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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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戦争の続き〈2〉

 落ち着いて聞いてくれ、とイザークがさらに念を押すような前置きをする。

 これほどもったいぶった話し方をする彼は珍しい。いったい誰の名が告げられるのか、ピーノとしても身構えざるを得ない。

 それでも、イザークの苦渋に満ちた声は尋常ならざる衝撃をもたらした。


「ハナだ。ハナなんだ」


 一瞬、理解が追いつかずその場で立ち止まってしまう。

 少し遅れて体の芯を貫かれたような、圧倒的な痛みがやってきた。胸の奥で何かが握り潰される音が聞こえた気がした。


 ひどく性質(たち)の悪い冗談だ。だけどピーノは、イザークがこのような場面で嘘をついたりなどしないのをよく知っている。

 呆然とするピーノへ「まず間違いないだろう」とさらに追い討ちをかけてきた。


「大陸中を駆けずり回ってみても、〈シヤマの民〉の血を引く者以外に魔術を操れる人間などいなかった。タリヤナ軍の陣営は、音もなく現れた炎の柱によって襲われ、焼け落ちてしまったそうだ。彼らはそれをレイランド軍の新兵器だと強引に解釈したようだが、そんなものはレイランドにだって存在しないからな」


「違う! だったらそれはハナじゃない!」


 人々が行き交う往来なのも構わず、ピーノが叫んだ。


「以前、ぼくとエリオはユエ婆ちゃんから聞いたんだ。〈シヤマの民〉にとって炎を扱うことは禁忌なんだって。すべてを燃やして灰にしてしまう力は、自分たちが使っていいものではない、そう言っていたんだ」


「状況が違う。ハナだけを残して〈シヤマの民〉が死に絶えてしまった今、はたしてあの子にとって禁忌を忠実に守る意味などあるのか?」


「……それは」


 イザークに問い返され、ピーノは返事を言い淀む。


「おまえでさえハナを引き留められなかったんだ。エリオを失ったあの子の傷は例えようもないほどに深く、暗いのだろう。どういう経緯でそうなったのかまではわからんが、セレーネという少女と出会い、同じ心の傷を抱えた二人が共鳴したと考えれば納得はいく」


「いかないよ……いくわけないよ」


 一歩も動けずにいるピーノには、それだけを呟くのが精いっぱいだった。


「私情を挟まずに予測すれば、ほぼ確実にハナとセレーネは和平交渉の場を狙ってくるだろう。格好の的だからな」


 やはり彼も同じ結論にたどり着いていたようだ。大きく異なるのは、そこにセレーネだけでなくハナも加わっていることであった。

 力なく肩を落とすピーノへ、イザークは柔らかく語りかけてきた。


「なあピーノ。おまえにはいろいろと背負わせすぎた、それは百も承知だ。だから今回、何も見たくないと部屋に閉じ籠ったっていいし、積極的に絡んだっていい。どんな選択をしようと、そこはおまえに任せる」


 だけどな、と続けて言う。


「いずれにせよ、結果に対する覚悟だけはしておかなきゃならん」


「心配しないで。ぼくなら大丈夫」


 ピーノの口から出てきたのは弱々しくかすれた声だった。

 それでも彼は己の内にある強い気持ちを言葉にする。


「エリオに顔向けできないような、無様な真似はできないからね。ぼくはもう、二度と間違えたりしない」


       ◇


 ここまででいい、と途中でイザークに促されたピーノは、重い足取りのままマダム・ジゼルの館へと帰ってきた。


「おー、意外に早かったなー」


 玄関前で真っ先に出迎えてくれたのはフィリッポだったが、さすがに今は相手にする気力も湧いてこない。適当にあしらってそのまま奥へと進む。

 同じく待っていたトスカから少し心配そうに声をかけられるも、大丈夫だとばかりにひらひらと手を振っただけで彼女から離れる。


 すれ違う他の女たちへも似たり寄ったりの対応でやり過ごし、館内にある自分の部屋へとやってきた。

 寝台さえも置かれていない、がらんとした空間だ。

 現状、睡眠をとることができないピーノにとってわざわざ仕事のしにくい自室を利用する必要など特にない。それでも今は一人になって心を落ち着けたかった。


 イザークに連れられて初めてスイヤールへ足を踏み入れた際も、ピーノはほとんど手ぶらに近い有様だった。

 数少ない荷のうちの一つ、それがエリオの遺した僧服である。セス教の修道士であったリーアムから渡され、以来ずっとエリオが身に纏っていた黒い長衣の僧服。

 彼の唯一の形見として、丁寧に折り畳まれた僧服は窓から離れた部屋の隅に置かれている。日に焼けてしまわないようにするためだ。

 僧服のすぐ近くにピーノはしゃがみこむ。


「ハナがさ、敵に回ってしまったってイザークが言うんだよ」


 そんなわけないのにね、とまるで在りし日のエリオに同意を求めるような口調で話しかけていく。


「安心して見守ってくれてていいから。大丈夫、今度こそ選択を間違えない」


 ピーノはセス教もタリヤナ教も信仰していない。巡礼の日々を生きる〈シヤマの民〉みたいに、自然そのものを崇めて暮らすのには共感できるが、それでも信仰の対象とはなり得ない。

 だからといって彼に祈るような想いが存在しないわけではない。まったく別の形で結実しようとしているだけのことだ。


 死んでしまった家族や仲間たち、そしてエリオへ恥じることのないよう、自身のすべてを懸けてハナとセレーネを迎え撃つ。

 かつての恩師ニコラによって半ば無理やりに覚醒させられた力を使うべき時が、再びすぐそこまで近づいているのだ。

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