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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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いつだって大事なことは夜に決まる〈2〉

 挨拶を済ませた(のち)、さりげなくキャナダインの手をとってマダム・ジゼルが微笑んだ。ピーノもほとんど目にすることのない、仕事用の笑みである。といってもその差異など、館で暮らす者たち以外にはまったくわからないだろう。


「いやですわ、キャナダイン様ったら。もう私は『嬢』などと呼ばれるような年齢ではございません」


 今夜ばかりは彼女もシャーロットの名で呼ばれることを否定しない。

「やれることはすべてやる」と言っていた通り、ゴルヴィタ共和国統領の息女であった過去を最大限に利用し、シャーロット・ワイズとして和平交渉の立会人を務める腹積もりなのだ。


「そう、ですか。ならば──」


 何事かを口にしかけたキャナダインだったが、突然激しく咳きこんでしまう。今にも前のめりになって倒れてしまいそうな勢いだ。慌ててマダム・ジゼル改めシャーロットもアドコックとは逆側へ回って半身を支える。

 しばらくしてようやく咳も止まり、キャナダインはまずシャーロットへ、次いでピーノへと視線を送ってきた。眼光だけは以前に会った時と変わらず、衰えた肉体には不釣り合いなほど鋭い光を放っている。

 けれども続いて彼が語った言葉は、肉体だけでなく精神も老境にあるのを強く感じさせるものであった。


「何としても私は貴女に、そしてピーノくんに報いねばなりません。こちらの都合と不手際によって随分と多くのものを失わせてしまったのですから」


 つまらないことを、と内心でピーノは思う。謝罪めいた言葉をもらったところで意味などないし、そもそもが筋違いなのだ。

 ウルス帝国皇帝ランフランコ二世の暗殺依頼を念頭に置いて話しているのだろうが、あくまで受諾の意思を決定したのはピーノとエリオとハナだ。絶対に他の誰かの責任などであってたまるものか。そんなのはエリオの死を汚す行為でしかない。


 彼が見つめる先で、シャーロットもわずかに(かぶり)を振った。


「いいえ、キャナダイン様」


 老外相を支えながらも、彼女の佇まいは凛としている。


「私には私の為すべきことがあるように、レイランド王国外相という重責を担っていらっしゃるキャナダイン様にも、やはり為すべきことがおありでしょう。つまらぬ感傷など今はご不要かと存じます」


「やあ、これは手厳しい」


 口ではそう言いながらも、キャナダインの表情はなぜかうれしそうだ。心なしか血色も少しよくなったように映る。


「さ、参りますよ」


 タリヤナ教国の方々もお待ちでございますので、と先を急がせた。

 従者のアドコックは丁寧ながらも舌鋒鋭いシャーロットの対応にやや苦い顔つきをしていたが、ダンテやイザークは含み笑いをしているようだ。


 シャーロットとアドコックによって両脇から支えられたまま、奥の応接間へキャナダインはゆっくりと歩を進めていく。

 そんな中、ダンテは「おれは館の外でぶらついてるぜ」と背を向けた。


「ジェイクの爺さんが交渉の最中に興奮してぽっくり逝っちまわねえよう、適当に気をつけといてくれや」


「まったく口の悪い小僧だ。少しはピーノを見習え」


 イザークも随分と呆れているが、ダンテと比べれば誰だって品行方正として扱われることだろう。例えばエリオであっても。

 とはいえ、ダンテが冗談めいた口調でごまかしながら、自ら外の警護を買って出たのはピーノにもわかる。彼はタリヤナ教国からの使節団の前へ姿をさらすのを避けたのだ。素直でないのは初めて会った時から変わらない。


 ちなみにトスカはこの後、コレットとナイイェルに合流する予定となっている。二人とともに応接間近くの控室で待機し、両陣営の飲み物の催促から突発的な異常事態にまで幅広く備えるのだ。


 キャナダインたち三人を先頭とする一行は、ようやく応接間までやってきた。

 会話程度なら一切の音を遮断するであろう重厚な扉の前で、従者アドコックは主であるキャナダインから無念そうにそっと離れた。さすがに彼の立場では同席を許可されていないからだ。


「何とぞ、ジェイク様をよろしくお願いいたします……!」


 深々と一礼し、これからのことをシャーロットへと託す。

 小さく頷いた彼女の傍らをするりと抜けていくのはイザークだ。鉄の取っ手を握ってまず軽く扉を叩き、中からの返事を待たずにそのまま押し開けた。


「皆様方、お待たせいたしました。お見えになりましたぞ」


 イザークの登場に、思い思いの場所へ腰掛けていたニルーファル、メフラク、それにボイド外相代行が一斉に視線を向けてきたに違いなかった。

 けれどもイザーク自身は今回の会談に参加しない。


「俺の仕事は舞台を整えるまでだ。そこから先にまで出しゃばりはせんよ」


 ここまでそう何度も繰り返して結局翻意せずじまいである。裏を返せば、長い付き合いだというキャナダイン外相への信頼の表れなのかもしれない。

 今まさに足を踏み入れようとしているのは、そのキャナダインとシャーロット。

 しかし直前でキャナダインが後ろを振り返った。


「ほれピーノくん、君も早く」


「──え?」


 寝耳に水だった。

 慌ててイザークとシャーロットの顔を交互に見るも、二人にはまったく動じた様子がなかった。どうやら元からそのつもりだったらしい。

 それならそれで、事前の打診くらいあって然るべきだろうに。


「何言ってるの、重要すぎる会談にぼくなんかが参加していいわけないじゃない。そんな権利、あるはずないんだから」


「はて、おかしなことを言う。先の大戦終結に多大な貢献をした君にその権利がないのなら、いったい大陸中の誰にあると?」


 とぼけた表情でキャナダインが逃げ道を塞いでくる。

 答えに詰まったピーノはもはや嘆息とともに受け入れるしかなかった。


 そんな彼を、少し離れたところにある控室から顔を出したナイイェルがじっと見つめてきているのに気づく。いつからいたのだろうか。

 一昨日の夜からずっと怒っているであろう彼女とはまだ和解できていない。急転直下のキャナダイン来訪が伝えられたため、有耶無耶のままになっているのだ。


 この話し合いが終わればナイイェルとクロエにちゃんと謝って、仲直りしよう。

 そう心に決めてピーノはキャナダインたちの後に続く。

 舞台は前代未聞の娼館、これより大陸の命運を決するであろう会談が始まる。

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