暗殺行路
三頭の馬が並んで軽快に街道をゆく。まだ初日というのもあり、飛ばし過ぎないよう抑え気味の速度で。
ピーノたちの出立は案外あっさりとしたものだった。
「とにかく無事に帰ってきてくれればそれでいい」
見送るイザークからかけられた言葉も短かったが、彼やスタウフェン商会の面子による長旅の準備はまったく抜かりがなかった。ウルス帝国から逃げだしてきた時とは異なり、万全で臨める。
ダンテ・ロンバルディはすでにレイランド王国外相キャナダインとともにこの地を去っており、皇帝暗殺任務には同行しない。
聞けばこれからの人生をセス教の修道士として送るのだという。
「死んでいった連中が安らかに眠れるよう、ひっそりと祈りながら生きていくさ」
きっと今頃はおれのせいでロンバルディ家も皆殺しにされてしまっているだろうしな、と諦めきったような声で彼は言った。
そんなダンテに触発されたわけではあるまいが、旅立ちに際してエリオが選んだ衣類もセス教の僧服であった。酔いどれリーアムから贈られた、黒一色の長衣だ。
「ねえ、何でわざわざそれを選んだの?」
最初の休憩地点でハナが散々文句をつけた後に、ピーノも遠慮なく訊ねてみる。旅用の服と比べれば単純に機能で劣るはずだ。特に戦闘には不向きだろう。
だがエリオにも別の考えがあるようだった。
「まあ見てろって。そのうち必ずこいつが役に立つ」
ピーノは首を捻り、ハナも「わけわかんない」とまだぶつくさ言っていたが、二人が偽修道士の恩恵にあずかるのにそれほど時間はかからなかった。
命を落としたか逃げだしたか、理由はどうあれ祈りを捧げる聖職者のいなくなった集落では修道士の来訪が思いのほか歓迎されたのだ。戦乱の続く時代にあって、辺境だと補充の人員もままならないためそのような村も珍しくないらしい。
偽修道士であるエリオが祈りを捧げることで、一行は見返りとして食事と温かい寝床を提供してもらう。この読みにはピーノもハナも恐れ入った。
また偽物ながらエリオの芝居は堂々としており、一分の隙もなく僧衣を着こなして「まだまだ至らぬ拙僧のような若輩者でよろしければ」などと柔らかく微笑み、求められている役どころを完全に演じ切る。
いざ祈りの段になれば、セス教グエルギウス派によって定められた複雑な手順に則り、死者鎮魂の儀式を執り行っていく。神を讃え、死者の魂を慰める文言を朗々と唱えていくエリオの姿は、ピーノが知っているいつもの彼とまるで違った。
「別におれはセス教徒になるつもりはねえよ。リーアムには悪いが、そもそも神なんざ信じちゃいないしな。だけど神を信じる人たちを否定はしない」
セス教の僧服を身に纏いだして以来、エリオはしばしばこのようなことを口にする。修道士の風体をしているだけの、神の言葉を騙るただの偽物でないのはピーノにもわかる。
やはりエリオにとって、酔いどれ修道士リーアムとの出会いは相当に影響が大きかったらしい。
◇
ピーノたちの旅は順調に続く。ウルス帝国勢力圏への潜入に成功しても、いまだ一度も緊迫した場面に遭遇せずに済んでいる。
様子見を兼ねて、帝国領内で最初の街となるドゥルワにも訪れてみた。さすがにゴルヴィタや帝国の旧都アローザあたりと比べるのは憚られるほどの小さい規模だが、ここでもエリオの服装が活躍する。
修道士然として振舞う彼のおかげで、珍しい褐色の肌の持ち主であるハナへ懐疑的な視線を向けてくる者がほとんどいなかったのだ。セス教の修道士様が連れているのであれば間違いはない、とでも思っているのだろうか。
そしてもう一つ、発見があった。
通りを歩きながら、周囲に人がいないのを確認してエリオが小声で言う。
「キャナダインの爺さんは自分たち大同盟のことばかり問題にしていたが、このザマだと帝国もそう長くはないだろうよ」
ピーノも頷いて「落ちたもんだね」と同意した。
二人が知るかぎり、ウルス帝国軍の規律は非常に厳格であり、たとえ占領地であってもその方針に変わりはない。故郷に駐留していたドミテロ方面軍もそうだ。
だがドゥルワでは違った。そこかしこで飲んだくれている軍服姿が目につき、今も前方には、嫌がる素振りを見せる女を数人で取り囲みながら強引に口説いている兵士たちさえいるのだ。
このような軍規の緩みはかつての帝国軍とは程遠い。
「ねえ、さっきの角を曲がっていけば市場があったじゃない」
脈絡なく切りだしたピーノに対し、エリオが「あん?」と返してくる。
「結構賑わってそうな雰囲気は伝わってきたな。それがどうした」
「あんまり大きくはない街だけど、もしかしたら何か掘り出し物が見つかるかもしれないよ。ちょっとハナと一緒にぶらっと回ってきたら?」
ピーノの提案にハナは「えっ」と目を輝かせるが、すぐに平静を装う。
対照的にエリオからは懐疑的な視線が向けられてきた。
「おまえ、余計な騒ぎを起こすつもりじゃねえだろうな。いちいち揉め事に首を突っ込んでたら目的なんて到底果たせねえぞ」
さすがに鋭い、とピーノは内心で思いつつも努めて表情には出さない。
「やだやだ、いつからそんな疑り深い性格になったんだか。ぼくはただ、一人で街をぶらついてみたいと思っただけなのに」
「だからおまえはその手の芝居にゃびっくりするくらい不向きなんだっての」
舌打ちでもしそうな勢いで顔をしかめるエリオだったが、小さなため息をついただけで済ませてくれた。実質の承認である。
「そりゃ下手を打たないのも知ってるが、とはいえこれは一つ貸しだからな。やりすぎずに適当なところで切り上げろよ。合流場所は正門付近でいいだろ」
「前から思ってたんだけど、あんたたちって意見が割れても揉めないよね」
横からハナが口を挟んでくる。指摘されてみればその通りだ。
「喧嘩にでもなろうものならあたしには止められっこないし、いいことよ」
「はあ、お褒めの言葉をどうも」
「だったらもっと喜んだらどうなの?」
エリオの気の抜けた反応を詰りながら、ハナはくるりと踵を返す。
顔だけを後ろへ向けて彼女はにこやかに言った。
「じゃあピーノ、上手くやりなさいよ。また後でね」
◇
空の酒樽を放り投げて無粋な兵士たちへぶつけ、割と大きな騒ぎを引き起こしたピーノだったが、エリオの信頼に応えて尻尾をつかませたりはしなかった。
絡まれていた女が無事逃げおおせたのを見届け、何事もなかったかのようにドゥルワ正門前へ到着すると、少し遅れてエリオとハナもやってくる。
長い黒髪から覗く彼女の左耳には、先ほどまでなかったはずの深い青色の耳飾りが美しく光っていた。