離れて一人になりたいのであればわざわざ邪魔をすることもない、そう考えていたピーノだが、彼女自身が同行を申し出てくれているのであれば話は別だ。

 連れ立って歩きだしながら「どこかって、どこへ?」ととりあえず訊ねてみる。


「うーん、どこがいいんだろう」


 なかなかに真面目な性分らしく、しばらくクロエは頭を悩ませ続けていた。

 そんな折、二人が通りがかったのはセス教の小さな礼拝堂だった。スイヤール市の中でもかなり古くからある建物なのだろうか、全体的に色褪せて見える。

 礼拝堂を一瞥したクロエが何気なく口を開いた。


「そういえばさ、ピーノってセス教徒なの? スイヤール市民なら半分以上の人たちがそうなんだろうけど、きみはどこか遠くの国の軍人さんだったんだもんね」


 かつてピーノがウルス帝国の兵士だったと知っているのは、館ではマダム・ジゼルとコレットくらいのものだ。彼女たちがその事実を明かすことなく胸の中に留めていてくれなければ、とうの昔に彼の居場所などなくなっている。

 クロエからの問いに対し、ピーノは慎重に言葉を選ぶ。


「あいにくとセス教にはこれまで縁がなくて。何せすごい田舎で育ったから。深い山間の土地だし、日が照っている間に歩いていける範囲には人間なんてほんの数家族しかいなくて、あとはだいたい羊」


「ふふ、そうなんだ。いいな、行ってみたいな。わたしなんて生まれてこの方、スイヤールから出たことがないんだもの」


 マダム・ジゼルの館において、相手の過去を知ろうとする行為は一種の禁忌といってよかった。心や体にひどい傷を負い、館へと集まってきた女たちばかりなのだから。

 クロエにだってきっと触れられたくない過去がある、そうピーノはいつものように推し量っていたのだが。


「わたしのお父さんはね、敬虔なセス教徒だったせいで死んじゃったの」


 唐突な告白だった。少しそばかすのある彼女の横顔に、憂いの色が差す。


「教団がね、『悪の帝国と戦う、正しい心を持つ者よ来たれ』だなんて煽るから。スイヤール市民による義勇軍が組織されて、勇んで出撃したはいいけれどそのまま最初の戦闘で全滅しちゃったんだって。お父さんはそれで本望だったのかもしれないけれど。でも、わたしにとっては父を騙して戦場へ連れ出して死なせた人たち、それがセス教なの」


 ピーノもそのあたりの事情を耳にはしていた。

 素人の寄せ集めで、なおかつ有能な司令官もいないとなれば戦闘でまともに機能するはずもない。実際にスイヤール義勇軍は戦場で何の役にも立たなかった。

 ウルス帝国軍に蹂躙されて敗走する他国の兵のため、壁として利用されたあげく美談として喧伝された。騙して、というクロエの言葉は彼女が意図していないところまで射程に入れているのだ。


「お母さんの顔をわたしはぼんやりとも覚えてない。体が弱かったらしくて、そのくらい早くに死んじゃったのよ。だからお父さんは救いを求めてひたすらセス教を信仰していたんだろうね」


 おかげで娘の方は逆に信じなくなってしまったんだけど、とクロエが俯き加減で自嘲する。

 優しい言葉をかけてあげたいが、どう声を掛けていいのかピーノにはわからない。気づけばいつの間にか大通りへとやってきていたらしく、周囲が随分と騒がしく思えた。


「どうしてぼくなんかに、そんな大事な話を?」


 沈黙を避け、会話の糸口を探るのが精いっぱいだ。


「んー、何でだろ。誰かに聞いてほしかったのかな。もちろん誰でもよかったわけじゃないからね? きっときみは今までにたくさんの重い選択をしてきてる。さすがにわたしだってそのくらいはわかるよ」


 そう言い切ってクロエが顔を上げる。


「十八年生きてきて、たぶんわたしは初めて選ぶんだと思う。これから自分がどう生きるのかを」


 前を見据える彼女の眼差しからは確かな覚悟が見てとれた。

 ようやくピーノにも察しがついた。ソフィアが昼食時にやたらと話しかけ、コレットが気遣っていた、その理由に。

 クロエはマダム・ジゼルの館における、八人目の娼婦になろうと決めたのだ。

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