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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
7章 来るべき別れの日
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不意に口づけ

 レイランド王国外相キャナダインから受けた皇帝暗殺の依頼を無事に果たし、ピーノは玉座のある壇上から巨大な広間を見下ろした。


「こんな高い場所にいるから、きっと誰の声も届かなくなっちゃったんだ」


 そんな独り言を呟いて階段を下りていく。

 仕える者がいなくなってもまだ逃げだしていない弓兵から、散発的な攻撃が仕掛けられてくるが特に問題にはならない。足を止めることなく、大広間中央で複数の兵士と渡り合っているニコラへ近づいていった。


 おそらくは手練れの兵士連中であるにもかかわらず、彼らから繰りだされる斬撃を悠々とニコラがさばく。ザニアーリ牢獄にいたせいで以前より痩せ衰えているものの、技量はまったく錆びついていないようだ。

 その最中、彼はピーノへと視線を向けて言った。


「少しばかり死者の名誉を守っておこう。因果関係が逆なんだよ。陛下にはね、他者の嘘を見抜く特殊な力があったようだ。それゆえにあの方はひたすら孤独な生涯を送らざるを得なかったのさ」


「聞こえてたんだ……」


 相変わらず先生の耳よすぎ、と返事をしながらピーノは兵士の一人を仕留めた。鎧の板金の隙間へ正確に短剣をねじ込み、素早く引き抜く。

 見ればニコラは穏やかな笑みを浮かべていた。いくつもの死体が転がる光景とはあまりに場違いである。


「私が耳なら、君は目でエリオは膂力だね。そういった肉体的資質に恵まれた者が生命力を操る能力に長けているのは偶然ではなさそうだ。もっとも、解き明かすだけの時間はもはや私に残されていないのかもしれない」


 そんな彼がもう一人の教え子へと声をかけた。


「エリオ、そうだろう?」


「話が早くて助かる」


 美しく整った螺旋形が徐々に解かれていき、無数の矢が突き刺さった状態の絨毯からエリオとハナが姿を現した。ハナが行使した魔術によって、どうやら二人とも傷一つ負っていないように見える。

 その点にはピーノも胸を撫で下ろしたのだが。


「けじめをつけようか、ニコラ先生」


 エリオは初志貫徹、順通りに皇帝の次の仇を討つのだという態度を崩さない。

 一方のニコラもそれを予測していたらしく、両手を広げて「受けて立とう」と言わんばかりの振る舞いだ。

 邪魔な周囲の兵士たちの戦闘能力を次々に奪いながら、ピーノとしては今一度確認せざるを得なかった。


「どうしてもやらなきゃいけないの……?」


「それがハナの望みだからな」


 間髪入れずにエリオがそう答えれば、ニコラも「願ってもない話だ」と応じる。


「教え子の成長を命がけで確かめられるのだからね。輝ける瞬間と言う他ないよ。部隊の瓦解を防げず、もう終わったものだとばかり思っていた私の人生に、最後の一花を咲かせる機会が巡ってきたわけだ」


 彼は続けた。一人ずつでも二人まとめてでも構わない、と。そこに含まれているのはあくまでエリオとピーノだけである。


 本来ならば話題の中心にいなければならないはずのハナは、少しばかりの疎外感を滲ませながら「あんたたちだけで勝手に話を進めないで」と会話に割って入ってきた。


「そう、これはあたしの望みなんだよ。エリオとピーノに任せてばかりでは、ユエ婆や父に対して申し訳が立たない。だからあなたはこの手で殺す」


 宣言するなり、やや細身の短剣を握り締めた彼女は一直線にニコラ目掛けて飛びかかっていった。

 まずい、と振り返ったピーノの視界に映ったのは、すでにハナの腕がニコラによってつかまれてしまった場面である。


 だがニコラには彼女に危害を加えるつもりはないらしく、必死になって暴れている彼女の体を持ち上げて、ピーノへふわりと放り投げてきた。慌てながらも、できるだけ優しくピーノはハナの身体を受け止める。


「やめておきなさい。君程度の力量では、単独行動による私への復讐など命がいくつあっても不可能だ。やるならまた彼ら二人の協力を仰ぎ、舞踏魔術を行使する以外に手はないよ。けれども〈シヤマの民〉出身の私にも有効だとは思わない方がいい。君も相当に成長したのだろうが、同じくらいに優秀だった踊り手を知っているのだから、こちらとしてはいくらでも対処のしようはある」


 冷徹な見方を披露するニコラだったが、ピーノも内心で同意していた。何せ相手が相手なのだ、できればハナには戦闘に参加してほしくない。

 そんな折、やけに間延びした声でエリオが「ハナぁ」と呼んだ。


「何! 何の用!」


「いいからちょっとこっちに来いって。打ち合わせするから」


 全身で感情を高ぶらせているハナをエリオが手招きする。不満げに舌打ちしながらも素直に彼女は歩み寄っていった。

 もうこの大広間に戦闘意欲のある者は残っていない。いるのはまだかろうじて息のある負傷者と、すでに命を失った死体だけだ。もちろん警戒を怠りはしないが、先ほどよりは行動に余裕を持てる。


 どうにかして上手く言いくるめるつもりなのかな、と見守っていたピーノの視線の先で、エリオはいきなりハナの首へと腕を回した。

 そしてあろうことか、強引に口づけを交わしてしまった。


「ほほう。そういう仲だったか」


 ニコラが妙に弾んだ声を上げる。

 対照的にピーノは体が固まってしまう。目の前で起こった出来事なのに、頭の理解がまったく追いついていかない。


 長い長い数秒の間、ハナの表情は目まぐるしく変化した。驚き、羞恥、喜び、そして今にも噴きだしそうな激しい怒り。

 彼女がエリオを突き飛ばし、距離をとった。


「あんた……! どうしてこんなことを!」


「説得したっておとなしく聞き分けてはくれないだろうしなあ」


 飄々とした態度から一転して、エリオが真剣な顔つきへと変わる。


「あと、おまえと口づけってのをしてみたかった」


 その言葉を最後まで聞くことができたのかどうか、ハナは膝から崩れ落ちるようにしてうつ伏せに倒れてしまった。


「ハナ!」


 駆け寄ったピーノの耳に、彼女の穏やかな寝息が届く。


「眠ってる……?」


「ああ。しばらくは目を覚まさないだろうよ」


 ピーノが問うまでもなく、エリオはすぐに種を明かした。


「泡沫草の実さ。以前にハナが言ってたろ、葉よりも実の方が効き目は強力で、即効性があって大人の男でもたちどころに眠ってしまうって」


 旅の途中、少しばかり夜更かしした次の朝に、ハナから「よく眠れるから」と泡沫草をもらったことを記憶から引っ張りだす。

 あのとき、まさかエリオがこんな使い方をするとは夢にも思っていなかった。

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