仕事
ここスイヤールは大陸でも屈指の繁栄を誇る都市である。
連日のように人気の芝居が催される豪華絢爛な劇場、どこまでも広がっているかのように思えてしまう巨大で熱気に満ちた市場、大聖堂を始めとするいくつもの壮麗なセス教の寺院と、数え切れないほどの小規模な礼拝堂。辺境で育ったピーノにとって、その煌びやかさは眩しすぎる。
ウルス帝国と敵対していた大同盟側の中心、レイランド王国やタリヤナ教国と比べれば都市国家であるスイヤールなど領土も軍事力もないに等しい。しかしその経済力によって二大国も無視できぬほどの立場にあった。
長年続いた先の大戦争においても戦場となったことは一度もなく、おかげでほぼ無傷のまま終戦を迎えることができたのはまさしく僥倖といっていい。
そういった事情もあってか、マダム・ジゼルの館におけるスイヤール出身の人間は半分にも満たない。他国に比べて戦災孤児が少ないからだ。たとえばソフィアはレイランド王国内の激戦地となった村からスイヤールへ流れ着いたそうだし、館内で唯一タリヤナ教を信仰するナイイェルという少女もいる。
これまでの経歴の一切が謎に包まれているマダム・ジゼルとコレットは、家族として迎え入れる少女たちの素性を問わなかった。それは決して彼女らを娼婦として育てたいからではない。むしろ逆なのだ。
マダム・ジゼルとコレットの二人は自らが高級娼婦として大金を稼ぐ傍ら、自立して生き抜いていけるよう少女たちへの教育へ熱心に取り組んでいるのだから。
昼食を終えてしばらくののち、すべての皿をレベッカとともに洗って拭きあげまで終えたピーノはそのコレットに手招きで呼ばれた。
「ちょっとあなたに頼みたいことがあるんだけど、構わない?」
「ぼくにできることであれば」
目線をいくらか上げて応じる。
この館において一、二を争うほど背の高いコレットは、短く切り揃えられた亜麻色の髪も相まって見る者へ活動的な印象を与える、そういう女性だった。
「クロエのことなのよ」
先ほどの作り笑顔を思い出し、ピーノもすぐに頷く。
「わかった。で、当のクロエはどこに?」
「ついさっき『散歩に行く』とだけ告げて出て行ったわ。だからあなたには彼女をそれとなく見守っていてほしいの。今日のあの子は少しばかり神経質になっているはずだから」
お願いね、と眉を寄せたコレットの表情は真剣そのものだった。
すぐにでもクロエを追おうとしたピーノだったが、離れたところでこっそり会話を耳にしていたらしいレベッカに捕まってしまう。
「行く! あたしも行く!」
ピーノの服をぎゅっと握りしめ、にこにこしている彼女を無理に引き離すのは気が咎めるものの、さすがに今はそうも言ってられない。
「ごめんねレベッカ、これからぼくは──」
「姫ーっ、今日はわたしと遊ぶぞーっ!」
まるでピーノの言葉をかき消そうとするかのように、大声を張りあげて猛然とレベッカに抱きついてきた人物がいる。ソフィアだ。そして彼女はレベッカへ頬ずりしながら体をくすぐりだした。
「やぁだあ、あは、あはは」
楽しげに身をよじらせてソフィアの手から逃れようとするレベッカが、ピーノのそばからわずかに離れた。その隙に一歩二歩と距離をとる。
「うりゃうりゃーっ」
レベッカを捕食するように抱えこみ、彼女の赤毛を愛情あふれる乱暴さで撫で回しているソフィアから、一瞬の目配せが送られてきた。早く行け、と。
いかにもソフィアらしいやり方での気遣いへ感謝しつつ、ピーノは二人がじゃれあうその場を後にし、出入口の扉を開け放って再び館の外へと向かう。
館の補修や中庭の手入れ、草むしり、食材の買い出しや台所の後片付けまで、頼まれれば何でもやる。だが、彼がマダム・ジゼルから請け負っているのは「私の大切な家族を守ってほしい」、たった一つだけだ。それが用心棒として雇われたピーノにとっての仕事だった。
仕事を確実にこなし信頼されることで、どうにか仮初の居場所を得られている。マダム・ジゼルの館で暮らす女性たちにいくら家族の一員として扱われようとも、いまだ彼からその意識が抜けることはない。
まださほど離れた場所には行ってないクロエを見つけ、不安定な心情になっているらしい彼女をそれとなく警護してこの館へと戻ってくる。
ピーノにしてみれば大して難しい仕事でもなかった。