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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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深く想う

 気づけば朝の光が窓から射しこんできている。

 少しだけ眠らせてもらうよ、とマダム・ジゼルはピーノに向かって言った。


「私の寝顔を眺めていたいってのなら、好きなだけいてくれて構わないが」


 彼女からの提案をにこやかに辞退し、流されるままに一晩を過ごした部屋からそっと出ていく。短い感謝の言葉を添えて。


       ◇


 食堂付近まで戻ってきたピーノを見つけるや否や、真っ先に飛びついてきたのはもう身支度を整えているレベッカであった。


「こんな時間になるまでマダムと何してたの!」


 幼いレベッカにまで怒られてしまうのか、と嘆息しかけたピーノだったが、彼女はその先を続けられず黙りこくってしまう。

 そして助けを求めるように後ろを振り返った。視線の先にいたのはクロエとナイイェルの二人だ。


「ちょっと待って。もういっぺんやり直す」


 レベッカはあっさりピーノから離れ、クロエたちのところへ小走りで駆け寄っていった。

 かがみこんだクロエとナイイェルによって念入りに耳打ちされ、その都度レベッカは「ふんふん」と力強く頷いている。要は伝言役だったわけだ。


 事情をわかっていないレベッカを駆り出すなんて、と呆れ半分にピーノは成り行きを見守っていた。だからといってこの場を立ち去るわけにもいかない。

 理不尽な叱責、ただの罵詈雑言、諸々ひっくるめて受ける覚悟はできている。女性ばかりの館で暮らしている以上、自分に疚しいところがなかったとしても多少の譲歩はやむを得ないのだ。思い返せばマダム・ジゼルからの助言も「黙って怒られてろ」であった。


 ようやくクロエとナイイェルが立ち上がる。けれども明らかに意図してピーノとは視線を合わせようとしない。

 結局、先ほどと同じくレベッカだけが突撃してきた。


「ピーノ、家族に隠しごとはなしだよ。夜に何をしてたか、ちゃんとお話しして」


 それからレベッカは精いっぱい反り返ってみせた。


「あいまいな本当はゆるされない!」


 曖昧な本当って何だよ、とさすがにピーノも面食らってしまう。難解すぎる。

 世の中が単純に割り切れる出来事ばかりではないとするのを良しとせず、すべてを簡潔に明快にせよとでも言いたいのだろうか。でもなぜそのような主張を。

 頭を悩ませるピーノだったが、「おはよう」と声をかけられて我に返る。


「よかった、今日は会えた」


 トスカだ。一見すると無表情なのだが、ほんのわずかに口角が上がっているのがピーノにはわかった。

 タリヤナ使節団には悟られないよう、密かに館全体を護衛している彼女は昨夜の出来事をまったく知らないようだ。そのことに対してピーノはいくらかの申し訳なさを感じてしまう。

 レベッカとも挨拶を交わしたトスカがさらりと指摘してきた。


「今朝のレベッカ、随分と哲学的だね。でもたぶん、『曖昧な返答は』って言いたかったんじゃないかな」


「あー」


 言われてみれば納得だ。というかその解釈以外にない。

 当のレベッカ本人も「そう、トスカちゃん大正解」とうんうん頷いている。

 この調子でのやり取りだと埒が明かないな、と判断したピーノはレベッカへ折り返しの伝言を頼むことにした。今は他に優先すべき事柄がある。


「じゃあレベッカ、返事をお願いするね。いいかい、クロエとナイイェルにはこう伝えてほしい。『ぼくの口からじゃ恥ずかしくて答えられないから、マダム・ジゼルが起きてきたら訊ねてみて』って」


「わかったー!」


 元気よく右手を突き上げ、彼女は再び踵を返した。


「今のうちに席を外そう。トスカ、少し時間をもらっていいかな」


「もちろん」


 いつものように快諾してくれたトスカだが、レベッカの後ろ姿とその先にいるクロエとナイイェルをちらりと見遣って言った。


「でも大丈夫? 意思疎通に何か行き違いがあったなら、すぐにお互いの誤解を解いた方がいいと思うけど」


「問題ない。後でちゃんとするから」


「だったらいいんだけど」


 なおも心配気な様子のトスカだが、この場から遠ざかるように歩きだしたピーノは話題を変える。


「それよりもこれからの方針について、ぼくが考えたことを話しておきたいんだ」


「ピーノもなの? 実はわたしも、ある」


 控えめながらも確信を持っている口振りだ。

 なら、とピーノは先に彼女の発言を促す。並んで歩く二人は特に向かう当てもなく階段を上がり、二階から三階への途上にあった。

 最初は遠慮していたトスカだったが、ようやく意を決して口を開く。


「ずっと考え続けていたんだ、セレーネのこと。彼女ならどう動くか。わたしの知るあの子はとてもせっかちな性格で、性急に結果を求める部分があった。だから今回だって準備さえ整えば仕掛けてくるんじゃないかって」


「ああ、確かにセレーネにはそういうところがあったよね」


 肯定するピーノの相槌に、どういうわけかトスカは表情を曇らせてしまう。


「でもタリヤナ教国とレイランド王国、両方の使節団がこの街に揃っても一向にその兆しはない。いたって平和そのもの。だったらそれはわたしの見方がまだ浅い。足りない。もっと深く、深くセレーネを想わなきゃ」


 絞りだすように言葉を吐きだすトスカは随分と辛そうだが、ここで制止するわけにもいかない。黙ってピーノは続きを待った。


「たぶん、今じゃないんだ。平和なんて所詮は仮初のものに過ぎないって大陸全土に知らしめるための最も効果的な時と場所、きっとそこをあの子は狙ってくる。それがわたしの結論」


「正式に和平のための条約が結ばれる、その調印式だろうね」


 だとしたら舞台はスイヤール政庁かな、と足を止めてピーノが応じる。

 三歩ほど先に進んでいたトスカだったが、今度は驚いた顔とともに振り向いた。


「え、気づいていたの?」


「そこへ考えが及んだのはつい昨晩のことだから」


 やや自嘲気味な返答になったのは否めない。

 そもそも和平が成立していない時点で襲撃を敢行することに、戦争の継続を願うセレーネたちにとっての利がほぼないことに気づくべきだったのだ。

 勝負どころを見極めろ、とマダム・ジゼルは口にしていた。それはつまり、相手の出方を読み対処法を練れ、と言い換えられる。


 かつてニコラも「戦線の拡大に伴って間延びし、手薄になってしまった部隊は非常に脆い」と教えてくれた。現在のピーノの状況はまさにそれだ。ひと時も気を抜かず警戒し続け、心身ともに疲弊したところを襲われてしまえば万が一の敗北だってあり得る。大事な人たちを守り切り、和平への道筋を保つのはより難しい。


「昨夜ならわたしと同じだ。こういうのも気が合うっていうのかな」


 照れくさそうにトスカが微笑む。


「安心して、ピーノ。もう覚悟は決めてる。わたしはセレーネの一番の友達だからこそ、きちんと責任を果たすつもりだから」


 刺し違えてでもね、と表情とは裏腹の強い口調で言い切った。

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