戦争の続き〈1〉
マダム・ジゼルの受諾によって話し合いは終わった。
スイヤール政府の役人であるネリー・プランタンは「近いうちに細かい部分を詰めていきましょう」と告げ、表で待っていた馬車に乗り込み帰っていった。
イザークも彼女とともに馬車でやってきたのだが、どういうつもりなのかスタウフェン商会まで歩いて戻るのだと言う。
「行きも帰りも役人と同じ馬車では息が詰まるんでな。とはいえスイヤールの街を歩くのも久々だ。年のせいか、道順の記憶も曖昧になってきてる。ピーノ、おまえちょっと送ってくれんか」
ピーノとしては特に断る理由もない。素直に「わかった」と応じ、イザークと連れ立って出て行こうとする。
そんな彼の肩に手をかけたのはフィリッポだった。
「あのさあ、なるべく早く帰ってきておくれよ」
きみがいないと男一人で心細いんだから、などと言っているのをピーノは右から左へ聞き流す。まったくもってどうでもいい。
その代わり、見送りがてらにまた小さく手を振っているトスカへは、きちんと手を振り返しておいた。
◇
次の機会には一人で行き来できるよう、商館と娼館の間の道について丁寧に説明するピーノだったが、途中でイザークが不機嫌そうに遮る。
「バカ野郎、まだそこまで耄碌しちゃいねえよ。スイヤールの役人が同席していたんじゃできない話もあるからな」
「何だ、そういうことか」
腑に落ちると同時に、ピーノだけを連れ出したことから話の内容にもおおよその察しがつく。
「ところで先ほどの二人は? 見慣れない顔だったが随分と親しげだったな」
さっそくイザークは核心に近い部分から入ってきた。
だがピーノにとってもこの流れは望むところだ。どのみちイザークには伝えておかなければならない事柄なのだから。
トスカ・ファルネーゼとフィリッポ・テスタ、ウルス帝国の〈名無しの部隊〉でともに日々を過ごした二人について歩きながら簡単に触れていく。
ひとまずセレーネの件については伏せ、彼女らが訪ねてきた目的はあくまで旧交を温めるためとしておいた。
二人の素性を聞かされたイザークが少し考えこむような素振りを見せる。
「──例の部隊出身であることは、ひとまずタリヤナ側には知られない方がいいだろう。キャナダイン殿みたいに理解があるとはかぎらないからな」
イザークの言はもっともであった。
本来であれば、戦場で猛威を振るった〈名無しの部隊〉に関わった者は、全員が戦争犯罪人として裁かれていてもおかしくない。
そうならなかったのはひとえにイザーク、そしてレイランド王国外相キャナダインの尽力によるものだ。
ヌザミ湖畔で会ったきり、ピーノもキャナダインとは顔を合わせていない。だがイザークから伝えられたところによれば、帝国皇帝の暗殺を成し遂げたピーノたち三人へひとかたならぬ感謝の念を抱いていたという。
実はな、とイザークが話を続けた。
「俺が非公式の特使みたいな形で動いていたのは、キャナダイン殿たっての頼みを受けてのことでね。レイランドとタリヤナの橋渡しみたいなことをしてたのさ。覚えているか、従者のグレン・アドコック。彼がずっと護衛兼連絡役として付き添っていたんだが、それとは別にあのダンテとも何度か会ったぞ。おまえやエリオと比べると捻くれたところのある小僧だが、悪いやつではないな。キャナダイン殿へ恩義も感じているようだし」
これにはさすがにピーノも驚いた。もちろん、イザークの口からダンテの名前が出たことに対してである。
イザークの経歴を詳しく教えてもらっているわけではないにせよ、傭兵時代には〈鉄拳〉とあだ名され、現在は大陸中を股にかけるスタウフェン商会を率いるほどの男だ。タリヤナ教国から一目置かれ、交渉相手として認められたとしても何ら不思議ではない。
「両国間で突発的に開戦となったのはおまえも聞き及んでいるだろうが、当事者の証言を集めていくとこれが随分と奇妙でな。レイランドとタリヤナ、双方の話がまるで合致せんのだ」
「どういうこと?」
彼の言わんとするところがつかめず、ピーノもわずかに首を傾げてしまう。
「お互いが『相手から奇襲を受けた』と譲らないのさ。レイランド王国の場合、いきなり前線基地に襲撃を受けて将校も複数名が討たれたが、にもかかわらず誰も敵方であるはずのタリヤナ軍の人数を把握できていない。いかに少数精鋭での夜明け前の奇襲とはいえ、そんなことが起こり得るだろうか」
イザークの口振りだと、まるで兵士たちは戦場で幻の敵にでも遭遇したのではないかと言わんばかりだ。
しかし今のピーノには心当たりがある。セレーネだ。
「可能、だと思う。かつての部隊の仲間たちであれば」
「ああ。俺もそう結論づけた」
「え」
予期せぬイザークからの返答に、思わずピーノはたじろいでしまう。
「セレーネ・ピストレッロ。ダンテも認めていたが、相当の力量らしいな。彼女は大同盟へ内通していたピストレッロ家を皆殺しにし、その後消息を絶っている。直前に残されている言動から推測するに、レイランド軍を襲ったのが彼女の単独行動であることはほぼ間違いないだろう」
「そこまでつかんでいたのか……」
各地に人脈を持つがゆえの情報収集力に、ピーノも舌を巻くより他ない。
けれどもイザークの眉間には深い傷のごとき一本の皺が刻まれ、表情は曇りの度合いをどんどん増していく。
何かを言おうとして唇を動かし、躊躇うこと三度。
ようやく彼は声を発した。
「セレーネという少女の他に少なくとももう一人、協力者がいる。同時刻にタリヤナ軍の陣営を襲撃した者が」