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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
9章 ぼくらの家
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用心棒を首になる

 ハナとセレーネの近況は、それぞれから送られてきた手紙で確認することができた。もっとも、直近に届いたセレーネからの一通を除いて、送り主は本人たちではなくユーディットとナイイェルなのだが。


 人里離れた土地で暮らしているはずのユーディットからは七通も届いていた。その手紙のどれもが几帳面にハナの変化を綴っており、相変わらずの面倒見の良さを感じさせてくれる。

 やはりというべきか、身柄を預けられた当初のハナは心身ともに弱っており、会話はおろか食事さえ拒んでいたらしい。生きることにも死ぬことにも関心がなさそうだった、とはユーディットの言だ。


 そんな状況を好転させたのがアマデオの料理の腕だった。あの手この手でハナの興味を引きそうな料理を連日作り続け、とうとう口にさせることへ成功したのだ。そこまでいけばアマデオの勝ちである。誰も彼の料理には抗えない。

 ユーディットとアマデオの夫婦に少しずつ心を許していくハナの姿が、ピーノの脳裏にも鮮明に浮かんでくる。


 混乱の極みにあった状況下で、ハナを政治の場から遠ざける決断を素早く下したフィリッポには感謝していた。その直前に投げつけてしまった暴言を取り消せるものなら取り消したい。

 今ではハナも近くに簡素な庵を構え、ユーディットやアマデオとは食事の時だけ一緒にいるのだという。


「ハナは随分回復した。もうすぐ〈シヤマの民〉としての巡礼を再開させたいって希望しているから、来るなら早めにおいでよ」


 そんな言葉で七通目の手紙は締めくくられていた。

 端っこには汚い字で「新たに覚えた魚料理を振る舞わせていただきたい」と書き殴られていたが、こちらはアマデオによるものだろう。楽しみだ。


 片やセレーネとナイイェルはといえば、タリヤナ教国から国外へ出ることは一度も許されていない。手紙というよりも報告書といった体の固い文面に、その旨が記されていた。ナイイェルからは合計で二通だけであり、セレーネからもつい先日届いた分の一通のみ。二人合わせてたった三通だ。


 どちらも機密情報を漏らすことが万が一にもないよう、タリヤナ教国の人間によって内容を確認されているのは間違いないだろう。

 とはいえ、セレーネも戦争犯罪人としてひどい扱いを受けているわけではなく、むしろ丁重に迎えられているようであった。


 彼女はいわば身代わりだ。

 今のピーノにはもはや戦略的な価値など皆無ではあったが、このまま素知らぬ振りができるはずもなかった。当然ナイイェルもだ。

 決着をつける意味でも、まずはタリヤナ教国へ行かなければならない。


 そのために手前勝手でしかなかったピーノとの約束を果たしてくれた上、セレーネに対しても温情をかけてくれたニルーファルへの面会を申し出るつもりでいた。

 幸い、彼女へはマダム・ジゼルという強固な伝手がある。


       ◇


 スイヤールの夜の主、その象徴であったマダムの呼称をそっとしまい込んだジゼルと再会したのは、ピーノが目覚めて三日後のことであった。それほどに議員として活動する彼女は忙しくしている。

 まだ朝早い館内の廊下で、二人は久々に顔を合わせた。


「やっと起きたんだね、寝ぼすけピーノ」


「そのあだ名、レベッカから聞いたの?」


 少し不満気にしてみせたピーノの額を、ジゼルが指で軽やかに弾く。


「何言ってんの。みんなそう呼んでるし、呼ばれて当然だよ。三百日近くもあれば赤ちゃんだって母親のお腹の中から出てくるんだからね」


 ピーノは彼女からレイランド王国外相キャナダインの訃報を知らされた。

 タリヤナ教国との平和条約が発効し、凱旋のようにして地元へ帰り着いてすぐのことだったそうだ。きちんと見届けるまで病と闘い続けていたのは実に彼らしい。


 親子以上に年の離れたキャナダインへ厚い信頼を寄せていた現国王の強い希望により、国を挙げての葬儀が営まれたという。ジゼルもイザークとともに参列し、大陸の平和を希求した一政治家の冥福を祈ってきたのだ。

 墓を訪ねていかなければならない人がまた増えた、とピーノは思う。

 しかし墓さえない人たちも多い。ドミテロ地域で起こった大規模な山火事に巻き込まれてしまった母と祖父、ウルス帝国宮殿で激闘を繰り広げたニコラ先生にエリオ。ルカだって山中にただ埋葬しただけだ。リュシアンやオスカル、ヴィオレッタはどうなのだろうか。


 やるべきことがどんどん山のように積もっていく。

 長々と眠り続けていた後で私的な事情による休暇を申し出るのは非常に心苦しく、切り出しにくいものである。何度も不自然なほどに息を吸って、吐いてを繰り返してピーノは機を窺った。


「あ、そうそう」


 何かを思い出した素振りのジゼルがピーノへと顔を近づけてくる。


「ピーノ、君は長い間用心棒としての仕事を放棄していたね。いけないなあ」


 首だよ、と満面の笑みを浮かべた彼女からそう告げられてしまった。

 そしてジゼルはピーノを不意に抱き締めてきた。息が止まりそうになる。

 こちらの心の準備などお構いなしで、あっという間に踏み込んでくる彼女の距離感の近さには、いつまでたっても心臓が慣れることはないだろう。

 心地よく揺れるようなジゼルの声が耳元で聞こえる。


「もうこの館をおびやかそうという者なんてどこにもいないし、君を留めておける理由もなくなったんだ。いつまでも用心棒の名分で縛りつけておくわけにはいかない。自由にしてあげなきゃね」


 いつだってジゼルはピーノの胸の裡を見透かしているかのようだ。

 またしても先を越された、と思う一方で、自由という響きに幾ばくかの寂しさを感じてしまう。誰もいない場所へ突然放り出されたような、あてどのない気持ち。

 しかし彼女の言葉にはまだ続きがあった。


「でもね、これだけは絶対に覚えておいて。ここは君の家であり、私たちはみんな家族なんだ。どこにいたって互いに結んだ糸は繋がっているんだよ」


 先ほどまでの寂しさがまるで嘘みたいに消え去っていく。自分自身でさえはっきりとわかっていなかった、そのときに最もほしい言葉をジゼルはくれる。

 ありがとう、と答えたかったピーノだが、なぜだか喉の奥から上手く出てきてくれない。どうしても詰まってしまうのだ。

 だから代わりに、おそるおそるではあったがジゼルの体へ自分も両腕を回した。ありったけの感謝を込めて。

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