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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
8章 娼館の用心棒
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予兆

 翌朝のまだ随分と早い時間に、マダム・ジゼルの館を訪ねてくる者があった。鼠色の外套を纏ったチェスターである。

 もちろんピーノは寝ていなかったが、応対したのは副長のコレットだ。チェスターとは玄関脇で互いに立ったまま、用心深く口元に手を当てて会話をしている。


 となればピーノも用心棒の仕事の範疇として、声の届かない距離で警護がてらに二人を注視する。内密の話ならばあえて首を突っ込む必要はない。

 けれどもコレットたちはピーノの存在に気づいたらしく、手招きで彼を呼ぶ。


「んー」


 別に気を遣わなくてもいいのに、と思いながらも素直に寄っていった。

 チェスターが軽く手を上げる。


「おう、しばらくぶりだな」


「忙しいみたいだね」


「仕事があるってのはいいことだ」


 ただなあ、と少し声にぼやくような響きが混じる。


「おかげでソフィアには寂しい思いをさせちまってるよ。これからお腹の子供が大きくなるってのに、あいつの傍についていてやれねえってのはもどかしいぜ」


「あら、そのことなら心配しなくても大丈夫よ」


 ここでコレットがすました表情で口を挟んできた。


「ソフィアのところへは、うちから毎日誰かが遊びに行っていますから。出産関係だと男の人がついていても別に役には立たないし、チェスターさんが気に病む必要なんて特にありませんよ」


「いや……それはそれで、こっちが寂しいんですけど……」


 年下のナイイェルにだって言い負かされてしまうチェスターだ、年季の違うコレット相手だとあしらわれ方も非常に簡単かつ適当なものである。


「まあとにかく、ソフィアのことをよろしくお願いします。彼女、ああ見えて人一倍寂しがり屋なもんですから」


「ふふ。チェスターさんがそんなことを口にするだなんて、かつての意気地のなさを思えば隔世の感があるわね。当時のあなたに聞かせてあげたいくらい」


「昔の話はもういいでしょう……。勘弁してください」


 終始やりこめられっ放しだったチェスターは、もう用事は済んだとばかりに慌ただしく館を後にした。


 奥から入れ替わるようにやってきたのはマダム・ジゼルだ。

 まだ起きたばかりらしく、大きな欠伸をしてから「おはよう」と挨拶する。


「今来ていたのはチェスターくん?」


「ええ。律儀にも朝一番で、イザーク様が近日中にスイヤールへ来られるとの情報を伝えに来てくれたの。ようやく話がまとまったみたい」


「まずは最初の関門を突破ってところだね」


 二人はいつになく真剣な表情をしている。

 何についての話かはわからないが、さすがにもう自分は場違いだろう。

 そう判断したピーノはゆっくり静かに後ずさろうとするものの、すぐさま右腕をマダム・ジゼルに、左腕をコレットによってがっちりとつかまれてしまう。


「もう少し付き合いなさい。これは君も知っておかねばならない、大事な話よ」


 あまりにも真っ直ぐなマダム・ジゼルの視線に気圧され、ややたじろぎながらも無言でピーノは頷いた。了解の意を伝えたつもりだ。

 今度はコレットが口を開く。


「間もなく、このスイヤールへ大陸中の関心が集まるわ。レイランド王国とタリヤナ教国の和平交渉が、中立であるこの都を舞台にして行われますからね。両使節団の一挙手一投足、そのすべてが話題になることでしょう」


 驚くピーノに構わず、マダム・ジゼルが続きを受ける。


「まだ本格的な衝突には至ってないが、すでに両国は開戦状態にある。何としても次の大戦争への道を回避するべく、イザークが暗躍して和平交渉の場を設けるまでにこぎ着けたのさ」


「暗躍って言い方はイザーク様に悪い気もするけど、概ねそうね。どんな手練手管でタリヤナ教国を引っ張りだしてこられたのかしら」


「意外に手段を選ばない男だからなあ、裏でどんな密約を交わしているかわかったもんじゃない。レイランドとも、タリヤナとも」


 ピーノにも話の内容が飲み込めてきた。

 確かにイザークとはしばらく会っていない。最後に顔を見たのはチェスターとソフィアが想いを通い合わせた夜だったはずだ。


 レイランド王国とタリヤナ教国、二大国の使節団を迎えるとなればその準備も大変なものとなる。納入全般に絡むスタウフェン商会の仕事が激務となっているのも致し方ない。頭であるイザークが政治的な事情でいないとなれば尚更だろう。

 ディーデリックやチェスターたちが過労で倒れなければいいが、とこれまで世話になった人たちの顔をつい思い浮かべてしまった。


「何となく事情はわかってくれたかな」


 マダム・ジゼルからの問いかけに、ピーノも「ある程度は」と応じる。


「戦争を左右する和平交渉がスイヤールで、か。大きな山場になりそうだね」


「結果がどうなるか、状況はまったく予断を許さない。何事もなく無事に終わってくれればいいんだけど」


「もし再び大きな戦争になってしまえば、今度はスイヤールも……」


 マダム・ジゼルとコレットの表情は揃って憂いの色を帯びていた。

 昨日の深夜にフィリッポが話していた「トスカの新しい戦い」と、今しがた知ったスイヤールでの和平交渉。あくまで予感だが、おそらく無関係ではない。


「トスカの覚悟については、直接彼女の口から聞いてくれ」


 フィリッポにはそのように言われていたが、どうやら彼も含めた三人で腹を割って話し合う必要がありそうだ。納得のいく結論を出すためにも。

 ピーノたちの戦争はまだ終わっていない。

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