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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
3章 スカリエ学校の子供たち
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出会い

 とにかく致命的な怪我だけはしないよう全神経を尖らせ、転げ落ちるのとさほど変わらないくらいの速さでピーノは急斜面を下っていく。

 木々を避ける際に枝がいくつもの傷を体へ刻んでいくが、そんなのは大したものではない。エリオの無茶に付き合うのは普段から慣れていた。


 滑降を始めてどのくらい経っただろうか、景色に目を配る余裕はなくとも終着が近いのは気配である程度わかる。足を巧みに使って地面との摩擦を増やし、慎重に速度を抑えるピーノだったが、どういうわけか何かが弾け飛ぶような音も耳に届いてきた。しかも断続的に何度も。


 ようやくエリオの姿を視界に捉えた。みるみるうちにその背中が大きくなり、やがてピーノは勢い余ってつんのめりそうになりながら彼の隣へと降り立った。

 エリオにしては珍しく、木の幹に姿を隠して周囲の様子をうかがっている。いつもであればすでに行動へ移しているはずだが。


「見てみろよ。何だかすげえぞ」


 ピーノと同じく、切り傷だらけのエリオが小声で耳打ちしてきた。

 おそらくは音の正体について言っているのだろう、と思いながらも声には出さず一度だけ頷いてみせる。そして正面へと視線を遣った。


 たしかに驚くべき光景だった。

 十人を超える大人たちが見守る中、三つの光点を背負った少女が激しく踊り、その手の動きに合わせて地面の土の塊が小さく吹き飛ぶ。

 ピーノにしてみれば、眼前で繰り広げられているのがいったいどんな事象なのかは皆目見当もつかないが、それは傍らのエリオも同様らしかった。


「わけわかんねえだろ、あれ。ウルス帝国軍の兵器でも使ってんのか?」


「うーん、さすがに違うでしょ」


 ここから目にすることができる範囲からでも、いくつかの情報は判断できる。

 まず、少女を含む集団の人間がいずれも見慣れぬ褐色の肌であること。彼ら彼女らは旅をしているのか、何台もの荷車を運んでいるらしいこと。とりあえず四台まではピーノにも確認できた。

 そして行く手を塞いでいるのが折り重なった何本もの巨大な倒木、それに岩。つい先日このあたり一帯に降った大雨のせいであるのは容易に想像がつく。


 踊り手の少女はきっと、この障害をどうにかして取り除こうとしているのだとピーノは結論づけた。

 ただ、そのこと自体はエリオにもわかっていたらしい。


「邪魔なのを退けるにせよ、あんな乱暴なやり方じゃどうにもならんぜ」


 そう言うなり、あっさり集団の前へと進み出た。


「ま、そうなるよね」


 すぐにピーノも後へ続く。

 エリオは朗らかに「おーい、ここを通りたいならおれらも手伝うからよ」と少女を始めとする集団へと声をかけた。

 しかし挨拶代わりのその呼びかけに対し、彼らは慌てて武器を手に取り警戒を強める。誰もいないはずの辺境でいきなり子供二人が姿を現したのだから無理もなかった。


 それでもエリオが重ねて「だから手伝うってば」と大声を上げると、今度は先ほどの少女が鋭く叫び返してきた。明らかに怒気を含んでいる様子なのだが、何ひとつ意味を持った言葉として聞き取ることができない。

 エリオとピーノは互いに顔を見合わせた。


「やべえ、何言ってるのかさっぱりわからん」


「ぼくもだよ……。たぶん、向こうも同じなんだと思う」


 いったんは臨戦態勢をとった集団も、ここへやってきたのがエリオとピーノの二人だけなのがわかったのか、やがて少女以外は困惑混じりに空気を緩める。

 とにかく双方の話す言葉が根本的に異なる以上、意思の疎通が上手く図れない。


 そんな状況に痺れを切らしたエリオが相手方の了承も得ることなく、さっさと倒木と岩が塞いでいる場所へと向かって歩きだす。


「いずれにせよ、あいつらをどうにかしなけりゃ進めないんだろ」


 こちらの出方をうかがっているのだろうか、まだ元気に何ごとかを怒鳴っている少女以外が固唾を飲んで注視してくる中で、まずエリオは一抱えはありそうなほどの岩を持ち上げそのまま脇へと豪快に投げ捨てる。


「まったく、相変わらずの怪力だね」


 すぐに次の障害物へと取り掛かろうとしている彼に、力添えをするべくピーノが短い称賛とともに駆け寄った。

 しかし当のエリオは浮かない顔だ。


「おれ程度の力じゃもう少し大きいくらいが精いっぱいだ。思ったよりもこいつはきつい。大物をどうにかするにはここにいる全員でも厳しいかもな。かなり時間はかかるが、親父や兄貴も呼んでくればどうにか──」


「その必要はないよ」


 二人が振り返ると、そこには真っ白な髪の老婆が立っていた。白髪はすべて後ろへと流され、首の後ろで一つに結わえられているようだ。

 骨ばった手や深く刻まれた皺から相当に齢を重ねていると見受けられるが、背筋は綺麗に伸びており瞳にも力強さがある。


「婆ちゃん話せるの?」


 期せずしてエリオとピーノの驚いた声が重なる。

 老婆は頷く代わりに悪戯っぽい笑顔を浮かべてみせた。


「あんたたちと同じ、このあたりで生まれ育った友人から随分と昔に話言葉を教わっていたんだがね。なかなか思い出せなくてちょいと時間がかかっちまった。年は取りたくないもんだよまったく」


 そして彼女が後ろの集団へ一声かけると、全員が後ずさりして距離をとる。あのいかにも利かん気の強そうな少女でさえ、渋々といった体で下がっていった。


「ほら、あんたたちもあっちで一緒にお待ち」


 老婆にどういう意図があるのかはまったくつかめなかったが、エリオとピーノも素直に彼女の指示に従うことにした。

 きつく睨んでくる少女にもお構いなしで、エリオは「どもどもー」と先ほど出会ったばかりの集団の輪の中へずいと進んでいく。


 ぼくにはあのようには振る舞えない、とピーノは思ってしまう。

 まだそれほどの年月を生きてきたわけではないにせよ、これまでピーノは家族とそれに準ずる付き合いをしている人間にしか会ったことがない。そういったとても狭い世界の中で生きてきたのだ。

 自分の知る範囲が急激に拡張されていくことへ、怯えに似た不安も、未知なるものが開かれていく喜びも、どちらもが等しく彼の胸の中にあった。


 そんなピーノの視線の先で、白髪の老婆が跳ねるように足踏みを始める。最初は緩やかに、次第に激しさを増して。


「あの婆ちゃん、あんなに動いて大丈夫なのかよ……」


 近くでぼそりと呟いたエリオの心情も理解できる。それほどまでに激しく動き続ける老婆だったが、そんな彼女の周りに、人の顔ほどもある大きな光の球が一つ、また一つと浮かび上がってくる。

 周囲では皆が調子を合わせて何ごとかを叫んでいたが、その声は老婆を鼓舞するような響きに満ちていた。

 ああ数か、とピーノが気づくのにいくらも時間はかからなかった。


 合わせて七つの光点が老婆を囲むや否や、彼女の肉体はぴたりと動きを止める。

 それに呼応して爪先にある土があっという間に盛り上がり、川が逆流して波打つかのように倒木や岩で塞がれた場所へと襲いかかっていく。

 気がつけば圧倒的な生命力を感じさせる土の塊によってすべてが押し流され、もはや前途を邪魔するものは存在していなかった。

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