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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
9章 ぼくらの家
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その後について〈3〉

 目覚めてからの二日間は、ピーノにとって驚くことばかりであった。

 一年近くもの時間を丸々飛ばしてしまうとこれほど奇妙な感覚に囚われてしまうのか、といっそ愉快な気持ちになる。


 まず衝撃だったのは、マダム・ジゼルの館が娼館でなくなっていた件だ。

 以前から少女たちのための学校として機能していた部分はあったとはいえ、タリヤナ教国の外交使節団を受け入れたことを機に、娼館を廃業して本格的な学校経営への移行を決めたらしい。さぞかし大勢の紳士どもが嘆き悲しみ、膝から崩れ落ちたのは間違いないだろう。


 今はまだ開校までの準備期間中だが、ゴルヴィタ共和国の統領であったブライアン・ワイズの名を冠した学校では、レイランド王国やタリヤナ教国からの留学生も積極的に受け入れていく予定とのことだ。

 詳しく教えてくれたのはコレットだった。ジゼルではなく彼女こそ、新しく設立された学校の校長である。


「幸い、スイヤール政府が手頃な価格で広い物件を手配してくれたからね。すったもんだはあったんだけど」


 最初はいわくつきのロベール・メルランの邸宅をあてがわれかけたらしいが、そこはジゼルの粘り強い交渉で事なきを得たという。

 おまけに、その一件で政治力の重要性を痛感したジゼルは立法府の議員となったのだそうだ。いかにも彼女らしい迅速な行動に思える。

 政庁前広場での聴衆を惹きつけてやまない演説に送られた万雷の拍手が、まるで地響きのようにしか思えなかったとコレットは言う。


 議員としてのジゼルは「シャーロット・ワイズ」の名前で活動しており、タリヤナ教国のニルーファルとの個人的な友誼もあって、早くもスイヤール政界で一目置かれる存在になっているとのことだ。


「ワイズ家の名は今でも通用するみたいだからね。お父様に感謝だわ」


 肩まで伸ばした髪を後ろへ流しながら、ジゼルと同じくワイズ家の一員であるコレットは晴れやかに笑っていた。


       ◇


 妊娠していたソフィアも無事に男児を出産したと聞き、さっそくピーノはお祝いも兼ねて彼女の家を訪ねた。

 体はある程度動くようになってきたものの、寝たきりだったせいで筋力は衰えているし依然として〈門〉も開けない。〈門〉についてはトスカにも包み隠さず伝えたため、どこへ行くにも心配する彼女の護衛付きだ。さながら幼児扱いである。


 玄関先でピーノの顔を見るなり、赤ん坊を抱いたままのソフィアは辺りを憚らず大泣きしてしまった。驚いて赤ん坊まで泣きだすものだから、ピーノとトスカは二人して途方に暮れてしまう。

 男の子の名前はパスカルといった。チェスターと二人で相談し、恩人であるディーデリックに命名を頼んだのだそうだ。


「スタウフェンさん、ものすっごく悩んでつけてくれたんだ。いい名前でしょ」


 泣き疲れたのか、ソフィアの腕に抱かれてぐっすり眠っているパスカルはとても可愛らしかった。


「ピーノも抱っこしてみなよ」


 ほら、と勧められてはピーノも断れない。

 おそるおそるソフィアの手からパスカルの体を受け取るが、想像していたよりも軽くてさらに緊張してしまう。


 傍らのトスカは慣れたように「パスカルくーん」と呼んで、とても小さくて丸っこくて柔らかそうな指をいじっている。

 素敵な両親に愛されて生を受けたこの子は、いったいどういう人生を歩んでいくのだろうか、と不意にピーノは思う。幸せなものであってほしい、と心より願う。


       ◇


 スタウフェン商会の一員となったフィリッポにもすぐ会いに行った。このときはトスカだけでなくクロエとレベッカも同行している。

 商館内の一室を貸与されて住み込みで働く彼は無精髭を生やしており、ピーノの記憶にある姿よりもほんのわずかに精悍さを増していた。


「ようピーノ。いい夢が見られたかい?」


 第一声を聞き、「性格は変わってないなあ」と呆れるやら、ほっとするやら。

 ピーノの代わりにクロエが「もう! 違うでしょ!」と彼の背中をばしばし叩きながら怒っているが、フィリッポはずっとにこやかだ。心なしか、二人の距離が縮まっているように感じる。

 そんな彼が「渡す物があるんだよ」と一本の細長い棒を差し出してきた。


「……釣り竿?」


 しげしげと眺めたピーノがそう訊ねれば、「正解」とフィリッポも応じる。


「実はこれ、カロからの預かり物なんだよ。ピーノが起きたら渡してくれって」


「カロージェロが? へえ、スイヤールに来てたんだ」


 ピーノにトスカ、フィリッポと同じく〈名無しの部隊〉に所属していたカロージェロは、故郷に帰って元の漁師として暮らしているとは聞いていた。


「何言ってるの、きみの見舞いに来てくれたんだってば。スイヤールの街を田舎者丸出しの服装で歩きながら『大して面白いもんもないのお』とか大声で口にするんだよ、彼。あと、魚が不味いってしきりに愚痴ってたっけ」


「うわあ、実にカロージェロだね」


 釣り竿を受け取りながら、ピーノは懐かしさとともに笑みがこぼれる。

 隣では物珍しいのかレベッカが目を輝かせており、しきりに「いいないいなー」と羨ましがっていた。


「でしょ。んで、あともう一つ伝言があってね。これはピーノとトスカに」


「え、わたしもなの」


 不思議そうなトスカへ、フィリッポは頷いてみせた。


「えーと、そのまま伝えるよ。『いつまで待たせるんじゃ、早く来い』だってさ。二人とも覚えていないかな。最初に会った日に、みんなで海へ行く話をしたの」


「覚えてる……覚えてるよ!」


 珍しくトスカが大きな反応を返す。


「おれは帝国脱走後に結構な期間お世話になったし、アマデオとユーディットも一度訪ねていったそうだよ。様々な魚介に触れて、アマデオの料理の幅がさらに広がったらしい。てなわけで、残るはピーノとトスカさ」


 交互に指を差してくるフィリッポだが、飄々として見える彼にも呑みこまざるを得なかった言葉があるのだろう。レイランド王国にいるダンテ、タリヤナ教国で軟禁状態にあるセレーネ。


 もうピーノに以前のような力はない。そこそこに強いだけの、大人と子供の間にいる不安定な存在でしかないのだと自認するに至っている。

 そんな自分に何ができるのか。すぐに答えは出せずとも、探していくことを放棄してしまうつもりはなかった。


 己を世界へ繋ぎとめているのはか細い糸でしかない、と悲嘆する日々などとうの昔に過ぎ去っていたのだ。たくさんの人たちがいつとも知れぬ彼の目覚めを待ってくれていた。

 幸せすぎて、ひどく申し訳ないような気持ちになる。


 これまでたくさんの人間を手にかけてきたというのに。どうしようもない悪党たちがいる一方で、死ぬ必要のない人間だっていた。誰かに許されたいなどとは微塵も思わないが、生涯忘れることはできないし、忘れてはならない。

 それでもエリオならば、きっとこんなピーノを豪快に笑い飛ばすだろう。


「考えすぎるなって。だったらおまえも、手を伸ばしてほしがっている別の誰かに返してやりゃあいいんだよ」


 そんなもん別に難しくはねえさ、と。

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