炎の夢とその答え
夢で見た光景そのものだった。十一歳の頃に見た、とびきりの悪夢。
突如として広場に現れた業火に包まれ、ピーノの体が燃えている。
「わああああ、あああ、ああ、ああああ!」
半狂乱で絶叫するトスカは彼の救出に向かおうとしているのだが、後ろからフィリッポによってがっちり羽交い絞めにされて動けずにいた。
「落ち着くんだトスカ! ここは堪えて待て!」
呼びかけてくるフィリッポの声にも、いくらか焦りの気配はある。
二人は政庁の隣にある議事堂の陰で様子を窺っていたのだが、粉塵による煙が晴れてピーノたちの姿が目視で確認できると思ったらこの有様だ。
「ふざけるな、ピーノが死んでもいいのか!」
「いいわけないだろ!」
互いに怒鳴り合う。トスカにしてみれば、フィリッポのとった行動はあまりに理屈に合っていない。ピーノの死を受け入れているのでもなければ説明がつかないではないか。
さらにフィリッポは不可解なことを口走る。
「あえてなんだよ、あえてピーノは今のを食らったんだ!」
トスカを抑える力は緩めず、フィリッポがその先を続けた。
「実際目にすると明らかにやばそうではあるが、これもピーノの計算の内のはずなんだ。彼が言っていたことを信じるなら、だけど」
「そんなの……わたしは一切聞かされていない」
獣が唸っているような声でトスカが呟く。
「そりゃそうさ。おれと君とでは、ピーノから託された役割も異なるからね」
「役割って、いったい何の話を」
「とにかくほら、ピーノの方をご覧よ」
彼に言われるがまま、トスカは広場中央のピーノを注視した。もちろん平静を保てるはずもなく、上下の歯が噛み合わずかちかちと音が鳴り続けている。
やっと収束していく炎の中から、ピーノの姿がはっきりと現れた。
服はすべて焼かれて全裸になっているが、まるで何事もなかったかのように普段と変わらず佇んでいる。
いや、炎の影響は残っていた。左足だ。膝から下が黒焦げとなっており、傍目には燃え尽きた炭と区別がつかない。あれでは歩くことも覚束ないどころか、次の瞬間には粉々に崩れ落ちてしまいそうではないか。
しかしその左足も急速に元の状態へと戻っていく。
「どうなってるの……」
呆然とするトスカの視線の先で、復活を果たした当のピーノは間延びした声で「ダンテぇ」と政庁に向かって呼ばわった。
政庁の二階から顔を出したダンテも「おう、服だな」と心得たように頷く。
彼の手によって一揃いの服が広場へと雑に投げつけられるが、当然の成り行きで風に乗って散らばってしまう。
全裸のままでピーノが一つずつ丁寧に拾っていくのは、先ほどまでの緊迫した空気にそぐわぬ間の抜けた光景だ。逆に異様でさえある。
「ちょっとだけ待ってて」
さすがにセレーネともう一人のハナという少女も呆気にとられている中、微塵の照れも見せずにピーノは堂々と、そして素早く着替えを済ませた。
安堵のため息を漏らしつつ、フィリッポが言う。
「心臓に悪いな、まったく。上手くいってよかったよ」
もう大丈夫だと判断したか、ようやく彼はトスカを解放してくれた。
振り返ってみるとフィリッポが訳知り顔をしているのが癪に障り、腹立ち紛れに「さっさと説明して」と吐き捨てた。
「さっき言ってた、役割の違いって何」
「ああそれか」
思い出した、みたいな彼の表情がまたトスカを苛立たせる。
「トスカ、君は自分がセレーネを止めなければとだいぶ思い詰めている。君たちの関係を鑑みれば仕方のないことなんだけど、ピーノもしきりにその点を危惧していてね。まあそんなわけだよ」
「だから、どういうわけかって」
「最後まで聞きなってば。おれが任されたのは君を止める役さ。ピーノはさ、彼女たちをただ止めるんじゃなくて助けるつもりなんだ。最悪の事態になったと判断するぎりぎりまでは、黙って彼の戦いを見守っていてほしいとお願いされてる。だからセレーネと刺し違えてでも、なんてのは無しで頼むよ」
なぜ自分がフィリッポと二人一組だったのか、トスカにも謎が解けた。
相性がいいとも思えないこの組み合わせは効率が悪いと感じていたが、要請してきたピーノにははっきりとした意図があったのだ。
「わかってくれた?」
「ええ。だからもうわたしの体には触らないで」
腰から鞘ごと外した長剣を、そのままフィリッポへと放り投げた。これを渡しておけば安心するだろう、と考えてのことだ。
受け取りながら彼は軽口を叩く。
「触らせるのはピーノだけなんだからぁ、ってことでいい?」
「この場で切り刻まれたいのならはっきりそう言って」
今すぐにやってあげるから、と言い放つ。
装備している武具は何も長剣だけではない。常に短剣は携えているし、トスカはむしろ長剣よりも短剣の扱いに長けていた。
状況が予断を許さない以上、たとえピーノの望みであろうと、自身の行動に制限がかかるのだけは避ける必要がある。
長剣程度の犠牲でフィリッポの警戒を解けるなら、充分に許容範囲だ。