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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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夜と朝の境目

 マダム・ジゼルの館における非公式の和平交渉は、ピーノのタリヤナ教国行きをキャナダインが受諾して間もなく散会となった。彼の体力的な都合によってだが、そもそもスイヤールまで足を運べるような状態ではないのだ。

 しかしキャナダインの執念は凄まじく、明晩も同様の会合を開きたいという。


「国家同士の正式な会談たるもの、始まるまでにすべて終わっていなければなりませんのでな……!」


 レイランド王国外相代行のボイドも、タリヤナ教国の正使と副使であるニルーファルとメフラクも、鬼気迫る彼の前では応じるより他なかった。


       ◇


 深夜にようやく応接間から出てきた面々を、まるで待ち構えていたかのようにイザークが出迎える。

 先んじてマダム・ジゼルが口を開いた。


「進展はあった。今話せるのはそこまでだよ」


「なに、充分だ。ところでピーノ、野暮用があるんでちょっと来てくれるか」


 手招きで彼に呼ばれたピーノは、請われるままに場所を移動する。

 周囲に人がいなくなったのを確認するや否や、イザークが耳打ちしてきた。


「先ほどセレーネが現れたそうだ」


 その名前を聞いて、ピーノは自身の推測が的外れでなかったのを理解する。同時にハナの美しい笑顔が脳裏に浮かんだ。


「じゃあ悠長に話している場合じゃ──」


「落ち着け。声が大きい」


 ピーノを窘め、ささやくような小声で話を続ける。


「ダンテが不意を突かれて軽傷を負い、その直後にトスカが追いかけたが拘束はできなかったようだ。もちろん説得もな」


 そしてイザークはピーノの両肩に手を置いた。


「おまえ、彼女に声をかけてやれ。俺でもわかるくらいに落ち込んでいる様子だったからな。ここで情緒不安定になられると戦力として計算できん」


「乾いた言い方だね」


「何とでも言え。おれはそういう男だ、知っているだろうが」


「どうだろ。ぼくの中のイザークはとても女性に優しい人なんだけどね」


「ちっ、減らず口を叩きやがる。ジゼルやコレットに似てきたな」


 イザークに求められずとも、セレーネと会ったとなれば当然トスカから話を聞かねばならない。だがおそらく、イザークの心配は見当外れだ。


 ピーノはトスカの覚悟を知っている。

 セレーネとどのような対話が行われたのかは本人の口から聞かなければならないが、いずれにせよ決裂したことだけは間違いなさそうだ。となればトスカはより一層、自らの手で友人を止める決意を固めただろう。

 むしろピーノにしてみれば、そちらの方が不確定要素となってしまう。

 一両日中にフィリッポやダンテと相談しておく必要があるな、と頭の中で慣れない策を巡らせる。


       ◇


 明くる朝、まだ太陽が昇りだしたばかりの早い時間とあって、マダム・ジゼルの館は寝静まったままだ。

 考え事をしながらぶらぶら館内を歩いているピーノも、さすがに誰かに出くわすとは思っていない。知らず知らずのうちに背が丸まり、目線も下へ向く。

 だから声をかけられるまでナイイェルの存在に気づけなかった。


「おはよう」


 窓から薄暗い外を眺めていた彼女からの挨拶に、驚いたピーノは弾かれたように勢いよく顔を上げた。

 ナイイェルとはマダム・ジゼルと一夜を過ごした件で行き違いとなったまま、何の言い訳もできていない。

 二人きりの状況に少しばかり気まずさを覚えるが、ともあれまずは挨拶だ。


「おはよう……」


 早起きだね、と口にしてからピーノはもう一つの可能性に思い当たる。


「もしかして眠れなかった?」


「まあね。でもこのくらい平気よ」


 両腕で伸びをしながら彼女は答えた。

 その表情にわだかまりはなさそうに見える。けれどもピーノにはこういう時にどんな会話をすればいいのか、いまだによくわかっていない。

 さらりと流して立ち去ればいいのか、それともいい機会だと捉えて過去の弁明を試みるべきなのか。

 後者だ、とピーノは決心した。


「あのさ──」


「ニルーファル様から聞いたよ」


 ただ間が悪いことに、互いの言葉が被って出鼻を挫かれてしまう。


「ん? ピーノも何か言いかけた?」


「いや、特に」


 そのまま続けて、と彼女へ先を促す。

 わずかに首を傾げたナイイェルだったが、気を取り直したように「なら」と姿勢を正した。


「昨夜の会議の後、ニルーファル様がえらく上機嫌でね。答えが返ってくるとは期待せず理由を訊ねてみたら、うっかり口を滑らせたのよ。もっとも間髪入れずにメフラク様から厳しく咎められていたんだけど」


 そこまで言ってから一呼吸置き、ピーノと真っ直ぐに向き合った。


「タリヤナ教国へ行くんだね」


 ナイイェルはピーノから視線を外さない。

 返答を探すピーノの脳裏に様々な言葉が浮かんだが、その大半は口の軽いニルーファルを詰るものだ。

 できればマダム・ジゼルとコレット以外には、ぎりぎりまで隠しておきたかったが仕方ないだろう。軽率なニルーファルが悪い。


「今すぐにってわけじゃないよ。いろいろなことが解決したらふらっと行って、楽しんでくる。どうやら歓迎してくれるみたいだしね」


 最後でいくらかニルーファルへの皮肉を込める。帰ってこられる見込みがほぼないことは伝えなかった。

 しかしナイイェルの表情は、無反応といっていいほど変わらない。怒っているわけではまったくなく、真剣な顔つきのままだ。

 しばらく沈黙の間があったが、「あのね」と口に出した彼女は目を逸らす。


「ニルーファル様にはその場で伝えたんだ。わたしも付き添います、って。マダム・ジゼルにも起きてきたら話すつもり」


 すぐにはピーノの理解も追いつかなかった。

 ようやく「え? どういうこと?」という間の抜けた声が出て、驚きを隠せぬまま問いかけた。


「付き添うって、タリヤナまで? ナイイェルが?」


「他に誰がいるの」


 銀髪に少し隠れた彼女の白い頬が、ピーノの目にはほんのり紅く染まっているように映った。


「だってピーノ、タリヤナへは足を踏み入れたことがないんでしょう? だったらわたしも一緒の方が安心できるじゃない」


 きっとそう、とナイイェルは久しぶりの笑顔を見せる。

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