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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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眺望はるかに遠くまで

 どこか眺めのいい場所で、というのがトスカの出してきた希望だった。


「そういうところなら、心を落ち着けて話せそうな気がする」


「大丈夫、あるよ。任せて」


 以前に無断で鐘を鳴らしたことのあるスイヤール大聖堂を思い浮かべながら、ピーノはできるかぎりの朗らかさで請け負った。

 ここまで彼女が態度を軟化させてくれたのであれば当然のことだ。


       ◇


「トスカ、何かぼくに伝えたいことがあるんだよね。たぶん、とても大事な話が」


 朝食を終え、ピーノは昨夜の延長のつもりで別段前置きもなく切りだしている。

 そんな彼と目を合わせることなくトスカが逆に訊ねてきた。


「──それ、誰から聞いたの」


「え? フィリッポだよ」


 特に何も考えず普通に答えたピーノだったが、これがよくなかった。

 怒り心頭といった表情へ一瞬にして変わったトスカはそのままピーノを放っておいて、離れたところにいたフィリッポへつかつかと歩み寄っていった。

 そしていきなり彼の頬を張り飛ばしてしまう。


「おしゃべり野郎が……! 人の気も知らず勝手なことをするなっ」


 いったい何事か、と周囲の女たちは騒然とするが、当のフィリッポは頬をさすっただけであり動揺している様子は見せない。


「まあ一発くらいはねー。想定内、想定内」


「ふざけるな! 軽い気持ちでわたしの覚悟を台無しにしないで!」


 さすがにまずいと見たピーノは、すぐさま二人の間へ割って入った。


「ちょっと待ってトスカ、それは違うよ」


 両手を広げて二人を制し、顔を交互に見遣りながらゆっくりと語りだす。


「確かにフィリッポはわりとダメな部類の人間で、万事において適当かつ軽薄だからそんなに信用もない」


「ん? あれ? おれが責められる流れなの?」


 もちろんここはフィリッポの余計な軽口を相手にせず、そのまま話を続ける。


「でも、今回の行動にかぎって言えばきみを慮ってのものだ。そしてぼくも、きちんと話をしなければいけないと思っている。あんな別れ方をしたのだから、本当だったら許されなくても仕方ないんだ」


 いつしか口調も熱を帯びていた。


「ありがとう、ぼくをまだ仲間だと思っていてくれて。だからこそトスカ、三人でこれからのことを話し合おう。それぞれの覚悟を尊重しつつ、できるだけ互いに支え合おう。後で詳しく伝えるけれど、これはニコラ先生の遺言でもあるんだ」


 ピーノの説得を受けた彼女は唇を噛み、俯き加減となる。

 沈黙が支配する重苦しい雰囲気の中、ようやくトスカが呟いたのが「どこか眺めのいい場所で」という言葉だったのだ。


       ◇


 そのようなやりとりを経て、切れ目なく広がるスイヤールの街を家々の屋根伝いに三人が走っていた。


「あのさ。おれ、ここへやってきてからほとんど地面の上にいないんだけど」


「気のせいだよ」


 後ろから聞こえてくるフィリッポのぼやきを即座に受け流し、目的地であるスイヤール大聖堂へとピーノが先導する。


 スイヤールの中心部には重要な建物が集中している。

 整然と石畳が敷き詰められた広場の周囲にあるのが政庁と議事堂。どちらも相当に歴史が古く、何も謂れを知らない者であってもその重厚さを一目見れば理解できるだろう。

 そこからわずかばかり離れた先に建っているのが大聖堂だ。


「急勾配だから気をつけて。とりあえず尾根へ行こう」


 後続の二人に注意を促しつつ、ピーノは三角屋根の頂点にあたる部分へと駆け上がっていった。さすがに今日は鐘楼にちょっかいを出すつもりはない。

 軽やかな足取りでトスカとフィリッポの二人もやってきた。


「あの鐘」とピーノが塔の上部を指差す。


「わりと最近の話なんだけど、無断で乱打しまくったらその後めちゃくちゃ怒られたんだよね。鐘楼の番人やらセス教の司祭やら、他にもいろいろな人から」


「そりゃそうだろ、としか言いようがねえよ……」


 腰に手を当ててフィリッポが呆れ返っている。

 トスカはといえば、なぜか不自然に顔を背けて反応を見せようとしない。しかし次第に彼女の肩が震えだした。

 とうとう我慢できなくなったらしく、声に出して笑いだす。


「はは、あははっ。ピーノってば、ふふ、意外にそういういたずらを、ふふふ、する人だったんだ」


「いやいや、わりと大真面目にやったんだけど」


「ちょっともう、お願いだからこれ以上はやめて。大真面目に鐘の乱打って、いったいそれ何。うう、想像するだけで愉快すぎる」


 必死に口を手で押さえ、笑いを堪えようと頑張っている彼女の姿などめったにお目にかかれるものではない。というより初めての出来事だ。

 フィリッポも同様に感じたらしく、目を丸くして驚いていた。


「おお……あのトスカが大笑いしてるよ……」


 こういうところが人生の意外性だねえ、などとやけに悟ったことを口にする。

 言われたトスカはその場でしゃがみこみ、頭を両膝に(うず)めて隠してしまった。もしかして慣れない事柄で恥ずかしいのだろうか。

 ピーノとフィリッポも目配せし合い、しばらくそのままにしておこうと意見を一致させ互いに頷いた。


 ようやく落ち着きを取り戻したのか、トスカがほんの少し顔を上げる。

 うずくまったままの体勢で彼女が言った。


「笑ってないから」


 すぐさまフィリッポが「うっそだろ」と大声を上げる。


「あのねえトスカ、それはさすがに無理筋だって。だって君、言い訳しようがないほど笑ってたよ? そりゃもう全身でさあ」


「しつこい、笑ってない」


 まじまじと見つめてみれば、下半分が隠れたままのトスカの顔は耳まで真っ赤になっていた。


 不意にピーノは彼女と出会った日を思い出す。

 カロージェロの家を訪ねて海を見よう、と男たちで騒いでいたときのことだ。あのときもトスカは頬を赤らめて「わたしも仲間に入れて」とお願いしてきたのだった。今でもよく覚えている。

 その後、ピーノはどうしたか。


 快諾したのはもちろんだが、用意された馬車の荷台へ二人で乗りこむため、とっさに手を差し出したのだ。トスカもすぐにその手を握り返してくれた。

 そんな昔の思い出とともに、また彼女の手をとる。記憶にあるよりももう少しだけ強く、目の前にいるトスカはピーノの手を握り締めた。

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