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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
9章 ぼくらの家
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旅の始まり

 館の前の路上にはちょっとした人だかりができていた。


「うー、わたしもついて行きたかったのにー!」


 近所の人たちが驚いて窓から顔を覗かせてしまいそうなほどの大声を張り上げたクロエへ、澄ました表情のコレットが「ダメよ」と答える。


「あなたはもうすぐ先生として、教えて教わって子供たちを導いていく立場になるんですからね」


「わかってますよお」


 新しく設立される学校で、クロエは最年少の教師となることが決まっていた。

 娼館が廃業となっても彼女同様にそのまま残る者もいれば、別の人生を歩み始める者もいる。もちろんレベッカみたいに生徒として入学する子供たちだっている。


 それぞれが一つの区切りを迎える中、今まさにピーノも旅立ちを控えてこの場に立っていたのだ。大勢集まってくれているのは、彼の出立を見送るためであった。


「おう、二人とも準備はもういいか? 話すことがあるなら今のうちだぞ。しばらく帰ってこられないからな」


 イザークの言葉に「大丈夫です。きりがありませんし」と答えたのはトスカだ。ピーノの新たな旅にはこの二人が同行する。先導役のイザークに護衛役のトスカ。


 最初の目的地にはやはりタリヤナ教国を選んだ。

 セレーネとナイイェルに会うのはもちろんだが、まずは宙ぶらりんのような形となったピーノ自身の処遇についてきちんと話を詰めておかなければならない。それがわがままを通したことへの筋だろう、とピーノは考えていた。


 そんなわけで、旅慣れていてかつタリヤナ教国へ足を踏み入れた経験を持つイザークがついてきてくれるのだが、実はこの件でディーデリックと揉めたらしい。

「たまには俺に行かせろ!」と主張するディーを、イザークはまたも飲み比べで返り討ちにしたのだそうだ。二人ともいい年なんだから体を労ってほしい、というのがピーノの本音である。


 あれほど眠り続けていたピーノがしばらくの間またいなくなると知って、昨夜までレベッカは何度も大泣きしていた。そのたびにピーノは「ごめんね」と謝り、自分とよく似た赤い髪の毛を優しく撫でて、ひたすら泣き止むのを待った。

 それでも今日はどうにか堪えようとしているのがレベッカから伝わってくる。

 クロエと手を繋いで少し俯き加減の彼女の表情が、ちょっとだけ大人びて見えた気がした。

 幼いパスカルを抱いたチェスターも仕事を休んで駆けつけてくれている。その傍らにはぴったりとソフィアが寄り添っていた。


「せっかくなんだから旅行気分で仲良く行っておいで。スイヤールのことは何も心配いらないよ。おれがちゃんと守るから」


 そう力強く宣言したのはフィリッポである。

 握り拳を作り、ピーノは彼の胸を軽く叩いた。


「初めからそんな心配なんてしていない。頼りにしてる」


「お……」


 ピーノからの返答が予想外だったのか、フィリッポは鼻をすすり上げながら突然天を仰いだ。


「不意打ちだなあ……。まさかきみの口から、そんな熱い言葉を聞けるだなんて」


「失敬な。きみの中でのぼくはいったいどういう印象なんだよ」


 カロージェロのところへ訪ねていったら、その時はフィリッポへの文句で盛り上がってやろうと心に決めた。

 別れの挨拶が一段落したのを見計らって、全員を代表するようにジゼルが前へと進み出た。そしてピーノのすぐ近くまで歩み寄る。


「三人とも、道中は体に気をつけてね」


「何だ、俺のことも含めてくれているのか。今日は随分優しいじゃねえか」


 混ぜっ返すイザークへは、冷ややかな一瞥とともに「いざという時はピーノとトスカの盾になりなさいよ」と告げる。


 肩を竦めたイザークに構わず、ジゼルはまたしてもピーノの顔を抱き寄せた。もう何度目なのかわからないが、それでもやっぱり慣れることはできない。ほのかに香る大人の女性の匂いにくらくらしてしまう。


「ちゃんと帰ってきなさい。言ったよね、ここがあなたの家なんだって」


「うん」


 それだけしか答えられなかったピーノはされるがままの体勢だ。

 そしてジゼルもなかなか離してくれない。

 けれどもこんな二人に業を煮やして声をかけた人物がいた。


「あの、ちょっと長くないですか」


 もうそろそろいいですよね、とトスカが割って入ろうとする。

 しかしピーノの代わりに娼館の用心棒として役目を果たしてきた彼女もすでにお客さんの身ではなく、家族の一員としてみんなから接されている。

 当然、浴びせられる言葉にももはや遠慮はなくなっていた。


「あれえ、トスカちゃんそれって焼きもちなのー?」


 これ以上ないほど楽しそうに野次を飛ばしてきたのはクロエだ。

 レベッカも真似て「トスカちゃん焼きもちー」と囃し立てる。

 続いて周りも便乗してわいわいと騒ぎだし、ジゼルは苦笑いを浮かべながらピーノから体を離して言った。


「結局賑やかになっちゃうかあ。ま、うちらしいし面白いからいいか」


 先ほどまで真剣な表情だったトスカはといえば、みんなにからかわれたせいで耳まで真っ赤になって俯いてしまっている。

 現在目の前で起こっている出来事のはずなのに、懐かしい記憶をいくつも想起させる光景だ。

 ようやく心の底から実感できた。胸の中で温かい光を放つこの場所は、確かにピーノにとっての家だったのだ。これまでも、きっとこれからも。


 今から新しく、長い旅が始まろうとしている。タリヤナ教国のセレーネとナイイェル、アマデオとユーディット夫妻に匿われたハナ、海辺のカロージェロ、家族の墓さえまだない燃え落ちた故郷、できればレイランド王国やゴルヴィタ共和国、そして旧ウルス帝国や数多の戦場跡へも。

 大陸中を踏破する勢いだが、すべてを廻れるかどうかは天のみぞ知る。キャナダインのいなくなったレイランド王国や旧ウルス帝国あたりは入国の許可が下りない可能性だってあるし、呑めない交換条件を突きつけてくるかもしれない。


 何より、ピーノ自身の生命力がどこまで持ってくれるか。けれどもここへ帰ってきて、みんなの元気な顔を再び見られる日までは死に物狂いで足掻きまくって生きるつもりであった。

 こんなにも変わってしまった自分がおかしくて、でもちょっとだけ好ましい。

 笑おうとしていたはずだったのに、景色が滲むように歪んで映った。きっと慣れないくらいに目いっぱいの笑顔だったせいだろう。

 帰れる場所があるのは本当に幸せなことだ、とピーノは思う。


                 〈 了 〉

今回で完結です。ありがとうございました。

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