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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
9章 ぼくらの家
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その後について〈1〉

「ほらほら、病人の周りに集まって負担をかけちゃだめよあなたたち」


 扉の外から解散を促す声がする。聞き覚えのあるこの声はコレットだ。


「彼の体調が回復すれば、いくらでもお喋りできます。今しばらく、元気になるのを待ってあげましょう」


 はあい、と何人かの返事が綺麗に揃う。

 ぞろぞろとみんなが出ていくのを眺め、ピーノは少し寂しさを覚えた。


「別に病人ってわけじゃ……。ただ長く寝てたってだけだし」


「三百日近くも眠っているのを『ただ長く寝てた』とは言いません」


 口ごもりながらの抗弁は、コレットによってぴしゃりと封じられてしまう。

 それでも彼女の通告に従わない者もいた。レベッカはピーノにまとわりついて離れないし、トスカとクロエもしれっとその場に居座っている。


「はあ、あなたたちねえ……気持ちはわかるけど」


 ため息混じりにぼやくコレットに対し、トスカは反論する。


「でもわたし、体の弱ったピーノを守らなくてはいけませんから」


 ずっとここにいますよ、とさも当然のことだと言わんばかりの態度であった。

 そこへ便乗したのがクロエとレベッカだ。


「あ、じゃあわたしはトスカちゃんの手伝いを……」


「レベッカもー!」


 こうなるのがコレットにもある程度織り込み済みだったのだろう。

 すぐに方針を切り替え、三人に対して条件を提示した。


「わかったわ。もしピーノの体調が少しでも優れないと判断したらすぐに報告すること。いいわね」


 またも返事は「はあい」と重なり合う。もはや娼館というよりは学校の方がよほど似合っているのではないだろうか。

 お願いね、と念を押しながら去っていくコレットへ手を振っていたピーノだったが、足音が聞こえなくなると部屋に残った三人へ向き直った。


「そういえばナイイェルを見かけないね。どこかへ出かけてるのかな」


 何の意図も含んでいない質問だったのに、なぜか答えは返ってこない。

 特にクロエの表情が一気に陰ってしまう。


「え、なに? どうしたの?」


 まずいことを訊ねたのか、と慌てるピーノへ、ちょこんと膝へ腰掛けたレベッカが代表して口を開いた。


「ナイイェルはね、タリヤナ教国へ行っちゃった」


「は? タリヤナ?」


 その言葉を聞いた瞬間、ピーノの脳裏に長い眠りへつく直前の記憶が怒涛の勢いとなって流れ込んできた。

 戦意を喪失したハナ、その彼女もろともピーノを突き刺そうとしたセレーネ。

 けれどもその刃はハナの身体まで届かず、代わりにセレーネの心臓はトスカによって貫かれてしまった。

 誰一人として死なせるつもりはなかったピーノは、即座に生命力の受け渡しを試みる決断を下した。そこまでの記憶だ。


「ナイイェルがタリヤナ教国にって……いや、あれからいったいどうなったの! ハナは、セレーネは、平和条約の話は!」


「落ち着いてピーノ、順を追って説明するから」


 なだめるようにトスカが言い、そのままピーノの右隣へと座る。

 クロエも空いている左隣へ腰を下ろし、がっちりと両脇が固められた。


「まず最初に、二人は無事だってことを伝えておくね。処刑されてはいないし、投獄されてもいない。そこは安心して」


 この顔触れでは最も事情をよく知るトスカの言葉に、ピーノも「よかった……」と安堵の息を吐く。

 そんな彼の脇腹を、悪戯っぽくクロエが突いてきた。


「ピーノはフィリッポくんに感謝した方がいいよお」


「え、なんで?」とピーノは真顔で切り返す。


 あの時、トスカがフィリッポの制止を振りほどいていなければ、死に瀕していたのはセレーネではなくハナだったはずである。肉体の強さを鑑みれば、結果として少しはましな方向へ転んだのは確かだ。

 だからといって、信頼して任せた役目をフィリッポが全うできなかったことに変わりはないのではないか。吹っ切ったはずのわだかまりがまだかすかに胸に残る。

 口にはしなくても表情に出てしまっていたのか、ピーノの顔を見たトスカが小さく首を横に振った。


「全身から汗が流れ、こめかみの血管も破けて血が止まらない。心配して呼びかける声にだって反応してくれない。セレーネの手を握ったままの状態でピーノの意識が混濁してきたのは、傍で見ていたわたしたちにもわかった。そこからのフィリッポの判断は本当に早かったよ」


 トスカの口調は淀みない。


「彼はすぐわたしに『ピーノとセレーネは任せる。おれはこの子を安全な場所へ逃がすよ』と耳打ちし、呆然自失の状態だったハナさんを抱えて脱兎のごとくその場から去ったの。あそこに彼女がいたままだと取引の道具とされてしまうに違いなかったから、とスイヤールに戻ってきた後で説明してくれた。かつあの時点で動けるのが自分だけだった、とも」


 もちろん、戦いの最中であろうと頑としてハナを傷つけまいとしていたピーノの意思を汲んでくれた部分も大きいのだろう。だが。


「安全な場所って……。そんなところがあるのかな」


 怪訝そうに訊ねたピーノに対し、トスカは「大丈夫」とにっこり笑った。


「ユーディとアマデオの家だもの。そこまで含めて申し分のない判断なんだよ。ハナさんの近況は、時々ユーディから送られてくる手紙で確認できるので明日にでも読んでみて。本当に、あのフィリッポらしくもなく機敏で正しい行動だったと今でも思う」


 ここで初めて、ピーノもハナも無事を確信することができた。あの二人であれば必ずハナを匿ってくれるだろうし、手出しできる者もまずいない。


「そうだったのか。じゃあフィリッポにはちゃんとお礼を言わなきゃね。で、あいつは今どこに?」


「お仕事!」


 元気よく答えたのは膝上のレベッカだった。


「仕事ぉ? フィリッポが?」


「そうだよ。フィリッポくん、こっちへ帰ってきてすぐスタウフェン商会で働きだしたんだから。本人によると、チェスターさんから熱心に口説かれてたみたいよ」


 今度はクロエが彼の近況を教えてくれる。

 チェスター云々の下りが自己申告なのは少し気になったが、あえて問い質すほどのものでもない。

 それにまだ、聞かねばならない話が残っているのだ。

 命は助かったらしいセレーネがどうなったのか、ピーノのタリヤナ教国行きが事実上消滅した状況で和平は成立したのか。わからないことだらけだ。


「そろそろ次の話題へ移るね。セレーネと、ナイイェルさんについて」


 場を仕切るトスカの一声によって、ピーノはやや身構えてしまう。

 けれどもクロエとレベッカの表情が暗くなっていないことが、悲しむべき事態には陥っていないのだと何よりも雄弁に物語っていた。

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