1話
広くて天井が高く大きな箱の中。何百という観客が見つめる先は、きらめくライトに照らされたステージの上にいる二人の姿。一人はピアノ、一人はヴァイオリンを演奏している。
細くて長い指が、ピアノの鍵盤の上でステップを踏むようにヒラリヒラリと舞い踊る。四本の絃が奏でるメロディが、ピアノの音色にふわりと優しくドレスを纏わせる。
ピアノを弾くおとうさん、ヴァイオリンを弾くおかあさん……二人とも眩しいくらいの笑顔で心から楽しそうだ。
「わぁ……すごい……」
思わず声を出してしまい、手で自分の口を押さえる。チラッと左隣に座るおじさんを見ると、顎にひげを生やしてギロリと睨んでいたおじさんはいなかった。目がぱっちりと開いてステージを見つめ、リズムに合わせて体を揺らしている。
今度は右に座っているおにいちゃんを見る。まんまるになった目はキラキラと輝いて、左隣のおじさんと同じ顔している。きっとおじさんやおにいちゃんだけではない。この会場にいる人みんな同じように瞳を輝かせているだろう。
もちろん、わたしの瞳も。
おとうさんとおかあさんの奏でる音楽に体がウズウズしてくる。ウズウズする気持ちを抑えつつステージを見つめる。おとうさんがピアノの鍵盤から目線をおかあさんに向けると同時に、おかあさんがピアノの前に座るおとうさんを見つめる。目があった二人は微笑み合いながら演奏を続けた。
『おとうさん、おかあさんすごい……』
それと同時に一つの想いが芽生える。
『わたしもおとうさんとおかあさんみたいに……
おんがくをたのしんで……えんそうをしたい!』
「う~ん……」
鏡の前で唸りながら胸元のリボンの位置を整える。しかし、上手くいかずにリボンはまだ少し曲がったまま、どんなに動かしても真っ直ぐにはなってくれない。睨みつけるように鏡を見ていると、頑張って内巻きに整えたはずなのに、しぶとい寝癖が目立つようにはねている。
「げっ! 直ったと思ったのに」
クシを取り出して一生懸命に髪を梳くが元気にピョンとはねるばかり。
「もー! なんなのよー!」
言うことを聞かない髪の毛に腹を立てながら時計を見ると、時計の針は七時四十分を指している。もう少しでバスが来てしまう時間だ。
「やばっ!」
クシを適当に机の上に置き、ハンガーに掛けてある茶色のブレザーを着る。タンスから引っ張り出したハンカチを雑にブレザーのポケットに突っ込み、反対側のポケットには音楽プレーヤーとグシャグシャに絡まっているイヤホンを入れる。
学校指定のスクールバッグを持って、勢いよく部屋から出てドタドタと階段を下りていく。玄関で真っ白のスニーカーを履いて、靴箱の上に置いてある鍵をガシッと掴んだ。
「いってきます!」
ドアが閉じるのも確認しないで走り出していくが、少し走ったあたりで何かを思い出したようにクルッと向きを変えた。
「鍵かけるの忘れた!」
そう叫んで家に向かって走り出す。
神崎音葉の朝は大抵慌ただしく始まる。
「あ、おとはだ。おはよ~」
「お、おはよう……」
ヨロヨロと席に近づき、ドカッと座って机の上に突っ伏し動かなくなる音葉。
「おーい。生きてるー?」
前の席に座る女の子が音葉の頭をペチペチと叩くが、返事もなければ動く気配もない。
「まーた今日も寝坊したの? 新しい目覚まし買ったら?」
音葉は机に伏せた状態で弱弱しく答える。
「ちかちゃん私のことをなんだと思ってるの……」
音葉の前に座っている女の子は篠田智花。智花とは中学生からの仲で、中学の合唱部で出会った。出会った頃に『ともか』という読み方を間違えて『ちか』と読んでしまって以来、音葉は『ちかちゃん』と呼んでいる。
「お寝坊おとはちゃんじゃないの?」
のそりと伏せた顔を起こして智花の言葉に反論をする。
「今日は目覚ましが鳴る前に起きたの! でも髪の毛と格闘してたらバスの時間になってて……しかも鍵閉めるの忘れてもう一回家に戻る羽目に……」
すると智花がプッと吹き出し笑い始める。
「格闘してたって……フフッ……結局寝癖あるから負けてんじゃん! あはは!」
音葉の頭にピョコンとはねる寝癖を触りながら爆笑している。
「ちかちゃんひどい!」
「ごめんごめん! 智花さんに任せなさい! 寝癖隠してあげるから!」
そう言うと智花は自分のカバンの中からピンク色のポーチを取り出し、クシとヘアゴムを出して音葉の髪を丁寧にといていく。ある程度とくと寝癖の髪を加えて編み込みをして、仕上げにオレンジ色の小さいリボンをつける。
「はい。できたよ」
智花はむすっと頬を膨らましている音葉の顔を鏡で映す。目の前の鏡を数秒見つめたのち、目を輝かせていく。
「わぁ~! ちかちゃんありがとう!」
「お、機嫌なおった。どーいたしまして」
喜ぶ音葉、そんな音葉の姿に優しく微笑む智花。生徒たちの楽しそうな話し声でいっぱいの教室に学校が始まる合図のチャイムが鳴り響いていた。
モノと人が互いに意思疎通をし合い、協力してこの世界は成り立っている。モノは意思を持ち人の言葉を理解し、人はモノの声を聴き会話をする。この世界にある草木などの植物や、動物も人が生み出したモノ。国によって意思疎通をするモノの種類は異なってくる。コンピュータなどと意思疎通をする機械の国、植物と意思疎通をする花の国など色々な国がある。
音葉の住んでいる国は楽器と意思疎通をする音楽の国。音楽の国の端の方、隣の花の国に近いところにある『創華高校』に音葉は通っている。音楽の国にあるといえど花の国に近いため、音楽の勉強と共に植物のことについての勉強が主である。国と国との国境線に近いところの学校では二つの国の勉強をすることが多い。
国の中心都市ではより専門的な勉強ができる学校が多く集まっている。音楽の国の優秀な人が集まる有名な音楽大学『麗響学院』。そこに行くことが音楽の国に住む誰もが思う憧れの場所なのだ。そこに通う神崎律は学院の中で一番有名だ。幼いころからピアノで数々の賞を取っていて、海外でも活躍し始めたピアニストだ。律の父親、神崎楽都は世界でも活躍する天才ピアニスト。さらに律の母親、神崎美弦も有名なヴァイオリン奏者。そんな音楽一家の神崎家に生まれたのが音葉なのだ。
しかし、音葉には父親や母親、兄の持っているような音楽の才能は何一つ無かった。
キーンコーンカーンコーン
授業の終わりを告げるチャイムの音が鳴り響く。教室は生徒たちの声でうるさくなる。授業終わりのあいさつを終え、机に散らばるシャーペンや赤ペンを筆箱に入れて教科書やノートと共にまとめてカバンに仕舞い込む。カバンのチャックを閉じて肩にかけて教室の出口を目指していると、後ろから音葉を呼び止める声が。
「おーとは」
振り返ると智花の姿があった。
「今日も部活あるの?」
「うん。ちかちゃんは?」
「今日は無いからおとはと遊ぼうかな~って思ったんだけど……しょーがないか」
智花は残念そうに口を尖らせる。
「ごめんね。家庭科部と休みが被ったらまた誘って」
智花に向かって手のひらを合わせて謝る。
「いーよ。それじゃあね~」
軽く手を振りながら言う智花に音葉も帰りのあいさつをする。
「うん。ばいばい」
手を振って廊下へと向かう。するとまだ何かあったのか智花が声をかける。
「あ、おとは」
なんだろうと思い後ろを振り向いて首をかしげる。
「部活頑張って。今日こそ吹けるようになるといいね」
智花の言葉に力強く頷いて笑顔でピースサインをする。
「うん! 頑張るね!」
そう言って音葉は智花に手を振り教室を出ていく。廊下に出て少し小走りになる。生徒の波を抜けると自然に小走りのスピードが上がる。
今日こそは完璧に音を出してみせるんだから!
決意を胸に吹奏楽部の練習場所の音楽室に向かって走り出した。
四月、音葉は創華高校へ入学し、吹奏楽部に入部した。音葉は不安でいっぱいだった。吹奏楽部では一番最初に適性検査というものを行う。適性検査とは自分が楽器と心を通わせることができるのかということだったり、どの楽器が自分に合っているのかということなどを検査するものだ。吹奏楽部に入るために必ず通らなければいけない道だ。
音葉は一回その検査に不合格になったことがある。中学の時に吹奏楽部に入部を希望した際に受けたのだが、不合格となり吹奏楽部に入ることはできなかった。仕方なく合唱部に入り伴奏者として楽器に触れていたが、三年間ピアノの声を聴くことはなかった。
吹奏楽部初日の適性検査。音葉の番になり教室に入る。ずらっと並べられた楽器の数々は真ん中にあるメトロノームを囲うように置いてある。
「検査を始めます」
真ん中に置いてあるメトロノームがしゃべり、針がカチカチとリズムを刻んで動き出す。音葉は息を飲み込みメトロノームを見つめた。部屋に響き渡るメトロノームの音よりも速く音葉の心臓がバクバクと打っている。
「おれ、そいつがいいんだけど」
急に聞こえてきた声にメトロノームが止まり、部屋がシンと静まり返る。静寂が続いたのち、楽器たちがざわめく様に音を出し始める。たくさんの楽器の音が狭い部屋に響き、自分の声も聞こえそうにない。
な、何が起きているの? 突然よくわかんない声がするし、声がしたと思ったら一斉に楽器たちが音を出し始めるし……何よりうるさっ! 楽器の音うるさい!
耳をふさいで心の中で思いを叫んでいると、
「楽器達、静粛に!」
動いていた針が真ん中でカチッと止まり、メトロノームが騒いでいた楽器たちを黙らせる。またシンと静まった部屋にメトロノームが言葉を続ける。
「先ほどホルンは神崎音葉がいいとおっしゃりましたけど、彼女の適性楽器はサックスであってホルンではありません」
「ふーん。でもおれはそいつがいいんだけど」
ホルンはメトロノームの言ったことを無視して音葉がいいと言った。どうやらメトロノームの言葉にさほど興味がないようだ。
「彼女はサックスです。ホルンではないと言っているではないですか」
「おれとコンビ組むのがそいつじゃないならおれ音出さねえ」
ホルンの身勝手すぎる言動に音葉の中で嫌悪感が生まれてくる。
私はサックスなんでしょ? てゆーか音出さないってなんなの?
メトロノームがまたカチカチと動き始める。少しの間左右に揺れていた針がピタッと止まる。
「……神崎音葉の楽器はホルンです。適性検査を終了します。部屋の外に出て次の人に代わってください」
「え?」
メトロノームは先程とは違う発言をしている。サックスだと言っていたはずなのに最終的にホルンになっている。
「ちょっと待って! どうして私ホルンなの? サックスじゃないの?」
音葉はメトロノームに近寄ると両手でガシッと掴みガタガタと揺らした。揺れるメトロノームはカチ、カッチ、カチカチ、と不規則に音を鳴らしている。しかし音だけで一言も言葉を発しない。
「ちょっと聞いてるの? 何とか言いなさいよ!」
音葉はさらに激しくメトロノームを揺らしている。メトロノームの乗っている机までガタガタと一緒に音を立てる。
「あの……次が詰まってるんですけど……」
暴れる音葉の背後からおずおずとした声が聞こえた。振り向くと音葉の次に検査を受ける生徒が部屋の扉を少し開けて怯えながら顔をひょこっと出していた。




