溺れる
ひたすらに長い戦闘が続いている。徹底してニコラが距離をとったためだ。
剣の投擲や弓での攻撃、接近する際は死んだ兵士の体を肉の盾とし、攻撃を仕掛けても無理せずすぐに離れて再び遠距離戦へ戻す。
とはいえすでに三回、ニコラはエリオに対して明らかな致命傷を与えていた。戦場での経験で勝り、弓矢の扱いにも長じ、かつての教え子であるエリオの動き方の癖を知っていればこそだ。
しかしその度に彼の肉体が何事もなかったかのように蘇る。先ほどなど隙を突いて首の半分を切り裂く会心の一撃を見舞ったというのに、今ではもうわずかな傷跡さえ残っていない。
持って生まれた莫大な生命力もさることながら、とにかくエリオは反応が速い。深手を負わせたとこちらが思うのもつかの間、即座に損傷した個所への修復作業に入るのだ。その滑らかさには感動さえ覚える。
「まったく、これが天才というやつなのだね」
賞賛の独り言を口にしながら、それでもニコラの集中は途切れていなかった。
いかに天与の生命力を誇るエリオとて、生物である以上は無尽蔵に肉体を治癒できるはずもない。必ずどこかで限界が来る。
ニコラは静かに勝機が訪れるのを待っていた。ただしそれはエリオの生命力の限界を意味しない。彼が近づく限界を意識し、拙速な行動に移る瞬間。
それこそがニコラの待ち望んでいる勝機だ。
餌はいくつも撒いている。戦いの舞台となっている謁見の間から逃れられないでいる兵士たちの数はいまだ多い。息があるとみれば、すれ違いざまに足の腱を切ったり膝の骨を砕いたりしてこの場に留め置いたからだ。
つまり、兵士連中はニコラにとっての生命力補充要員である。
彼らをこれ見よがしに配置しておくことで、焦りとともにエリオが自身の限界の訪れに意識を向ける可能性もより高まる。
ニコラの意識の中にもうこの「次」はない。今、この場におけるエリオとの戦いがすべてだ。だからこそ、自分も含めたすべてを使って勝利をもぎ取りにいく。双方力尽きての相討ちならば最高に美しい結末だろう。
そんなニコラの気持ちなど知る由もないエリオが、捉え切れないでいる苛立ちを隠そうともせず大音声で吠えた。
「いつまでそんなせこい戦い方を続けるつもりなんだよ、先生! こっちは長旅で疲れてるんだからさ、いいかげん正面切ってやり合ってくれよ!」
当然、ニコラにそのつもりはない。
慎重に距離を維持しつつ、ゆっくりと言葉を選びながら返事をする。
「例えばもし、ピーノが私の立場だったとしたら、どうだろう。はたして君の誘いに乗るだろうか」
「ちっ」
舌打ちが彼からの答えの代わりだった。
以前の〈スカリエ学校〉と呼ばれていた時分に生徒であった頃から、エリオの裏表なくわかりやすい性格は変わっていない。気の短さでいえばむしろ親友のピーノの方に軍配が上がるものの、彼の場合はつかみどころのない性格のせいで発火点を認識しづらいのだ。
互いに補完し合える点を鑑みるに、二人揃えば間違いなく大陸で最強。それがエリオとピーノに対するニコラの嘘偽りない評価である。他の教え子たちであっても、二対二では到底彼らに勝てはしない。未踏の辺境の地までまだ世に知られざる逸材を隈なく捜したとしても、結論は変わらないだろう。
ただし一対一であれば話は別だ。局面は最終段階へと入っていた。
エリオ、君はもうすぐ痺れを切らして賭けにうってでるだろうね。そう声に出さず心の中で呟く。
彼の予想は的中した。
「だったらよお、何もかんもぶっ壊してやるから全員まとめて埋もれやがれ!」
とうとうエリオがその豪腕ぶりを全開にする。
石造りの床へ拳をめりこませ、大広間ごと粉砕しにかかったのだ。「門」を盛大に開放しているらしく、あっという間に衝撃が亀裂となって四方八方へと伝わっていく。大小さまざまな瓦礫となって床が抜け、壁面も天井も崩れ落ち始めた。
口調こそ荒っぽいものの、本当ならこんな手段をとりたくなかったのは理解できる。敵対する帝国兵といえど、殺さないで済むならそれに越したことはないと考えるのがエリオという少年だ。それでもあえて彼は補給を絶ちにきた。
だがこの隙をニコラは見逃さなかった。ずっと狙っていた、最大の好機だ。
一瞬にして彼も「門」を目いっぱいに開き、宙に舞う瓦礫をものともせずエリオのいる場所へと跳躍する。
緩やかに落下していく二人の姿が交錯した。
まさかここで攻勢に出られるとは予期していなかったのか、懐に潜り込んできたニコラを見つめるエリオの表情は年齢よりもあどけなく見えた。
「え」
「もらうよ、エリオ」
手刀の形を作り、渾身の力でニコラが教え子の腹部に指を突き刺す。
どういう結果になろうとも、勝敗はもうすぐ決まる。
治癒しようと流れこんでくるエリオの生命力を片っ端から吸収し続ける。こんな捨て身の戦い方で勝利したところで、自身の肉体が無事でいられるはずもない。人としての境界線が保たれるかどうかも怪しいだろう。
それでも、ニコラはエリオの圧倒的な生命の力に溺れてみたかった。