3話
暗い暗い部屋の中、ポツンと置かれている黒いケース。その中でグルグル考えことをしている楽器が一つ。ブツブツと文句を言っている。
『なんであいつ来ないんだ。他の奴等はさっさと持って行かれたのに』
ホルンは一人ある相手を待っていた。それはなぜかと言うと……
「今日こそ音出してくださいよ~」
と言ってやってくる音葉が来ていないからだ。ホルンの中で悪い予感が頭をよぎる。
『まさか……また同じことになったのか?』
ホルンの中で嫌な思い出がよみがえってくる。
「お前なんで勝手に音を出すんだよ! 言うことを聞けよ!」
うるさい……俺の勝手だろ。
「もうお前とはやってられねえ」
俺だってやってられねえよ。
「お前なんか……ホルンなんかいらない」
昔言われた一言がホルンの心をズキズキとさせる。
『俺はまた捨てられたのか……? あいつなら他のやつとは違うと思ったのに……』
ガチャ……
ドアノブを回す音がした。誰か入ってきたようだ。ホルンはケースに入っていて周りが真っ暗で誰が入ってきたかわからなかった。
「あ、ホルンあった」
ホルンに聞いたことのある声が聞こえてきた。
この声は……あいつだ。あいつ来てくれた。
音葉の声にホッと息をついたホルンだったが、
な、なに俺はホッとしてんだ?
ホッとした気持ちを振り払うようにブンブンと首を振る。首がある訳じゃないけど。
「そーっと持ってかなきゃ……バレたら大変」
ホルンの体がフワッと浮いた。どうやら音葉がホルンのことを抱え込んだのだろう。すると音葉は急に走り出したのか穏やかだった揺れが激しくなる。ケースの中でなにもわからないホルンはいきなり揺れ始めて、なにが起こっているのかわからなかった。
わ、わわわ、揺れ、る。も、もう少し、大事、に運べ、よ!
残念ながらホルンの叫びは音葉には届かず、ホルンの気持ちなんて知らない音葉は激しく揺らしたまま。
動きが遅くなりホルンはホッとした。束の間、今度はケースに何かにぶつけているようだ。しかも何度も。
「通ります……すいません」
ゴツン ゴツン
ホルンに振動が伝わってくる。
こいつ……何度もぶつけやがって……
そんなホルンに何かアナウンスのような声が聞こえてくる。
「本日もバスをご利用いただきありがとうございます。次は……」
どうやらバスに乗ったみたいだ。ということはホルンにゴツゴツぶつかっていたのは座席に付いている肘置きだったようだ。
バスに揺られること数分、降りるときもゴツゴツぶつけながら降りた音葉。そんな音葉に対しての不満が大きくなる。音葉は何かの上にホルンを乗せたようだ。ケースのカギを開ける音がする。暗かった視界に隙間から光が入り込む。
ここは……どこだ?
ケースが開くとホルンは周りをキョロキョロと見渡した。ケースから取り出されたホルンはフワフワのクッションの上に優しく置かれた。クッションはとても柔らかくホルンの振動で疲れ切った体を優しく包み込んだ。
結構気持ちいいな……
そんなこと思っていると、音葉は姿勢を正してホルンに向き合った。
「わ、私の名前は神崎音葉です。歳は十五歳。誕生日は十月十八日で……えっとあとは、あ、血液型はA型です!」
急に自己紹介を始めた音葉。急すぎてホルンも理解が出来ずポカンとした。
「家族構成は父、母、兄!」
『ま、待ってくれ! なんなんだ急に!』
思わず大きな声を上げたホルン。ホルンに向かってペラペラ喋っていた音葉の動きがピタッと止まる。ホルンは言葉を続ける。
『急に自己紹介するとか訳わかんねえ! てゆーかここドコだよ! 急に担がれたと思ったらめっちゃ揺れるし、どこかにぶつけまくるし何なんだよ!』
ハァ……ハァ……言ったぞ俺は……
さっきから抱え込んでいた思いの丈を伝え息が上がったホルン。そんなホルンを見つめていた音葉が口を開いた。
「ごめんなさい、説明もしないで……ここは私の家のリビング。なんでここに連れてきたっていうと、えっと、話がしたくて……」
口をモゴモゴとさせながら説明をする音葉。
『話……?』
「あの……ごめんなさい! 私ホルンに対して失礼だったよね……」
ホルンの前でペコリと頭を下げる音葉。
「なんで音出さないのよとか……すっごい上から目線だよね! 本当にごめんなさい」
どうやら音葉はホルンに今までの態度のことを謝っているようだ。音葉はずっと頭を下げ続けている。
『べ、別に……でもなんで急にそんなことを……』
「ホルンのことちゃんと知りたいから。そして私のことも知ってほしくて。だから今までの態度のことを謝っておかないと」
音葉は真っ直ぐにホルンを見つめている。その視線から伝わってくるのはホルンに対する謝罪、そしてホルンのことを知りたいという気持ちだった。ホルンにとってこんなにも素直な気持ちをぶつけられたのは初めてだった。
こいつは……他の奴と全然違う
「お互いのことを知るためにさ、色々話そうよ? ね?」
少しなら、近寄ってもいいか……
『会話してやっても……いいぞ。おと、は』
なんだか気恥ずかしくてカタコトになったが、初めてホルン自ら言った音葉の名前。ちらりと音葉の顔を見ると、驚きのあまり目をまん丸にし、ホルンの方に指をさし口をパクパクとさせていた。
ホルンと音葉はリビングから場所を移して音葉の部屋にやってきていた。話の続きはご飯やお風呂を済ませてからにしようとなったのだ。
「なんだかお泊り会みたいだね」
お風呂から上がり寝巻に着替えた音葉がホルンに話しかける。ホルンはクッションの上に鎮座している。どうやらリビングのクッションが気に入ったみたいで部屋まで持って来いと言ったくらいだ。
「お泊り会なんて久々だよ~」
『……友達いないのか?』
「いるし! ちかちゃんっていう大事な大事な友達がいまーす」
『ふーん』
「あ、信じてないでしょ?」
『なあ、なんでこの家はおとは一人なんだ?』
ホルンの素っ気ない返事に反論する音葉だが見事にスルーをされてしまう。ホルンは家にホルンと音葉しかいないことに疑問を持ったようだ。
「あー今私以外の家族は出かけているの」
『どこにだ? なんでだ?』
ホルンは気になるのか食い気味で質問をしてくる。
「海を越えた先にある大陸。その大陸にも音楽の国があるんだって。お父さんはそこでピアニストとして活躍してる。だから滅多に帰ってこないの」
『そうか……他の家族は?』
「お兄ちゃんはお父さんのいる国でコンクールがあるから昨日出発した。お母さんはお兄ちゃんの付き添い」
『じゃあ昨日はこの家に一人きりだったのか?』
「毎回だから慣れたよ。お母さんは私よりお兄ちゃんが大事なのよ」
『おとは、大事にされてないのか?』
恐る恐るホルンが質問をする。
「私には音楽の才能がないから」
『才能がない?』
聞き返すホルンに音葉の抱え込んでいるものが溢れ出してくる。
「お兄ちゃんと一緒に始めたピアノ、先に賞を取ったのはお兄ちゃん。その後もお兄ちゃんは賞を取り続けたよ。
私は……なにも取れなかった。何もできない私を見て次第にお母さんは私のことを見なくなった。お兄ちゃんばっかり。
頑張ってテストで百点を取ろうが、短距離で一位を取ろうが、絵で賞を取ろうが……見てくれなかった。だってお母さんが欲しいのは音楽に関する賞だから」
『吹奏楽部に入ったのは……?』
「お母さんに私を見て欲しいから音楽をやるしかないの」
『……おとはが音楽を好きになれないのはそれが理由なのか?』
ホルンの言葉にドキッとし思わず聞き返した。
「え……?」
『俺を吹こうとするとき楽しくなさそうだ。俺はおとはが音楽好きじゃないのかと思って音を出すのをやめてた。
おとは……お前は音楽が好きなのか?』
「それは……」
音楽が好きか…… あれ、私
音楽好きだっけ?
ホルンの質問に音葉は答えることができなかった。
ポーン
なんだかふわふわする……あれ、何の音だっけ? 向こうにいるのは……誰?
なんだかよくわからない空間に浮いてるような感覚だ。遠くの方には二つの影が見える。身長的に4、5歳くらいだろうか。
「おにいちゃん! いっしょにきらきらぼし!」
「いいよ。いっしょにひこうか」
ぼやけていた視界がだんだんとはっきり見えはじめる。男の子と女の子がピアノの前に集まっている。聞こえた音はピアノの音だったようだ。どうやら二人は兄妹らしい。兄妹はピアノの前にある椅子に腰かけるとピアノに手をかけた。
「おとは、じゅんびはいい?」
「おっけー!」
音葉……? あれは小さいころの私? その隣はお兄ちゃんってことだよね。なんで小さいころの私とお兄ちゃんがいるの?
「せーの」
律の掛け声とともにピアノからはきらきら星が奏でられる。音葉はリズムに合わせて揺れながらニコニコ笑っている。楽しそうに奏でる旋律を支えるように律が和音を弾いている。音葉のように顔には出てないが楽しそうな雰囲気が律からも感じられる。
私楽しそうだ。それにお兄ちゃんも。
今の音葉と律の関係からは想像できないくらい仲良さそうにピアノを弾いている。
きらきら星を弾き終えた音葉は手をパチパチ叩いて喜んでいた。
「たのしかった! もっかいやろ、もっかい!」
「おとは……もうすこしでれんしゅうのじかんになるよ」
律は部屋の壁に飾られた時計を見つめて、もう一回とねだる音葉をなだめた。すると遠くから見知らぬ声が聞こえた。
「なにしてるの?」
誰だろう……
そう思って後ろを向こうとしてもなぜか体が動かない。
「あ! ちゃん!」
音葉はその声がした方を向いて椅子からピョンとはねた。名前を言ったはずなのに靄がかかったようになってうまく聞こえなかった。
見知らぬ子がピアノに近づいてきた。どんな子なのかわかると思ったがその子の周りを霧みたいなのがかかっている。目を凝らしても姿が全くわからない。
「 ちゃんもいっしょにきらきらぼしひこうよ!」
近づいてきた子供の手を引っ張ってピアノへと誘導する音葉。
「うん。いっしょにひこうか 」
何か言ったように思ったがその子供の言葉は聞こえることは無く、音葉の体の浮いていた感覚がなくなり落ちていく感覚に変わった。
待って! あの子は誰なの……
手を伸ばすがただ宙を虚しくひっかく。手のひらの向こうに三人の背中が見え、どんどん遠ざかっていく。周りはなにも無く、底のない闇に落ちていく。
ピピピピピ
何かが鳴っている。音が頭の中に響き渡り、誰かが呼ぶ声がする。
『おとは! なんか鳴ってるぞ! うるさいんだよ!』
びっくりして飛び起きるとベッドの上にいた。ピピピピ鳴っていたのは目覚まし時計の音。目覚ましを止めて周りをキョロキョロと見渡す。クッションの上に置かれたホルンが目に入る。
『なんですぐに止めないんだよ!』
目覚ましをすぐに止めない音葉に対してホルンはご立腹のようだ。
「なんだ……夢か」
ホッと息をついた音葉だったが胸の中に残るものが。
あれはただの夢? それとも小さい時の記憶?
私は何かを忘れてる……?




