いつだって大事なことは夜に決まる〈3〉
六人を応接間に残し、音を立てて扉が閉まる。
入室したのがレイランド王国外相のキャナダインと、半身を支えながら付き添うマダム・ジゼル。この場においてはシャーロット・ワイズと呼ぶべきだろう。
ピーノも彼女の代わりに介添え役を申し出たのだが、二人によってあっさり「気遣い無用」と一蹴されてしまった。ならば、と警護役へ徹することに決めた。
一方、室内で出迎えたのはタリヤナ教国外交使節団の正使であるニルーファルと副使のメフラク、レイランド王国側は外相代行を務めるボイド。そして双方をもてなしていたコレットは入れ替わりとなって退室し、ナイイェルやトスカとともに別室で控えているはずだ。
「よくぞこちらまで足をお運びいただきました、キャナダイン殿。再びあなたにお目にかかれてうれしく思います」
ニルーファルが流暢にレイランド王国の言葉を操る。誇り高いはずの彼女だが、ここは病を押してやってきたキャナダインへの敬意を行動で示してみせた。
「大陸中に隠然たる影響力を誇るデ・フレイ殿が同席されないのは残念ですが、しかし今夜は必ずや実りある会談となりましょう」
「おお、おお、まさしくニルーファル殿のおっしゃる通り。ぜひともお互いに大きな実りを手にして、両国が共に栄える道を歩んでいきましょうぞ」
応じるキャナダインの声には、かつてのような張りが戻ってきている。政治家としての使命感が彼の生命力を腹の底から絞りだしているのだろうか。
ピーノを除く全員が着席する中、胡乱な目を向けてきたのはボイドであった。
「時にキャナダイン様、無礼を承知でお訊ねします。なぜそのような平民の少年をお連れになっているのですか」
今すぐに叩きだせ、と言わんばかりの調子である。
もちろん、自分だけが場違いであるのはピーノとて百も承知だ。
いかにキャナダインやシャーロットの意向といえど、ボイドやニルーファルたちが反対するのであれば立ち去るしかない。
だがタリヤナ側を代表してメフラクが朗らかに答えた。
「これはボイド殿、異なことをおっしゃいますな。ウルス帝国皇帝を暗殺し、人知れず先の大戦を終結に導いたのはそこのピーノ少年ですよ」
「──何と、この少年だったか!」
細い目をいっぱいに見開き、ボイドはピーノに向かって「大変な失礼をした」と頭を下げる。
「あの暗殺成功がなければ、今も我々は帝国との泥沼のごとき戦争に明け暮れていた可能性が高い。心より感謝する」
「いや、お礼の言葉は別にいらないよ。必要に迫られて受けただけだし」
「何を言う。それでは私の気が済まぬのだ」
ボイドという男が堅苦しいほどに生真面目なのはよくわかった。鷹揚なキャナダインとはなかなかに好対照であるが、だからこそ二人は上手く噛み合っているのかもしれない。
ここでニルーファルが割って入ってきた。
「戦場で猛威を振るった例の部隊、確か〈名無しの部隊〉だとか〈帝国最高の傑作たち〉などという名で呼ばれておりましたか」
どうやら今夜はそのままレイランド王国に合わせた言語で通すらしい。
あえてだろうか、抑揚のない声で彼女が続ける。
「まず最初に申し上げておきましょう。我がタリヤナとレイランド王国の間には数々の懸案事項があります。が、それらのほとんどは時間をかけて交渉を重ね、落としどころを探っていけるはずです。現に今回、ボイド殿ともいくつかの点で合意をしておりますので」
ニルーファルの発言がどこへ向かうのか、場の空気は少しずつ張り詰めたものへと変わろうとしていた。
「キャナダイン殿、あなたがお見えになったことでようやく最大の問題点について切りだすことができます。よろしいですか?」
「伺いましょう」
短い返答にニルーファルは小さく頷き、そして言った。
「ピーノくんと同じく例の部隊にいた、ダンテ・ロンバルディなる少年を匿っておられるそうですね」
彼女はじっとキャナダインの目を見据えている。
その圧力に抗しきれなかったか、キャナダインがやや薄くなった頭髪をかき上げて大きく息を吐いた。
「これは参りましたなあ」
あっさりとニルーファルの指摘を事実だと認めてしまった。
「さすがはタリヤナ教国、お見事です。私たちが想定していた以上に優れた諜報力をお持ちのようだ。はっはっはっ」
は、と笑い終えたところでキャナダインはまたしても激しく咳きこみだす。
慌てて手を貸そうとするシャーロットを弱々しく手で制し、咳が収まるのを待ってから対話を再開する。
「や、失礼を。ダンテのことまでご存知となれば、むしろこちらとしても腹を割って話ができますな。いい機会だ」
重大な秘密が露見したはずなのに、キャナダインにはほとんど動揺した様子が見られない。呑気なほどに前向きだ。
そんな彼へボイドが「この件、さすがにキャナダイン様といえど越権行為ではありますまいか」と噛みついた。
「もし国王陛下の御耳に入れていれば、現在の方針もまた違ってきたはず──」
「だからこそ明かさなかったのだよ」
考えてもみよ、とキャナダインが淡々と告げる。
「〈名無しの部隊〉の強さを肌で知る王国軍が、ダンテの生存と秘匿を知ったらどうなると思うね。誰にだって想像がつく。ある程度は処刑を要求する声も上がるだろうが、最終的には軍の尖兵として戦場へ駆りだされるはずだ」
「そうなればレイランド王国とタリヤナ教国の間の和平など、夢のまた夢でしかありませんものね。加えて今のダンテ・ロンバルディなる少年はセス教徒として、他の修道士とともに日々祈りを捧げて暮らしているとも聞き及んでおります」
相槌を打ったのはシャーロットだ。彼女の柔らかい声が、重苦しさを増す部屋の空気に一瞬の清涼をもたらした。
双方改めて仕切り直す形となり、今度はニルーファルが口を開く。
「軍人の性として、一騎当千の強者を匿っているとなれば戦場で暴れさせてみたくなるものです。けれども我々はそのことに対してさほど脅威を感じておりません」
「ほう?」と興味深そうにキャナダインは前傾姿勢となった。
「あくまで私個人の見解ではありますが、これより先の戦争はより大規模となり、兵器も発達していくでしょう。効率よく大量の敵を殲滅できるように。そんな戦場にあっては、一兵士の強さが影響を及ぼせる範囲などどんどん縮小していくのではないでしょうか」
「ううむ、なるほど。事実、どの国であれ昨今の兵器開発の速度には目を見張るものがあります。もはや武勇を誇る兵士が功を立て──などという時代は過ぎ去ろうとしているのかもしれませんね」
ボイドが唸っているのをニルーファルがちらりと見遣る。
だが次の瞬間には、彼女の視線はなぜかピーノへと向けられた。
「ですが此度、図らずもピーノくんが身をもって証明してしまったのです。少数精鋭の兵士が敵国へ潜入し、その指導者の暗殺を遂行することで戦争を優位に終わらせることができるのだと」
ニルーファルを含め、この場にいる五人の目が一斉に同じ方向を見る。
鋭利な刃で突き刺されたような衝撃とともに、ピーノはほんのわずかに後ずさってしまう。まさかここで自分が話題の中心になろうとは。
ずっとニルーファルの傍らで沈黙を守ってきたメフラクが、ようやく「ま、そんなわけですよ」と肩を竦めた。
「うちの上も随分と怯えていましてね。いつ何時、自分がランフランコ二世みたいになるかわかりゃしないってなもんです。とてもじゃないが口約束なんかでは納得してくれそうにありませんな」
「最低でもダンテ・ロンバルディをレイランド王国から国外退去とし、以後も中立国において常時監視下に置くこと。これが我々の提示する条件です。彼の処刑までは望みません。交渉決裂が確実になるだけですので」
タリヤナ側の言い分に激高したのはボイドだ。
「処刑は論外だが、そんな条件だって呑めぬ! この大陸のどこに自ら優位性を手放す国があるというのだ!」
立ち上がって叫んだ彼へ、キャナダインが「落ち着き給え」と穏やかに促す。
このままの展開では落としどころがなかなか見つかりそうにない、先ほどにも増して刺々しい雰囲気だ。
けれどもピーノには不思議で仕方がなかった。妥協案とはいえ、とても簡単な解決策があるというのに誰もそれを口に出そうとしないことが。
「皆様、新しいお飲み物をお持ちいたしましょう」
再び空気を変えようとしてかシャーロットが席を立ち、扉を開こうとする。
その前にピーノは言った。
「別にダンテはそのままレイランドにいていいと思う。ぼくがタリヤナへ行けば、それで問題は解決するんじゃないかな」
結果的にどちらも身動きがとれなくなるから、と。