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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
7章 来るべき別れの日
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暗い夜

 すでに日は沈み、辺りは夜の闇に包まれている。雲の多い空模様であったため星の光もほとんど確認できない状況だ。

 日中であれば新都ネラを見下ろせる丘陵で、ピーノはひたすらエリオが戻ってくるのを待ち続けていた。


 随分前にハナも泡沫草の眠りから目覚めているが、少し離れた場所に膝を抱えて座りこみ、黙りこくったままずっと言葉を発していない。

 ただし覚醒した当初の彼女は手がつけられないほどの暴れようであった。


「何でエリオを一人にして置いてきた! あたしと一緒に引き返せ、今すぐ!」


 これまでに見せたことがないほどの怒りに満ちた形相で、声が掠れていくのも厭わず叫びっ放しだったのだ。

 後ろからピーノに羽交い絞めにされてなお、ハナの怒気は収まらない。


「あんた、本当はあのニコラって男と戦いたくなかったんじゃないの? だからしんどいことを全部エリオに押しつけたんじゃないの?」


 痛いところを突く、とピーノは思った。

 エリオの意思だとかどうとかは結局のところ言い訳だ。ハナの身を案じて、なんて言い草はもってのほかである。これは自分の選択の結果でしかない。


 ピーノにできるのは、ただ静かに彼女の鋭い叱責を受け止めることのみ。

 程なくしてハナもどうにか落ち着きを取り戻した。


「──ごめん、バカなことを言った。わかってる。あいつが決めたんだもんね。信じて待つしかないよね」


 彼女の体から力が抜け、項垂れたままの姿勢でそれきり口を噤んでしまう。

 そっと離れたピーノも何も語ろうとせず、視線だけを皇帝居城へ向けていた。


 陽が西へ傾き、次第に空を赤く染め、とうとう夜が訪れるまでになってもエリオの姿を確認することはできなかった。

 さすがにずば抜けたピーノの目をもってしても、暗闇の中で遠距離の人の姿を視認するのは無理だ。

 あのニコラ先生ととんでもない死闘になっているんだな、と思いを馳せる。別れる間際のエリオの口振りだと、ピーノにも隠していた秘策が彼にはあるらしい。そこに望みを託すしかないだろう。


 ただ待つしかできない時間は長すぎる。

 ハナとの間にできてしまった見えない壁がやけに分厚く感じられ、風による葉擦れの音くらいしか聞こえない静寂も今夜ばかりは重さを伴って伸し掛かってきた。


 しかし突然、予期せぬ音が耳に届いた。この場所でも聞こえるのだから、おそらくは相当の轟音なのだろう。

 急いでピーノは目を凝らし、何が起こっているのかを少しでも把握しようと努める。うっすらとだが、煙のようなものが確認できた。


「煙……いや、火はなさそうだし違う。規模は大きいけど土埃に近いな」


 すっと脳裏に浮かんだのは、かつてエリオやルカたちとともに実行したベルモンド少将の暗殺だ。

 あのときもそうだった。エリオが豪快に暴れたせいでベルモンド少将の邸宅が半壊の憂き目にあい、崩れ落ちた建材によって大量の埃が煙のごとく舞い上がった。


 だとすればこれは吉兆だ、そう自分に言い聞かせる。

 いつの間にかハナも立ち上がっており、ピーノと同じく音のした方角を睨みつけるように眺めていた。依然として距離を空けたままで。


       ◇


 さらにピーノは待った。もしかしたら自分は人ではなく岩なのではないか、と錯覚を起こしそうになるほどその場にひたすら立ち尽くしていた。

 ハナだってほとんど変わらない。膝を抱えた姿勢に戻ってそれっきりだ。


 遠からず朝がやってくるだろう。だがまだ今は暗い夜の闇の真っ只中であり、ややもすると親に捨てられた幼子のように不安な心持ちへと駆られてしまう。

 エリオの勝利と、笑顔での凱旋を信じて疑っていないのに。


「きっと夜のせいだ」


 ぽつりと漏らした言葉に、ようやくハナも短い反応を返してきた。


「夜はあまり好きじゃない。暗くて静かなのは、怖くていや」


「騒がしいやつがいないと困るよね」


 彼女からは見えないだろうが、ピーノは小さな苦笑いを浮かべる。


「早く帰ってくればいいのにな、エリオ。どこで道草食ってんだろ」


 案外迷子になってたりして、と受けながらハナもかすかに笑う。

 周囲の空気が少し和らいだ。この調子で会話を続けていれば、ひょっこりエリオが顔を出しそうに思えてくる。たぶん「悪い、遅れちまった」とか言いながら。


 そのとき、山道の向こうから動物か何かが上ってくるような気配がした。

 エリオだ。

 反射的に振り向いたピーノはそのまま駆けだそうとするが、意に反して足は慎重な動きしか許してくれなかった。肉体が自然と警戒していた。


 気配と音は近づいてきて、すぐに大きな黒い塊を視界に捉える。その大きさはエリオどころか、およそ人間のものではない。背丈も幅も確実にエリオの倍以上はあるだろう。

 歩みを止めずにやってきた生き物がとうとう至近距離で静止する。


 ハナをかばうように前へと出ながら、眼前の生き物の正体を探ろうと瞬きもせずにピーノが見つめる。以前に暮らしていたドミテロの山中でも、このような大きさと動き方をする生き物に遭遇した記憶はない。

 危険を承知で、一歩また一歩とゆっくり近寄っていく。

 けれどもピーノが対象の全貌を把握するよりも早く、生き物のやや上部から呻きに似た声がした。


「ピー……ノ……、ころし……て……おく…………れ」


 あろうことか、今の声は聞き慣れたニコラのものにとてもよく似ていた。

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