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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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勝利条件

 張り詰めているのか、弛緩しているのかさえよくわからない空気の中、これ見よがしなため息とともに口を開いたのはセレーネだった。


「なるほど。呆れた、とんだ茶番ね」


 しかしハナには彼女の言わんとしているところがわからない。

 今、目の前で起こったのは常識の埒外にある結果だ。ハナの舞踏魔術によって繰りだされた炎をピーノが真正面から受け、にもかかわらず彼は平然としている。およそ生き物の範疇であるならば、あり得るはずがないのだ。


 いかにも機嫌の悪そうな物言いだったセレーネだが、なぜか表情は柔らかい。


「性格ってのは案外変わらないものよね。情緒に乏しそうに見えてその実、とても仲間想いなのはかつてと同じ。懐かしいわ、とても」


「誰のことを話してるの? まさかぼくだなんて寝言はやめてほしいな」


 対するピーノは辛辣だ。けれども先ほどまでとは声音が異なり、こちらを煽ってくるような余裕のある調子ではなくなっている。

 もちろんセレーネもそのことを見抜いているのだろう、口元に手を当てて涼やかに微笑んでいた。


「もういいのよ、そういう下手なお芝居は。見るに堪えないもの」


 それから彼女が静かに頭を下げた。


「まず私の方から謝っておきましょう。あなたとエリオがハナを連れて帝国から逃げだした際、背景となった事情も内に秘めた感情も見抜けず、ただ闇雲に我が儘を言って困らせてしまったのだから」


「そんな昔のことは、とっくに忘れた」


「はいはい、嘘つき。あなたたちを引き止めなければ、もしかしたらルカに訪れた結末だって変わっていたかもしれない。彼が二度と戻ってこなかったのは、あなたたちに戦いを挑んで敗れたからだってことくらい想像がつくわ」


「──いい加減やめなよ、耳障りだ」


「きちんと埋葬してあげたのかしら、それとも野晒しかしら。でも気に病むことはありません。きっと彼は仲間たちの誰よりもあなたたちを強く恐れ、憎しみ、憧れていたはずです。いわば望んでいた死を手に入れたのでしょうから」


 ルカという少年の死はハナにとっても無関係ではない。彼女が狙われたことでエリオを激高させ、結果として殺意はルカ自身に跳ね返ってしまったのだから。

 一人残って埋葬を引き受けたピーノも、そのときのことを自ら話したりはしなかった。思い返せばエリオとピーノはずっと、あの少年の死を引きずり続けていたに違いない。

 案の定、この話題を嫌ってピーノが小さく両手を上げている。


「わかった、わかったよ。だからもうルカの話はやめてほしい」


「では、ちゃんとハナに謝ってあげてくれるかしら。さっきのあなたの言葉はどういう意図であれ、旧友に対するものではありません」


 え、とハナは慌ててセレーネへと顔を向けた。


「意図って……」


「あれはわざとなのよ、ハナ。あなたと私の攻撃対象を、どうにかしてピーノだけに限定させるためのね」


 ピーノの言動に対する違和感の正体を、セレーネは端的に説明してみせる。

 他ならぬピーノ自身が彼女の解説を「その通りだよ」と肯定した。


「ごめんね、随分と汚い言葉を投げつけてしまって。どこかでエリオのやつが聞いていたら、顔の輪郭が変わるくらいまでぶん殴られるだろうなあ」


 きみの耳飾り、とピーノが指摘してくる。ハナの左耳にはエリオから贈ってもらった、涙の形に似た深い青色の耳飾りが揺れていた。

 とっさに手で耳ごと覆うが、考えてみれば隠す理由などない。不意を突かれたことによる、子供じみた照れ隠しに過ぎなかった。

 苦笑しつつピーノが言う。


「本当によく似合っているよ、妬けるくらいにね。ハナならどういう装身具が似合うか、エリオにはちゃんとわかっていたんだねえ」


「あら、歯の浮くような台詞を言うようになったじゃない」


 横からセレーネが混ぜっ返してきた。


「娼館の女性たちにはそういうことまで叩きこまれるのかしらね」


「別に。このくらいは普通じゃないかな」


「どうやら常習犯みたいね。トスカも大変だわ」


 朗らかな声とは裏腹に、セレーネは腰からすらりと長剣を抜いた。


「さて、旧交を温めるおしゃべりも程ほどにしておきましょうか」


「まあ、そうなるよね。でもその前に」とピーノも動じない。


 すぐにでも戦闘が始まってしまいかねないのを肌で感じながら、息を呑んでハナは続く彼の言葉を待つ。

 おもむろに人差し指を立て、ピーノが言った。


「一つだけお願いがある。お互いの勝利条件をきちんと決めておきたいんだ」


 しかしこの提案にはセレーネも首を捻る。


「勝った負けたの判定って、そんなに難しいものだったかしら」


「そりゃもちろん。戦いを避けられないからこそ、終着点の認識は共有しておくべきじゃないかな」


「ふうん。まあいいわ。なら、あなたの意見を聞かせてもらえる?」


「簡単な話さ。きみたちとしてはとにかくぼくを打ちのめせばいいんだよ。生死だって問わない。ただし、ぼく以外の誰にも決して手を出さないこと。ぼくとだけ勝負をしてほしいんだ」


「あら、じゃあトスカたちはどうするつもりなの? 劇場の特等席で派手な演出の舞台を観覧しているだけとでも?」


 そんなバカな話があるものか、とでも言いたげな口調のセレーネだ。

 けれどもピーノは力強く頷いた。


「そうしてもらうつもりだよ。トスカであれダンテであれフィリッポであれ、破った場合は当然ぼくの負けだ」


「そんなの、結局はただの口約束でしかない」


 ここで再びハナも二人の会話に割って入る。


「律儀に約束を守ってあんたに勝ったところで、保証なんて何も──」


「いいのよ、ハナ。敵陣に乗り込んできた時点で私たちが不利なのは自明のこと。別に何も問題はないわ。ピーノが適当な時間稼ぎをしていたって、最後にはすべてを蹴散らしてやればいいだけ。そうでしょう?」


「嘘じゃないのになあ」


 やけに子供っぽい表情を見せたピーノが、今度はもう一方の人差し指を立てる。


「あともう一つ付け足しておくね。ハナにセレーネ、ぼくにきみたちを攻撃する意思はない。そちらからの猛攻を避けて捌いて、たとえ致命傷を受けても回復させて凌ぎ切る、ただそれだけだから」


 この発言にハナは空恐ろしさを覚えた。手出しせずに勝つ、要約すれば彼が口にしているのはそういうことだ。

 かつてピーノが身の丈に合わない大言壮語を吐いたことなど、一度たりともハナの記憶にはない。ひょっとして自分たちは、敵に回してはいけない相手と戦おうとしているのではないか。

 だがセレーネの反応はまったく異なっていた。


「とことん舐めくさっているわね……。勝ちを疑わないその態度が、ニコラ先生に似て傲慢だってさっきから言ってるんでしょうが!」


「やってみなよ。先ほどこちらの手の内は明かしてみせた。公正だろ? きみたちの心が折れて戦意を無くしたその時こそ、ぼくの勝利だ」


 不敵に告げたピーノがようやく剣を抜く。

 いや、剣に見えた得物は単なる鉄の棒だ。まさしく彼は言葉通り、最初から攻撃を捨てて防御に特化し、この戦いへと臨んでいたのだ。

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