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5話

 演奏会当日、演奏会が始まるのは午後一時。その前に会場に集まって最後の練習をしている。

「どうしよう……」

 音葉は焦っていた。ホルンの音が出なくなったからだ。

「なんで? どうしたのよホルン……」

 初めての演奏会。コンクールでステージに立ったことはあるがステージの感覚なんてどんなのか忘れてしまった。不安な感情に追い打ちをかけるようにホルンの音が出なくなる。音葉の頭はグチャグチャだった。

「どうしたの神崎さん」

 後ろから話しかけられてビクッと肩を揺らす。振り向くと奏一が立っていた。

「あ、いえ、なんでもないです」

 知られたらダメだ……ステージに立てなくなる

 音葉は奏一から目をそらしホルンを隠すようにした。

「ホルンがどうかしたんでしょ?」

「えっと、ホルンと二人きりになってきます!」

 ホルンを抱え待機室から飛び出すと走った。人気のない廊下に来るとホルンに話しかけた。

「ホルンどうしたの? なんで音が出なくなったの?」

『……』

 ホルンはなんの反応も示さない。

「ホルン……」

 はぁ……と息を吐く。

 どうすればいいの……

 ホルンを抱える力を込める。するとホルンが小刻みに震えていた。音葉自身が震えている訳ではない。

「ホルン……まさか緊張してるの?」

『……別に』

 モゴモゴと答えるホルン。

「まさか緊張してるから音でないとか……」

『……』

 図星なのかホルンはなにも言わない。

「まじですか?」

『初めてなんだよ……演奏会なんて。大丈夫って思っても逆に意識して……音がうまくでない』

「音が出なかったら吹けないじゃん!」

 後ろから音葉達を呼ぶ声が聞こえる。

「音葉ちゃーん! 最後のリハーサルやるって!」

「はーい!」

 震え続けるホルンを抱え待機室へと走って行った。



 リハーサル中にホルンの音が出ることはなかった。そのままステージの裏側まで来た。今は一つ前の学校が演奏をしている。音葉はこの状況をどうしようか考えていた。

 どうすれば……ホルンの緊張をなくせる?

 頭の中でグルグルと考える。自分の緊張と相まってもう訳がわからない。混ざり合った感情はドンドン濁った色に変わっていく。濁りが音葉を包んでいくようだった。そんな音葉の心の中に一筋の光が差し込む。

『僕はそんな   ちゃんの音楽が好きだよ』

 夢の中で会った男の子の言葉が出てきた。その言葉とリンクするように奏一が言った言葉も思い出す。

『神崎さんらしい音』

 二つのセリフが音葉の頭にスッと溶け込んでいく。溶け込んだ言葉がゴチャゴチャした濁りを消していく。

 そっか。色々考え込まなくていいんだ。

「ホルン聞いて。なにも考えなくていいよ。楽しく吹こう。屋上とか部屋で練習してた時みたいにさ」

 音葉の声が聞こえたのか震えていたホルンの動きが止まった。

「失敗したらとかそんな感情はいらない。とにかく楽しくね。それが私の……いや、私とホルンの作る音だもんね」

 ステージから拍手の音が聞こえる。演奏が終わったようだ。今度は創華高校の出番だ。暗いステージ裏からキラキラ輝くステージに向かう。視界が一気に明るくなり、観客席がよく見える。二階の席にも人が多くいる。ステージに設置された椅子に座って深呼吸をする。それぞれが軽く音を出して準備を整える中、音葉もホルンの音を出す。

 パー……

 かすれたような音だったがとりあえず音は出た。

 大丈夫。なんとか演奏は出来そう。

 先生が指揮棒を上げた。部員全員が一斉に構える。指揮棒を振ると息を吸う音が聞こえ演奏が始まる。今回披露するのはマーチ曲。出だしは皆そろって始まるが、音葉とホルンはうまく入ることが出来なかった。ホルンはまだ本調子ではないようだ。

 ここからは楽譜の半分が裏拍で埋まっている。イメージは跳ねるようにと練習を重ねていた。

 ここはスキップするようにだったよね。どうせなら飛び跳ねちゃおう!

 音葉の気持ちがホルンにも伝わってきたのかぎこちなかったホルンの音が段々といつもの調子を取り戻していく。あまり聞こえていなかったホルンの音が大きくなっていく。

 曲が終盤にさしかかる。クライマックスへの盛り上がりの場所にホルンの見せ場が待っている。練習でもうまくいかずに何度も何度も練習したところだ。音葉の頭にホルンの声が流れ込んでくる。

『見せ場……ドーンとぶちかましてやろうぜ』

 ホルンの声に軽く頷いた。

 うん。派手にやるよ。

 他の楽器の音は盛り上がるための準備でボリュームが下がっている。そこにホルン最大の見せ場、ドの音から駆け上がるようにして一オクターブ高いドを吹きあげる。ホールにホルンの高らかな音がシャワーのように降り注ぐ。

「『決まった!』」

 ホルンの音を皮切りに他の楽器の音も盛り上がり、最大ボリュームでクライマックスへと繋がった。

 指揮者が指揮を終える。観客席に向いて一礼をする。シンと静まっていた会場が歓声と拍手に包まれる。

「ありがとうございました!」

 部員全員で挨拶をして一礼をする。拍手は鳴り止まないほど。音葉は肩で息をしながら礼をしていた。耳に聞こえてくる拍手、バクバク脈打つ心臓。ステージに上がる前より脈打つスピードが速くうるさい。顔を上げると拍手する観客が見える。

 お父さんとお母さんのステージを見たときの気持ちとなんか似てる……かも……

 そんなこと思っていた音葉の胸には達成感、そして楽しかったという感情がキラキラと輝きを放ちながらいつまでも残っていた。



「ただいま」

 玄関のドアを開いて靴を脱ぐ。自分の部屋に行こうとするがリビングからの声に止められる。声は美弦のようだ。

「音葉、こっち来てくれる?」

「は、はい」

 美弦に言われるままリビングに入ってソファに座る。音葉の前に美弦が座ると口を開いた。

「今日の演奏……アレはなに? ひどかったわ」

 口を開くなり今日の演奏の悪かったところを次々と並べていく。音葉はうつむいて手のひらを握りしめた。

 やっぱり……私はお兄ちゃんみたくはならないか……

 ジワッと視界が滲みかける。しかし、その後に出た美弦の言葉は予想していない言葉だった。

「でも……ちゃんと見てたわ。音葉のこと。次はもっといい演奏をしなさいよ」

「え……」

 音葉は顔を上げた。美弦は立ち上がってキッチンへと歩き始める。

「今日はオムライスよ。制服シワになるから着替えてきなさい」

「あ、うん!」

 音葉はソファから立ち上がって小走りでリビングを出て階段を上がっていく。初めて美弦からダメ出しをもらい、さらには次の期待をされた。初めてちゃんと音葉のことを見てくれて心の中にうれしいという感情があふれる。さらに、小さいときによく作ってくれたオムライスが今日の夕飯ということにもうれしさが止まらなかった。

「音葉お疲れ様」

 声がした方を見ると律が部屋から顔を出していた。

「お兄ちゃん。ただいま」

「今日の演奏よかったよ。楽しそうに吹く音葉見てたらなんかこっちも楽しくなったよ」

「ありがとう……」

 律の言葉に照れくさくて下を向きながらモゴモゴと答える。律に褒められたのも初めてのことで胸がくすぐったかった。

「お兄ちゃん……私お兄ちゃんが羨ましかった」

 音葉の口から出たのはずっと心に仕舞っていた想いだった。

「お母さんやお父さん、周りに褒められて。ずっとずっと羨ましかった」

 律は黙って音葉の言葉に耳を傾けていた。

「でもね……ホルンと出会って気がついたの。私には私にしか出来ない音楽があるって。だからもうお兄ちゃんを羨ましいなんて思わないよ」

「そっか……」

 音葉の想いを聞いて律は微笑んだ。それを見て音葉もにっこりと笑った。久しぶりに律の前で心から笑えた音葉だった。

 音葉は自分の部屋に入ろうとドアノブに手をかけた。

「音葉。

 俺は音葉が羨ましいよ」

「え?」

 突然の言葉に理解が出来なかった。律が話を続ける。

「なんにも囚われずのびのび生きる自由な音葉。俺はそんな音葉をずっとずっと羨ましいと思って生きてきたよ。きっと……これからも思い続けるだろうけどね」

 そう言って苦しそうに笑う律。律の瞳が一瞬だけ光を失い、まるで心の宿らない人形のような虚ろな目をした。音葉の心になぜかツキンと針を刺したような痛みが走る。

 律の部屋の扉がバタンと閉まる。

 律の目が音葉の脳裏に刻み込まれ、少しの間その場から動くことが出来なかった。



『お前の兄貴は何かを抱えてんのか?』

「わかんない……」

『ま、いつか知ることができんじゃねーの?』

「そうだね……」

 ここは屋上。演奏会から数日が過ぎていた。あの日、家であった出来事をホルンに話す。律の言ったことについて音葉自身で考えたけど律の気持ちはわからなかった。ホルンに相談したけど結局わからずじまいだ。

『でも母さんは褒めてくれたんだろ? よかったじゃねーか』

「うん」

 屋上に爽やかな風が吹いて音葉とホルンを優しくなでていく。

「ホルン……ありがとうね」

『な、なんだよ急に』

「ホルンと出会わなかったらお母さんに正面から接すること出来なかったし……それにお兄ちゃんに本音だって言えなかったと思う」

 ホルンはなにも言わない。

「ホルンの質問。今なら答えられるよ。私は音楽が好き……ホルンと一緒の音楽が大好きだよ」

『……』

 黙ったままのホルン。しかし、音葉にはわかる。照れくさくてなにも言わないってことに。音葉の心には伝わってきた……ホルンの気持ちが。

「ホルン……照れてるんでしょ?」

『バッ……ちげーし!』

「またまたぁーバレバレですよ?」

『う、うるさい!』

「ほんと仲良しだね」

 後ろからした声にビックリして少しだけ体が宙に浮く。声のした方を振り向くと奏一がいた。

「せ、先輩! いつからそこに……」

「『ホルン……ありがとうね』あたりから」

「結構恥ずかしいところじゃないですか……」

 赤くなった顔を見られないように顔を伏せる。奏一は音葉の隣に腰掛けた。

「ほんとホルンと仲良しだよね」

 音葉は隣の奏一を見つめた。奏一はグラウンドの方を見ている。音葉がホルンと仲良くなれたのも奏一が会話することを提案してくれたからだ。

「先輩のおかげです。ありがとうございます」

 音葉は奏一に感謝の思いを伝えた。

「どういたしまして」

 笑いながら奏一は言った。笑った顔が夢の中の男の子となんとなく一緒に見えた。

「私……奏一先輩と昔会ったことありましたか?」

 気になって奏一に尋ねた。

「さあ? どうだろ……?」

 奏一には曖昧な返事しかもらえなかった。

「さー練習に戻らないとね」

 そう言って奏一は立ち上がった。なんとなく音葉も立ち上がり奏一を見る。

「それじゃ、練習頑張ってね。おとちゃん」

 奏一は手を振って屋上のドアに向かって歩き始めた。

 おとちゃん。

 夢の中で会った男の子が音葉のことを呼んだときの口の動き、奏一の言った言葉、すべてが音葉の記憶とシンクロした。

「……そーちゃん?」

 ポソリと呟くと、

「思い出すのが遅いよ。おとちゃん」

 振り向いた奏一が昔と変わらぬ微笑みを向けた。そのまま一言だけ残して屋上を出て行った。バタンと閉まった扉を見つめたまま動かなくなる音葉。

『どうしたんだよ? おーい。おとはー?』

 ホルンが声をかけるがなんの反応もない。数秒後に屋上、学校中に聞こえるんじゃないかというくらい大声で叫んだ。

「えぇ~!?」

『うるせえ! なんなんだよ! 聞いてんのか?』

どんなにホルンが話しかけても今の音葉にはなにも聞こえていない。音葉は心の中に巡る想いを整理するので忙しいからだ。

『おい! おとは! 話を聞けー!』

ホルンの叫びは屋上に吹く風がふわりと優しく運んでいった。

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