4話
ホルンと話をして数日が経った。あの日以来ホルンとの関係は少しずつだけど変わってきて、部活中もよく会話をするようになった。
『音楽が好きなのか?』
ホルンが投げかけた質問に音葉はまだ答えることができずにいた。そんな音葉にホルンは何も言うことはなく、掘り返すことはなかった。
今日も音葉とホルンは屋上にある突出したような小屋の上で練習をしていた。ホルンの指導を受けて、入学当初より呼吸の仕方や腹筋、吹くときの口の形が変わっていった。音葉にとってホルンはコーチのような存在となりつつある。
「ホルン、今日は何をすればいいの?」
ある程度ウォーミングアップを終えて音葉はホルンに尋ねた。ホルンは少しだけ考えてから答えた。
『音出してみよう』
「音を……出す……」
音葉が弱弱しく答える。自信無さげな音葉に対してホルンは自信に満ち溢れたようにハッキリと言い放った。
『大丈夫だ。いいから構えろよ』
音なんて出るわけない、そう考えていた音葉の気持ちをホルンの言葉が振り払う。不思議と吹いてみようという気持ちが出てくるようだった。
「う、うん」
音葉はホルンにマウスピースを取り付けると、重い腰を持ち上げ立ち上がる。フェンスの向こう側が少し見え、グラウンドの様子がわかる。野球部がノック練習をし、サッカー部はシュート練習をしている。
ホルンを構えて吹く体勢になる。目をつぶり神経を集中させると部活の掛け声、風が吹く音がよくわかる。頭の中でホルン全体に空気が行き渡るイメージをする。大きく息を吸い込んでホルンの中に空気を送り込む。
パー……
屋上に響き渡るホルンの音。透き通った音は風に流され真っ青な空の中に溶け込んだ。屋上に訪れる静寂。音葉はポカンと口を開け、間抜けな顔で突っ立ったまま。
「い、いま、おと、でっ……でた」
コイがエサを求めて水面で口をパクパクさせるかの様に、口を開いたり閉じたりを繰り返していた。
「も、もう一回……」
そう言ってもう一度ホルンを構え直し、さっきと同じように息を吹き込んだ。
パー……
音葉が最初の頃出していた音とはとてもかけ離れた綺麗な音がホルンから出ていた。マウスピースを口から離すと目をパチパチとさせた。
『言った通り、大丈夫だっただろ』
「音階吹いてみてもいい?」
『ああ、いいぜ』
音階の運指表を見ながら息を大きく吸い込む。ホルンに息を吹き込みながらリズムよくレバーを押していく。
ドから始まってドの次はレ、レの次はミ、ミの次はファ、とゆっくり確実に音の階段を上がっていく。音のてっぺんである高いドに到達する。一オクターブ高いドの高らかな音が屋上から空へ響き渡る。
「できた……」
空に浮かぶ白い雲を見つめながらポソリとつぶやくと、下を向いてフルフルと震える音葉。そんな音葉の様子を見てホルンが話しかける。
『おい、どうしたんだよ』
ホルンの言葉と重なるようにして音葉は急に大きな声を上げた。
「できた! ホルン吹けるようになった!」
叫んだ音葉はそのままホルンを抱えながらピョンピョンとその場でジャンプし始めた。
『うお! おとは危ない……』
音葉のジャンプに揺られながらホルンが叫ぶがその声は音葉に届かず、さらに音葉はクルクルと回り始めた。
『ちょ、おとは回るな!』
抱えられたホルンにとってこの状況は絶叫マシーンに乗っているのと同じ状況だった。
「やったあ! 音出たよ~!」
『目が回るぅ~……助けて……』
とびきりの笑顔で跳ねて回ってを繰り返す音葉にホルンの思いは届かないとわかったため、されるがままになるホルン。浮かれ喜ぶ音葉とグッタリ疲れたホルンの元に声がかかる。
「楽しそうだね、神崎さんとホルン」
声がしたのは音葉たちがいる所より下の方。動きを止めた音葉が下の方を覗くとチューバを持った奏一が立っていた。
「奏一先輩! いつからそこに……」
音葉は顔を少し赤くしながらうつむいた。
『助かった……』
音葉に抱えられているホルンはやっと絶叫マシーンから解放されてホッと息をついた。
「綺麗な音が聞こえたから来てみたんだ。そしたら神崎さんが笑顔で跳ねたりしてるから……フフッ」
奏一は耐えられなくなったのか大きな口をあけて笑い始めた。そんな奏一を見て音葉の顔は湯気が出そうなくらいに真っ赤になった。
「わ、笑わないで下さいよ……」
うつむきながらか細い声でつぶやく。
「ごめんごめん。でもよかったよ。音が出るようになったみたいで。この調子なら演奏会で吹く楽譜渡してもよさそうだね」
「演奏会……?」
『演奏会?』
奏一の言った事に音葉とホルンは声を合わせて聞き返した。
「近くの高校と合同演奏会があって、うちの吹奏楽部も出ることになったんだ。一曲しか吹かないんだけどね」
その時期になると合同演奏会が開催される。周辺の高校の吹奏楽部が集まって毎年競いあっているのだ。
「私出れるんですか?」
「うん。音が出るようになったのなら出れるよ」
音葉にとって初めてとなる演奏会。音をまともに出すことの出来ない音葉には関係ないと思っていた。
「わ、私頑張ります! ホルンと一緒に!」
ホルンをギュウッと抱えて空に響き渡るくらいの大きな声で奏一に宣言した。少し目を見開いた奏一はにっこりと微笑む。
「頑張って。神崎さんらしい音、楽しみにしてるよ」
そう言って屋上から去っていった。奏一の後ろ姿を見つめながら音葉は不思議な気持ちでいた。ボーッとしている音葉を不思議に思ったホルンが話しかける。
『おとは? どうしたんだ?』
ホルンの問いかけにハッと我にかえる。
「んーん。なんでもない」
そう言った音葉だったが奏一の言葉が心の奥で引っかかっていた。
『神崎さんらしい音』
音葉の記憶の中になんとなく残っているような、思い出せそうで思い出せない。曖昧な感情が胸の内にいつまでも残った。
音葉は真っ暗なところにいた。右を見ても左を見ても上を見ても下を見ても真っ暗な闇が広がっている。なぜかわからないけど暗闇を歩いていた。耳に入ってくる情報は誰かが泣いている声だけ。
誰が泣いているんだろう……
どのくらい歩いていただろうか。目の前にうずくまった少女がいた。膝を抱え顔を埋めて泣いている。どうやら聞こえていたのはこの少女の泣き声のようだ。少女のそばには乱暴に丸められた紙くずとピンク色の花のコサージュが放ってある。
この子知ってる。
音葉には見覚えがあった。
……私だ。
音葉の目の前にいる少女は幼い頃の音葉だった。
覚えてる。なんで泣いているのか……
幼い音葉のそばにある紙くずは賞状だ。花のコサージュはコンクールのために付けていたおめかしの証。放ってあるのはもういらないってわかったからだ。幼い音葉を見つめあの時の気持ちを思い出す。
コンクールで頑張ればお母さんも私を見てくれる……そう思った音葉は練習をしてコンクールを迎えた。結果は三位で初めて賞状をもらうことが出来た。賞状を握りしめて家族の元に走った。どんな顔するかな? どんな風に褒めてくれるかな? なんてドキドキしながら。
しかし、律が最優秀賞でトロフィーをもらっていたのだ。
「トロフィーもらったのよ! さすが律ね」
「えへへ……あ、音葉。なに持ってるの?」
「なんでもないよ。おにいちゃんすごいね!」
美弦のうれしそうな顔。律の照れた笑顔。そしてトロフィー。そんなのを見たら音葉のもらった賞状なんて見せることが出来なかった。体の後ろに手を回し、賞状を隠した。羨ましいという感情を押し殺し作り笑い。音葉はその場から逃げるように走り出した。
一人ぼっちの部屋で賞状をグシャグシャに丸めて投げる。胸に付けられたコサージュもブチッと引きちぎって投げ捨てた。目から涙が溢れ出し視界がぼやける。泣くなってどんなに思っても止まることはなかった。膝を抱えて座り込み泣いた。悔しいとか苦しいとか子供だからよくわかんなかったけどとにかく想いが溢れて止まらなかった。
昔味わった気持ちを思い出した音葉は幼い音葉に話しかけようとした。その時、誰かが近づいてきて声をかける。
「泣かないで」
その声に顔を上げる幼い音葉。声がした方を見ると男の子が立っていた。音葉には見覚えがない子だ。前いた姿のわからなかった子供と一緒の人かもしれない。
男の子は音葉の横を素通りして丸まった賞状を拾い上げる。丁寧に広げてシワを伸ばしていく。幼い音葉に近づいてしゃがみ込む。
「ダメじゃん。大事な賞状グシャグシャにしちゃ」
ヨレヨレになってしまった賞状を差し出すが幼い音葉はうつむいたまま。
「……いらないよ」
うつむきながらつぶやく。
「いらなくなんかないよ。初めてもらった大事な物でしょ?」
男の子の言葉にゆっくりと顔を上げる。幼い音葉の顔は涙でグシャグシャだ。
「僕演奏聞いていたよ。すごかった。とっても楽しそうに演奏してて」
「……ほんと?」
「ほんとだよ。 ちゃんらしい演奏だった」
音葉の胸の奥、男の子の言葉と奏一の言葉がリンクする。
「わたしらしい……?」
幼い音葉は男の子の言葉に首をかしげハテナを浮かべる。
「うん。楽しそうで心から音楽が大好き! というのが伝わってくる。それが ちゃんらしい音楽だよ」
「わたしらしいおんがく……」
「僕はそんな ちゃんの音楽が好きだよ」
そう言って男の子は優しく頭をなでた。男の子を見つめて幼い音葉はえへへと口角を上げて微笑んだ。
ハッとして目を覚ますと真っ白な天井が見えた。ゆっくり起き上がって時計を見ると朝の五時を過ぎたくらいだった。夢の影響なのか音葉の目から涙が出ていた。パジャマの袖で涙をぬぐうとまたゆっくりと布団の中に入り込む。
寝たらまたあの男の子に出会えるかな……
そんなことを考えつつ、もう一度目をつぶった。男の子に会えることを願いながら眠りの世界へと落ちていった。
演奏会が近くなってきた。ホルンと音葉はさらに練習に力を入れた。休みの日、音葉はホルンを持ち帰って練習をしていた。
『ここはもっと力強くしようぜ』
「う~……休憩! 休憩しよう!」
そう言って音葉は自分の部屋から飛び出しリビングへ向かった。リビングのソファにホルンを置き、奥にあるキッチンに向かうと棚からマグカップを取り出す。引き出しをごそごそとあさった音葉はココアを取り出して作り始める。お湯を注いで粉を溶かしていく。
『飲むのはいいけどちゃんと口をゆすいでから吹いてくれよ』
「はぁーい」
ホルンの小言を軽くあしらいながらホルンのいるソファに腰掛ける。熱々のココアを冷ましつつ少しだけすする。
「はー……おいしー」
疲れた体に甘いものが染み渡る。
『それ飲んだら練習再開な』
「えーもう少し休もうよ」
休憩なしのノンストップで練習していたため結構な疲労感がたまっていた。そんなことお構いなしにホルンは練習するもんだから音葉は強制的に休憩を取った。マグカップを机に置いてソファの上でグダッとだらける。すると玄関の鍵が開く音がする。
「ただいま。音葉いるの?」
玄関から美弦の声が聞こえた。律のコンクールが終わり帰ってきたようだ。音葉はココアを一気に飲み干し、シンクでマグカップをゆすいだ。ついでに自分の口もゆすいだ。
「音葉、ここにいたのね」
リビングの入り口には美弦と律が立っていた。手にはトロフィーを持っている。また一番をとったのだろう。
「お母さんとお兄ちゃん。おかえりなさい」
ホルンを抱え、二人を通り過ぎてリビングを出る。ギュッと抱きしめられているホルンが音葉に言った。
『なあ。演奏会があるってこと伝えようぜ』
ホルンの言葉に驚き階段を上ろうとした足を止める。
「え……?」
『見てもらおうぜ。頑張ってるところ』
「でも……」
躊躇する音葉にホルンは優しく話しかける。
『大丈夫だ。俺もいるし』
音葉の心の中でホルンのセリフが何かのスイッチを押した。その途端音葉はリビングの方に向きを変えて走り出す。
「わ、私演奏会出る、から! み、見に来てほしい! お母さんとお兄ちゃんに」
突然の音葉の行動にポカンとしてソファに座る美弦と律。音葉自身もびっくりだった。こんな行動するなんて思ってなかったから。
「それじゃあ……練習してくる!」
そう言い残してリビングを去った。部屋に戻るとドアの前でヘナヘナと座り込む。うるさいくらいに心臓の音が頭に響く。
「言えた……」
『言えたな。よかったな』
「うん……」
『頑張らないとな』
「うん」
拳を強く握ってコツンとホルンに当て、頑張ろうと誓い合った。




