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娼館の用心棒ピーノ  作者: 遊佐東吾
7章 来るべき別れの日
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うたかた

 ウルス帝国領内に入ってからはずっと野宿が続いていた。

 別にピーノがドゥルワの街で騒ぎを起こしたからではない。元々三人でそのように取り決めていたのだ。なるべく人目を避け、戦場になるのが予想される土地も避け、皇帝ランフランコ二世の住まう新都ネラへ向けて慎重に歩を進めていく。


 野営ではとにかく旅慣れたハナの知識が役に立った。大陸各地を流浪して生きる〈シヤマの民〉の面目躍如だ。

 切り傷などにはすり潰した雨取草の軟膏を塗り、簡素であることの多い食事が終われば鉤爪草を使ったお茶を用意してくれる。獣や鳥の爪を連想させる見た目とは裏腹に、甘い香りを漂わせるお茶は疲労回復に抜群の効果があった。


 寝床とするのに手頃な洞穴を見つけたこの日の夜も、小さな焚き火で湯を沸かしたハナが丁寧に鉤爪草のお茶を淹れている。


「はい、できたよ」


 まだ熱いから火傷しないでね、と一言添える彼女の左耳には涙に似た形をした耳飾りが揺れている。

 片時も外さないところから察するに、まず間違いなくエリオからの贈り物だろうと推測してはいるものの、ピーノはまだこの件について触れていない。下手に(つつ)くと逆効果になりそうだからだ。


 いつもみたいに静かに見守るのが正解なのかな、と思いながら手渡されたお茶へ口をつける。

 傍らでだらしなく地面に寝転がっていたエリオも上半身を起こす。


 こうやって三人で一息つく時間がピーノはとても好きだった。お茶を飲みながらひとしきり他愛ない会話に興じ、後は夢も見ないほど深く眠れたならそれでいい。

 夢、そして睡眠。とりとめのなかったピーノの思考が二つの単語で止まる。

 ここに引っかかったとなれば自然と彼女のことを連想してしまう。


「トスカが持っていた力のこと、情けないけど全然気づけなかったよ」


 つい呟いてしまったピーノへ、エリオとハナの視線が向けられた。

 いつ起こるかも定かでない未来の出来事を夢に見る。しかもその多くは悲劇的な夢であり、意図して見ることも叶わない。精神への負担が大きすぎる力である。

 オスカルとヴィオレッタの死を語っていたダンテの告白によって、トスカが隠し続けていた異能をピーノも初めて知ったのだ。


「そりゃおれもだぜ」と応じたエリオは、熱を冷まそうとしてしきりにお茶へ息を吹きかけている。


「ま、昔からの友人だったセレーネや、想いを寄せていたおまえにも教えていなかったんじゃあな。とてもじゃないが他の連中にゃわかりようがないさ」


「何それ。想いを寄せていたって、何それ!」


 夜に似つかわしくないほどに声を張り上げ、ハナがピーノへ迫る。


「そこに食いついたか……」


「エリオには聞いていませんから。どんな人なの? 森を抜けたあのときに追いかけてきてた三人の女の子の内の一人なの? ねえどうなのピーノ?」


 興味津々といった体で矢継ぎ早に質問を繰りだしてくる彼女に気圧され、ピーノはあたふたと助けを求めてエリオを見た。

 焚き火によって洞穴の壁に映しだされた大きな影を背負い、エリオが「そういやあいつらのことを詳しく話したことはなかったか」と落ち着き払って言う。


「いい機会かもな。この先対峙する可能性だってあるんだ。話を聞いて少しでも知っているのとまったく知らないのとでは、天と地ほどに違うだろうさ」


 ピーノは少しだけ口を尖らせた。


「トスカやセレーネ、ユーディットなら戦うことにはならないって。カロージェロやアマデオだってきっと大丈夫」


「おいおい。フィリッポを省いてやるなよ」


「あ、忘れてた」


「わざとかと思いきや素じゃねえか。あいつも存在感ないなあ」


 けらけらと笑い合う二人に対し、痺れを切らしたようなハナが再びせがむ。


「だから聞きたいのは、さっき言ってたそのトスカって子の話! 他の人たちはまた明日以降でいいから!」


 さほど広くない洞穴内に、彼女の声が反響した。

 ハナのこの様子では適当に切り上げられそうもない。

 今夜は思いのほか長くなりそうだなあ、と腹を括ったピーノはまだ温かさの残るお茶を喉へゆっくりと流し込んだ。


       ◇


 就寝する時刻がどれだけ遅かろうとも、朝は変わらずやってくる。


「ピーノ、昨夜(ゆうべ)は随分長話をさせちゃってごめんね」


 殊勝な口振りとは裏腹に、にやにやしながらハナが話しかけてきた。

 すでに荷をまとめた彼女は見慣れぬ草を手にしている。


「これは泡沫草っていって、深く眠りたいときに使うものなの。どうも世間にはまだ知られていないみたいだから〈シヤマの民〉だけの知恵よ」


 そう自慢げに言いながら、手に持った泡沫草とやらを渡してきた。


「短い時間の眠りでも、疲れがてきめんに吹っ飛ぶ優れものなんだからね。ありがたくもらっておきなさい」


 半ば強引に押しつけてくるような形ではあったが、ピーノも素直に礼を述べながら受け取った。

 見れば泡沫草は柔らかい葉と、淡い水色をした小さな実とで構成されている。


「この実を食べればいいの?」


「あーだめだめ! そっちじゃない。葉っぱの方を噛んでしばらくすれば効き目が表れるから、実の方には触らないように」


 ハナから厳重な注意を受けてしまう。

 小指の爪くらいの大きさしかない水色の実をいじりながら、ピーノは「綺麗なのに役に立たないかー」と残念がった。

 するとハナが猛烈な勢いで首を横に振る。


「逆よ逆。泡沫草の実には半端じゃないほどの即効性があるの。果皮が破れて中の汁を口にしてしまうと、大人の男でもたちどころに眠ってしまうんだから」


「へえ、そりゃすごい。じゃあ取扱いに要注意、だね」


「よくできました」


 拍手する仕草を見せた彼女へ、横からにゅっと別の手が伸びてくる。エリオだ。


「何だよ、そんな便利なものがあるならおれにもくれよ。ピーノにだけってのは不公平だもんな」


「えー、あんたはいつだってぐっすり熟睡してるじゃない」


「時には眠れない夜だってあるかもしれないだろ」


「冗談か何かなの? そういう繊細な性格ってわけでもないでしょうに」


「そいつはお互い様じゃないかねえ」


 すっかり明るくなっている洞穴の外をエリオが指差す。


「だいたいだな、朝に渡してどうすんだよ。寝る前じゃなきゃだめだろ」


「うるさい。忘れてたのよ……」


 ばつの悪そうな顔で縮こまりながら、ハナは泡沫草をエリオへ手渡した。


「言っておくけどそれで最後だからね。無駄遣いなんてしないでよ」


「もちろん。そりゃもう、ここぞという場面まで大事に取っておくって」


 彼らしい気軽な口調で約束し、懐へと慎重に泡沫草をしまいこむ。

 いつも通りのエリオとハナの掛け合いだ。ずっと眺めていたい光景だな、と内心で微笑ましく思いつつピーノは朝食の支度を手際よく進めていった。


       ◇


 この先には山岳地帯が待ち受けている。

 まだ一部で山火事が収まっていないドミテロ山脈ではなく、未知の山越えとなる経路をピーノたちは選択した。

 長い道のりになるが、旧都アローザを迂回できる利点もある。踏破すればそのまま眼下に新都ネラが見えてくるはずだ。


「よし、行こうか」


 エリオの号令で一行は足を前に踏みだしていく。

 今回は避けざるを得なくとも、故郷ドミテロにはピーノもエリオもいずれは戻るつもりでいた。皇帝暗殺を無事成功させ、大火災が完全に終息すればハナを一緒に連れて帰ることができる。

 言うなれば、それが今のピーノが願う夢であった。

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