灰にはならない
考えを巡らせる時間だけは充分にあった。
眠ることのできない長すぎる夜を過ごすため、それはいつしか自然とピーノの習慣になっていったのだ。
思考は常にたった一つの出来事へと収斂していく。ハナと二人で待ち続けたあの日あの夜に、エリオとニコラはどのように戦い、そして決着したのか。
異形の姿となってピーノの前に現れたニコラは、途切れ途切れに「一欠片も残さず、エリオの肉体は灰となった」、そのように告げていた。黒い長衣を特徴とするセス教の僧服だけが形見だ、と。
片や灰となって散ったエリオ、片や異形と化して元に戻れなかったニコラ。
二人が死んだ今となっては、正確な答えを知る術はもはやない。ただ、彼らが自身の生命力をどう使おうとしていたのか、思考の残滓をたどっていくことは不可能ではないはずだ。そのための手掛かりはもらっているのだから。
他の〈名無しの部隊〉の誰でもない、あの時あの場所にいたピーノがやらねばならないことである。
エリオの死、そしてハナとの決別以降、ピーノの肉体は生命力が微量ながらも絶えず漏れ出ている状態といってよかった。
寝ても覚めても二人の最後の戦いを考え続けていたある時、ピーノは不注意で負った指の小さな切り傷が、瞬時に治癒したのを目の当たりにする。このありふれた出来事をきっかけにして、すべてが連鎖的に繋がっていった。
「自身に秘められた膨大な生命力を、エリオは治癒へと回したのか」
その結論へたどり着くまでに、どれほども時間はかからなかった。便宜上、ピーノはこの治癒方法を〈超速回復〉と名付けることにする。
切り札がある、と彼が口にしていたのもこれなら納得がいく。単純な戦闘能力だけならまだニコラに及ばないのを自覚しつつ、持久戦へと持ちこんで粘り勝ちする腹積もりだったのではないだろうか。
重傷を負わされても、即座に〈門〉を開き負傷箇所へ生命力を流しこむ。まさしくエリオのみに許されたような戦い方だ。
ならばもう一方のニコラはどうか。
エリオの目論見通りに持久戦となってなお、最終的に生き残ったのは彼だ。もっとも、あの異形となった姿を「生きている」と形容できればの話だが。
常軌を逸したニコラの変貌にも隠された秘密があるのは間違いないだろう。おそらく生命力のやり取りによって引き起こされた現象ではないか、とピーノは推測する。ただしエリオの場合と違って、こちらにはまだ確信を持てないでいた。
いずれにせよ、すべての鍵は自身の内側で眠っている生命の力だ。
ピーノにはあの二人ほどの圧倒的な才覚はない。そんなことは誰よりもピーノ自身がわかっている。
けれどもある一点において、ピーノは彼らを凌駕する。ニコラも認めた、精緻な制御がそれだ。荒れ狂う生命の奔流を、指先で羽虫を殺さずに摘まむような繊細さで操ることがピーノにならできる。
眠れなくなった原因である生命力の漏出は、考えようによっては好都合でもあった。常に体から漏れ出ている生命力をごく薄い膜として全身に纏わせ、どこかが途切れるような事態が起こればすぐに修復作業を行う。しかも自動で。
潜在的な生命力に恵まれたエリオとは異なるやり方のはずだが、意図していることはたぶん同じだ。随分と時間が経ってしまった今になって、やっとピーノにも理解できた。
護るのだ、大切な人たちを。ただしエリオのように灰となってはならない。それでは自分を和平の駒にすることができなくなるし、すべてを敵に回したに等しいハナとセレーネを庇うことだってできなくなる。
焼かれても斬られても貫かれても、裸になってもみっともなく足掻いても、何としてでもこの世界に踏みとどまるのだ。
そして、彼女たちに自らの意思で攻撃のための刃を手放してもらわなければ。
◇
戦いの火蓋が切られたのは、セレーネの鋭い斬撃によってであった。
甲高い音と火花が弾け飛び、細長い鉄棒でピーノもどうにか受け流す。
セレーネの後方ではハナが再度の舞踏を披露せんとしていた。即席の組み合わせではないかと推測していたが、意外にも彼女たちの呼吸はぴたりと合っている。
相手は〈名無しの部隊〉にあって屈指の実力者だったセレーネ、そしてこの大陸で唯一となる舞踏魔術の使い手ハナ。
先ほどセレーネは「勝ちを信じて疑っておらず、傲慢」だと詰ってきたが、とてもじゃないが迎え撃つピーノに余裕などさらさらない。彼女の買い被りすぎだ。
自身の命を賭け金代わりにした、必死の綱渡りが始まった。