背を向ける
一人きりでの巡礼の旅は、緩やかに死へと向かう道行きも同然だった。
何度となく深い青色をした耳飾りにそっと触れ、そのたびにエリオが傍らにいてくれないことへハナはひどく落胆する。彼からもらった最初で最後の贈り物だ。
隣だけではなく、もうどこにもエリオはいない。
《ピーノには悪いことをしたかな》
彼女にもわかっていた。あの時、エリオを殺した相手であるニコラという男に対して、ピーノが戦うことを逡巡したのは無理もないのだと。彼にとってはいわば恩師にあたる人物だ。
父の直接の仇だとして最初から憎悪を燃やしていたハナとは事情が異なる。
親友の死を突きつけられてなお、覚悟を決められなかったピーノの柔弱さに対して憤った自分が間違っているとは今も思えない。とはいえ結局は八つ当たりだ。
ハナに結果を左右できるほどの力がなかった以上、彼へ責任を負わせるのは筋違いである。
ピーノと二人で悲しみを分かち合い、ともに支え合ってイザークの待つ場所へ帰る選択肢ももちろんあったのだろう。
けれどもピーノにはエリオの匂いがあまりに色濃く染みついている。彼がそばにいるといつだってエリオのことを鮮烈に思い浮かべてしまう。
そんな日々に耐えられるはずなどないではないか。
死者の肉体は土に、魂は空へ。それが代々受け継がれてきた〈シヤマの民〉の教えだ。常に近しい人々があんたの成長を見守ってくれているんだよ、と亡き長老ユエもよく口にしていた。
《あれはきっと嘘。だって空なんてただ空っぽなだけ》
歯噛みしながら先人たちの教えを否定する。
もはやハナにとって守るべきものなど何一つない。虚ろな心持ちでの巡礼には誠実さの欠片もないし、いつ行き倒れになっても別に構いはしなかった。
急き立てられるようにして歩を速めながら無人の野を往く。
知らず知らず、心が荒れ狂う暴風雨へ飲み込まれていく。
噴きだす怒りをそのままに、でたらめに腕を振り上げ大地を蹴りつければ、それだけでもう舞踏は成立する。
光点を背負ったハナは点在する木々のうちの一本に狙いを定めた。
次の瞬間、木は突如として現れた火柱に包まれ、あっという間に燃え落ちる。焼き尽くされた後に残った灰が風に吹かれて飛び散ってしまう。
《灰……灰!》
またエリオを思い出した彼女は手当たり次第に他の木々も炎で燃やし続けた。息も絶え絶えになりながら、辺り一帯を文字通りの荒野とするまで。
舞踏による魔術で火を扱うことは、〈シヤマの民〉の掟によってこれまで固く禁じられていた。火は破壊に直結する力であり、矮小な人間に使いこなせるものではないという理由で。もちろんハナだって納得し、従ってきた。
だが、事ここに至ってしまえば禁忌になど意味はない。〈シヤマの民〉もハナが死ねば終わる。
語り継がれることもなく、歴史の片隅にひっそりと消えていくだろう。
後生大事に掟を守るより、エリオが単独で戦う決意をせずともすんだに違いない強大な力を今さらながらに欲した。あまりに愚かで手遅れなのは百も承知で。
《もうエリオはいないのに、どうして何食わぬ顔で世界は存続しているの。どうして朝も昼も夜も変わらずにやってくるの。どうして》
移ろいゆく世界のすべてに感謝して生きるのが〈シヤマの民〉としての誇りであったはずなのに、その教えさえ呪いのように感じられてしまう。
彼女の視界が黒く塗り潰されていく。
限界だった。混沌とした感情と〈シヤマの民〉としての暮らしとに折り合いをつけられず、定められている巡礼の道から外れることを選ぶ。
彼女にとっての祈りの地は今やたった一つだけである。エリオが命を落とし、巨大な墓標となったウルス帝国首都の宮殿。
帝国軍の残党がいようと大同盟軍が占領していようと、そんなのはどちらでも構いはしなかった。身の安全などどうでもいい。大事なのは心の在り方だ。
再びそこに行けばようやく喪失を受け入れられて、かつてのような平穏を取り戻せるかもしれない。もしかしたらエリオの静かな眠りを祈るだけの日々を送ろうと思えるかもしれない。
破壊と祈りの間で激しく揺れ動きながら、すがれる先を求めて踵を返し、一路ハナは新都ネラへと向かった。