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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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イザークの頼みごと〈2〉

 館内で最も贅を尽くした部屋である応接間だが、わかりやすく派手な豪華さとはまったくもって程遠い。絵画、彫刻、家具、食器類。通される客にも一定以上の審美眼を求める調度品ばかりを揃えているため、無知な者にとってはただの地味な空間でしかないのだという。

 もちろんピーノには何一つわかっていない。ただの聞きかじりだ。


 最後に応接間へと入った彼が鉄の輪でできた扉の取っ手を握る。これも腕利きの彫刻家によって特別に作られたらしい重厚な木製の扉は、その外見に違わぬ音とともにゆっくりと閉じていった。

 その途端、イザークが勢いよくお辞儀をする。


「ジゼルにコレット、おまえたちに頼みがある。このイザーク・デ・フレイ、人生最後の頼みと思って聞いてほしい」


 後ろで無造作に結わえられた黒髪がだらりと垂れ下がるほど、彼は深々と頭を下げていた。併せてネリー・プランタンも「お二方、何卒お話を聞いていただきたく存じます」と追随する。


「あのねえ……」


 黒っぽい茶色の髪をかき上げながら、マダム・ジゼルが不満げな声を漏らした。


「人生最後だとか、そんな大仰な言葉を使う必要がどこにある? あまり私を見くびらないでほしいな」


「そうですよ、イザーク様。貴方からの申し出を私たちが無下にできるはずもないじゃないですか」


 コレットも同調しているが、当然の成り行きだろう。

 イザークの話す内容がどうであれ、彼女たちは受諾すること自体は決めているに違いない。となれば後は細かい内容の交渉だけだ。

 などと考えていたピーノの見通しは少し甘かった。


 ありがたい、と謝意を示したイザークがどっかりと椅子へ腰掛ける。


「ならばまず、今回の案件から入ろう。実はな、近々行われるレイランド王国とタリヤナ教国の和平交渉の際に、この館を使わせてもらいたいのだ。タリヤナ教国側からの希望として『マダム・ジゼルの館を宿舎に』と指定されてな。もちろんおまえたちは普段通りに過ごしてくれて構わない。娼館部分だけを借り受けるつもりなんでな」


「──は?」


 さすがのマダム・ジゼルも呆気にとられている。

 それも当然だろう。事前の相談もなくこれほど厄介な話を持ち込まれるとは、想定さえしていなかったはずだ。


「いやいやいや、ちょっと待ってちょうだい。ここ、娼館よ? 大陸の今後を左右する場に表で関わるのはまずいでしょう。腐ってもスイヤール、探せばもっとふさわしいところがいくつもあるはず」


「かもしれん。とはいえ先方には先方の考えがあるのだろう」


「それはそうなんでしょうね。でもだからといって、この場ですんなり受け入れられる内容ではないよ。仮に和平交渉が不調に終わったとき、責任追及の矛先がこちらへ向かいかねないわけだから。私やコレットが矢面へ立つのは当然にせよ、火の粉をかぶる可能性があるうちの子たちみんなの意思をまとめるだけの時間がいる。イザーク、どうかそこはわかってほしい」


 ここまで一息に言い切ったマダム・ジゼルも、体を投げ出すようにして近くのソファーへ座った。

 互いの出方を窺うような重苦しい沈黙が訪れたが、すぐに意外な人物によって破られてしまう。

 ナイイェルであった。


「いえマダム。差し出がましいようですが、娼館だからまずいというのはいささか早計な判断のように思われます」


 背筋の伸びた姿も美しく、一歩だけ前に出た彼女は滔々と語りだす。


「そもそもタリヤナ教の開祖であるクレイシュ様は、男娼としての人生を送ってこられました。セス教徒の方々とは異なり、宗派による違いはあれどタリヤナ教徒には性的なものを聖なるものとして同一視する傾向さえあるほどです。むしろ、和平交渉を成功へ導くためにこそわたしたちの力が必要なのではないでしょうか」


 ナイイェルの言葉を受けて、我が意を得たりとばかりに「その通りだ!」とイザークが力強く膝を打つ。


「俺の言いたかったことを見事に代弁してくれたな。どうだろうジゼル、タリヤナ教徒であるこの子がいてくれれば、きっと成功裏にすべてを終えられる気がしてこないか。加えてこの館には当代きっての用心棒もいる」


「ああ、ナイイェルとピーノをわざわざ呼び寄せたのはそのためか……」


 両眼を閉じたマダム・ジゼルが思いっきり顔をしかめた。


「人生の最後の頼みごとだなんて口では言っておきながら、実際には断らせるつもりなんて微塵もなかったわけね。はいはい、あなたは昔っからそういう人だよ。まるでわたしがバカみたい」


「マダム・ジゼル、此度のお願いについては、我々スイヤール政府が総力を挙げて援助させていただきます。責任および費用などに関しましての心配も一切ご無用です。皆様にはタリヤナ教国の方々と気楽に交流を深めていただければ」


 とりなすようなプランタンの物言いだが、マダム・ジゼルは渋い表情から察するかぎりまだ納得できていないようだ。

 今度はコレットが「少し角度を変えてお訊ねしますが」と口を開く。


「先の大戦争をほとんど無傷で乗り切ったスイヤールは、大陸でも一人勝ちの様相を呈しておりましたよね。ならば次の戦争が起こったとしても、内心ではほくそ笑んでいるといったことになるのでは? レイランドとタリヤナ、両大国の和平を本当に願っておいでなのでしょうか」


 ピーノのすぐ近くから、「手厳しいなあ」という小さな声が聞こえてきた。声の主はナイイェルなのだが、どこか論争を楽しんでいるような気配さえ感じられる。

 彼女と違ってピーノにはそんな余裕などない。困惑気味に成り行きを見守っているだけで精いっぱいだ。

 答えたのは膝の間で手を組み、前傾姿勢となったイザークである。


「世の中には金儲けになる戦争と、損害にしかならない戦争とがある。今回は確実に後者だ。当事者であるレイランドやタリヤナの連中でさえ、大半は望んじゃいないだろうと俺は睨んでいる。利にさとい、いやがめついスイヤール政府ならば必ず和平交渉を成功させなければならないんだよ」


「身も蓋もないデ・フレイ様の言い方ではありますが、我々としても否定は致しません。今しばらくは平和を享受することが大きな利益へと繋がりましょう。もちろん、スイヤールに暮らす人々にとっても」


 どうかご決断を、とプランタンが迫っていく。

 まだ一年程度の付き合いでしかないが、それでもこういうときにマダム・ジゼルという女性が最終的にとる選択はピーノにもわかっていた。


 彼女を躊躇わせているのは、大切な家族を傷つけさせたくないという祈るような思いからであるはずだ。けれどもこの館で寝食を共にする者たちは皆、マダム・ジゼルとコレットによって救われてきた。背中を押しこそすれど、反対するようなことはないだろう。

 ナイイェルの気持ちもピーノと同様らしかった。


「マダム、これまであなた方からは本当にたくさんのことを学ばせていただきました。その恩をわずかでも返せる時が来たことを、むしろうれしく思っているのですから。どうかわたしたちを信じてください」


 穏やかでありながらも、耳にする者へ力強さを感じさせる言葉だ。

 後ろへもたれかかったマダム・ジゼルは天井を仰ぐ。


「まったく、どっちが学ばせてもらっているのかわかりゃしない……」


 観念した様子の彼女に、傍らに立つコレットがくすりと笑った。

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