トスカとセレーネ
教えてもらっている場所はドゥルワの街から半日程度の距離だった。そこに仲間であるユーディットとアマデオがいる。
彼女たちが新都ネラを秘密裏に去る際、「いつかまたここで落ち合おう」と地図に印をつけてくれたのだ。聞けばユーディットゆかりの土地らしい。
なのでドゥルワで宿をとり、明くる朝に出発して目的地へ向かうというのがトスカ・ファルネーゼの立てた予定であった。
「まさか迷子になったりは、してないよね」
宿の二階にある部屋の窓から、心配そうな表情で往来を眺める。
しんがりとして〈帝国最高の傑作たち〉と呼ばれた部隊から最後に逃げだし、二人で隠遁生活を送ってきたセレーネがなかなか姿を現してくれない。そろそろ日も沈みだす頃合いだ。
七日間だけ別行動をとりたい、と言ってきた彼女の申し出を受けたまではよかったが、今となっては多少の悔いがある。「じゃあ待ち合わせはドゥルワで」という大雑把な約束しか交わさなかったからだ。
国境沿いの田舎町であるドゥルワだが、人ひとりを捜すとなるとさすがに骨が折れる。到着しているかどうかも定かでないのなら尚更だ。はたして七日間という数字がきっちり守られるのだろうか、と。
なのでとりあえず、トスカは早々に宿で見張り番紛いのことをしている。気休めみたいなものだ。
来なかった場合にどうするかは明日起きるまでに考えよう、と半ば自棄になりかけていたとき、往来の向こうにひと際目立つ巨体が見えた。
じっとその人物を注視していたトスカだったが、だいぶ近づいたところでようやく確信する。
「アマデオだ」
男は人並み外れた巨体の持ち主であるアマデオ・ヴィルガに間違いなかった。背負った大きな袋からは野菜らしきものがはみ出ている。
慌てて部屋を出たトスカは階段を駆け下り、宿の主人に出掛ける旨を告げて通りへと飛びだした。「アマデオ! ア・マ・デ・オ!」と叫びながら。
しかし突然の出来事にも彼はまったく動じない。
「おー、トスカ。よかったあ、会えた会えた」
相変わらずの鷹揚さで微笑んでいる。
離れ離れになってまださほどの月日が経過しているわけでないにもかかわらず、トスカは無性に懐かしくなって仕方がなかった。
「こっちも。でも、どうしてここへ」
「いやなに、食材の買い出しにとドゥルワまで足を伸ばしたんだが、さっきセレーネとばったり会ってなあ。再会の挨拶もそこそこに、もしかしたらトスカが迷子になっているかもしれないと泣きつかれてしまって」
どうやらセレーネも同じことを考えていたらしい。何のことはない、似た者同士というわけか。
釈然としないがひとまずすれ違いにならずにすんだ、とトスカも安堵する。
そんな彼女へ、やってきた方向を指差しながらアマデオが声をかけてきた。そちらにセレーネがいるのだろう。
「近いうちに君らも脱走に成功し、来てくれるだろうと信じてたからねえ。僕らは家族も同然の仲だ、いつ何時であっても訪問を歓迎するよ」
ユーディも喜ぶなあ、と巨体に似合わずはにかむ。
◇
だが結局、この日はアマデオ一人で戻ってもらうことになった。
宿を引き払ってくる旨を伝えると、彼は「そんなに急がなくても」と言う。
「今晩、僕に時間をくれれば明日のためにいろいろと仕込んでおける。きっと満足してもらえる料理を振舞えると思うよ」
「じゃあ明日にする」
対するトスカの返答も現金なものだ。
先ほど合流できたセレーネも「いったいいつ以来になるのかしらね、アマデオの手料理を堪能できるのは」と相好を崩していた。
出会って早々ひとしきり相手へ文句を言い合い、互いに深々と謝って後を引かないようにできるのもトスカとセレーネの関係だからこそである。
ただ、彼女の目には何となくセレーネがこれまでと違うように感じられて仕方なかった。トスカ自身も上手く表現できないのだが、纏う空気が微妙に異なる。
簡単な夕食を終え、二人揃って寝台にだらしなく寝転がって他愛ない会話へ興じていても、その印象を払拭することは依然としてかなわなかった。むしろより強まってしまったかもしれない。
たった七日間しか離れていなかっただけなのに。
単なる思い過ごしだ、と己にどうにか言い聞かせて話題を繋ぐ。
「ちゃんと道順も確認できたし、アマデオ様様だな。今日出会えてなかったらどうなってたことか、想像するだけで怖いよ」
「ところで彼ってば、前よりさらに丸くなっていなかったかしら。隣にいると私の体がすっぽり隠れてしまったのだけれど。まるで壁ね」
「それはわたしも思った」
アマデオの巨体を思い出し、二人してくすくす笑う。
「でもあの二人、もう夫婦なんだね。大人すぎてちょっと驚くな」
婚姻だなんて自分たちとは無縁のものだとばかり思っていたため、トスカにとっていまいちピンとこない。
「正式なものではない、とアマデオが言ってましたけどね。でも、そんなのはどうでもいいことでしょう」
「同感。ユーディと幸せになってくれればそれでいい」
「なるに決まっているわよ。だってユーディとアマデオですもの」
セレーネは力強く言い切った。
ああ、やっぱりいつもの彼女だ。そうトスカが胸を撫で下ろしたのもつかの間、続くセレーネの発言に不意を突かれて息を呑む。
「あの二人が幸せに暮らしていけるよう、私はどこまでも戦います。戦って戦ってひたすら戦って、すべての敵をこの大地から消し去るつもりよ」
◇
この夜、トスカは久しぶりに予知と思しき夢を見た。
泣きながらセレーネの脇腹を心臓ごと刺し貫く、ありえない夢だ。
目覚めたときには服がぐっしょり濡れるほどの汗をかき、全身が悪寒で震え、手にはまだそのときの感触が生々しく残っていた。
隣の寝台ではセレーネが体を起こし、大きな欠伸をしているがすぐにトスカの様子がおかしいことに気づく。
そのまま彼女は移動してきて隣に腰を下ろした。
「ちょっと、大丈夫? 憔悴しきって心ここにあらず、みたいなひどい顔になってるわよ。せっかくの美人が台無しね」
涙の跡があったのか、優しくトスカの目の下を拭いながら訊ねてきた。
「もしかして、何か『夢』を見たの?」
彼女にはもう教えている。ヴィオレッタとオスカルの身に危険が迫っていた時分に警告として伝えたのだ。
セレーネが心底から気遣ってくれているのは表情でわかる。
とっさの判断だった。
「ううん、単なる昔の夢。まだみんなと出会えてなくて、家でも厄介者扱いで居場所がなかった頃の」
自分の夢を信じられなかったトスカはその場凌ぎの嘘をついた。