突然の決着
ピーノにとって薄氷を踏むような攻防が続いている。
セレーネの猛攻は凄まじかった。〈名無しの部隊〉にあって、リュシアンと並び称されていたほどの実力はやはり伊達ではない。
貴族の嗜みとして身につけた正統な剣技はもちろんのこと、時にはらしくもない力押しを交えつつ、少しでも好機とみればすかさず〈門〉を開いて怒涛の攻勢にうって出る。
加えて、彼女が卓越しているのは個人としての技量だけではなかった。局面が想定通りに行かなければ柔軟に対応する器用さも併せ持つ。
先ほどからハナには後方支援の役割を振り、当初の予定では決めの大技として使うつもりだったであろう炎を、小さく限定的に繰りださせる。
これがまたピーノにとっては非常に鬱陶しかった。目の前で一瞬、小型の炎が弾けて消えることで彼の視界と集中がわずかに削がれる。
当然、そこを見逃してくれるセレーネではない。すぐさま鋭い斬撃が立て続けに襲いかかり、致命傷には至らないまでもいくつかの深手を負ってしまった。
やっぱりセレーネは心得ているなあ、とピーノも内心で舌を巻く。
邂逅早々にハナを挑発し、炎を出させたのには二つの意図があった。
一つはもちろん、彼女たちの攻撃対象をひとまずピーノだけに絞らせるためだ。これは狙い通りに事が運んだ。
もう一つは頭に血を上らせ、正常な判断力を奪うためである。視野狭窄となり単純な思考に陥った相手ほど与しやすいものはないからだが、こちらは残念ながら失敗に終わったらしい。
正直なところ、風や土で攻撃を仕掛けてこられるより炎の方が対処は楽だ、とピーノは考えていた。
以前のハナが攻撃的に振舞う際は、風の刃を飛ばしてくるか地面から土の槍を伸ばしてくるかのどちらかであった。そういった魔術をまともに食らってしまうと、腕なり足なりがちぎれてしまいかねない。
セレーネの斬撃もそうなのだが、仮に肉体の一部が斬り飛ばされて消失してしまった場合、おそらくは治癒が間に合わず再生できない可能性が高い。
もちろんそこまで狙っての作戦修正ではないのだろうが、経験による勘がそうさせたとは言えるはずだ。
「これだから戦い慣れた相手は厄介なんだ」と呟いてピーノは距離をとる。
自動で修復作業に入る〈超速回復〉のおかげで傷もすでに癒えており、戦闘の継続に支障はない。ただし見た目にはわからないが、生命力はもちろん減っている。はたしてどこまで持つか、危うい賭けが続く。
そのあたりはセレーネも薄々気づいているようだった。
「不死身……ではないわよね、さすがに」
「まあ、そりゃあね。限界はあるよ」
ピーノに隠す理由はない。
ふうん、とセレーネが戦いの最中らしからぬ相槌を打つ。
「じゃあ限界が来ればどうなるのかしら。興味深いわ」
「別に、普通だと思うよ。たぶん骨も残さず灰になるだけ」
世間話のようにピーノが軽く口にした。
だがこの返事に激しく反応したのはセレーネでなく後方のハナだった。
「灰……? 灰って言ったの、今」
表情を見ればはっきりと伝わってくる。彼女は今、エリオがなぜ死んだのかをようやく理解したのだ。
その剣幕に気圧される形でピーノが声を出せずにいると、彼女はつかつかと歩み寄ってきながら叫ぶ。
「黙ってないで何か答えて!」
とうとう目の前にまでやってきたハナは、すがりつくようにして両手でピーノの服を握り締める。そして顔を埋めてきた。
「あたしたちが揃ってあいつに置いてきぼりにされてしまった、あの夜を忘れたとでも思ってるの? そんなの、エリオと一緒じゃない……。いくら兄弟同然に生きてきたからって、あんたもあいつと同じことをやろうとしてるの……?」
涙混じりの声に、ピーノも思わず動揺してしまう。
「いやだ、いやだよ……。こんなのはもうたくさんだよ」
囚われの身だったハナを助けてザニアーリ牢獄から脱け出し、暗い森を駆けた記憶がピーノの脳裏に鮮やかに蘇った。
あの時の彼女はたとえ敵であれ、死ぬのをひどく拒絶した。逃げるためという大義名分があったにも関わらず、ピーノとエリオが容赦なく他者の命を奪っていくのをよしとしなかったのだ。
褐色の肌を震わせて泣くハナの優しさを、ピーノはよく知っている。
知っているからこそ、意識が完全に彼女へと向いてしまった。背中へ腕を回して抱き締めるべきなのだろうかと気持ちが揺れ、おそるおそる手を宙にさ迷わせる。
明らかなピーノの失策だった。
ここぞとばかりに〈門〉を開いたセレーネが視界に入る。
降って湧いたような好機を逃さず、どう見ても戦意を喪失したハナごとピーノを串刺しにする軌道で突っ込んできたというのに、まったくの無防備であり手遅れであった。回避は不可能だ。
ピーノだけなら剣で貫かれても〈超速回復〉で事なきを得る。
だが、このままだとハナは助けられない。
◇
傍観者としての油断など微塵もなく、トスカはその瞬間を待ち続けていた。
セレーネが動く、と察知した時にはすでに地面を蹴り、戦場となっている広場へと飛びだしていく。後のことなど考えておらず、彼女の〈門〉も全開である。
フィリッポからの制止の声さえ追いついてこられないほどの速さで、短剣を構えたままセレーネへと交錯するであろう地点まで一直線だ。セレーネの刃がハナという少女ごとピーノを突き刺すよりも、ほんのわずかにだがトスカの方が先を取る。
手出しをしてほしくないピーノの願いを踏みにじってしまうが、こればかりは仕方なかった。彼女が夢で見てしまった未来は、どれほど足掻いてもその構図自体を変えることはできない。ピーノだって結局は炎に包まれてしまった。
なら、と風を切り裂いて駆ける一瞬にトスカは思う。
自分の手で親友であるセレーネの心臓を貫くのも、予告されていた未来だ。他の誰かにその役をやらせるよりはよほどいい。
「一人で逝かせるつもりはないから」
そんな呟きがセレーネの耳に届いたかどうかはわからない。
たしか夢ではトスカの頬を涙が伝っていたはずだが、こんな人間離れした速さでは泣くことさえできない。
少しは未来を予知する夢に抗えたのだろうか、と考えたのも束の間、神速の域にあった二人の少女はとうとう衝突地点へと到達した。
セレーネの剣の切っ先はハナに届かず、トスカが握る短剣は親友の胸を横から深々と突き刺して。