第38話「シオンの追憶 後編」
そこは優しくゆっくり時間が過ぎていく世界だった。
人気もなく佇むのは、椅子に腰かけ静かに見つめる真紅の瞳。そして、光に包まれ魔法構成を組み上げていく青い瞳。艶のある黒髪と神々しく光り輝く銀色の髪を、窓の隙間から差し込む陽の光が彩っていた。
あと数時間かそれはわからない。だが確実に死の世界は音もなく忍び寄る。この平穏は闇の底へと堕ちていくはずだ。
しかし今ある静寂な世界を楽しむことは許されるだろう。シオンの胸にそんな想いが去来しているのかも知れない。彼女のリリーナを見つめる優しい表情がそれを物語っていた。
光が収まる。
魔法創造により生み出された魔法構成がリリーナの目の前から消失した。彼女は銀色の髪を揺らしゆっくりと振り向き、後ろでその光景を見守っているシオンへ声をかける。
「完成だ。最上位魔法・水晶の加護」
「あらゆる外的要因を排除し時を遡る魔法。これによりお前の言う死の世界を生き残る」
「だが不確定要素は多い。どれくらい時間を遡るのか。どの記憶を失うのかそれは不明だ。しかしこれだけは言える」
突如、リリーナは陽の光に彩られたその美しい顔で笑顔を形作る。純粋無垢なその表情が恐らく本来、彼女が持ちえるリリーナ・シルフィリアという人間の笑顔なのだろう。
混じり気のない可愛らしい表情でリリーナは言葉を紡ぐ。
「生き残れさえすれば道は開ける。例え世界が滅亡しようとも少なくとも生者はここにいる。そうだろ? シオン」
シオンは彼女の言葉に笑顔を見せた。
「その通りよ。リリーナ」
「だけど時間はそんなに多くない。今のうちにやるべきことがあるのなら早く済ますべきだわ」
「それについて、今すぐ行きたいところがある」
リリーナは笑顔を消し去り、シオンから視線を逸らす。そして窓の外に広がるケントニスの街並みに目を向けると口を開いた。
「……ティエンダだ」
リリーナ達は巨大化した小鳥の背に乗り、ティエンダに舞い降りた。
彼女は大きな街道から外れ入り組んだ街並みの隙間を抜けると、現れた大きな木造の建物へと目を向ける。二階建てのその建物は「盗品商」である。
認証バッジを掲げ薄暗い店内に入るとリリーナは、カウンターに佇む毛皮のハーフジャケットを羽織った男へ声をかける。
「これを店に置いてほしい」
彼女はそう口にすると懐から白い石を取り出した。
どこから見てもただの石である。丸みを帯びているのは道端に転がっている石と相違はあるが、店主にとって価値がある代物とは思えないことだろう。彼は首を横に振る。
「いくらなんでも石は買い取らないぜ」
「これでもか?」
リリーナは一枚のコインをカウンターに置いた。それは金色に光る金貨である。平民ではなかなかお目にかかれないその輝きは、男の視線を釘付けにしたようだった。
視線を逸らす事無く見据える店主にリリーナの口元がほころぶ。
「石を店に置いてくれたらこの金貨を払おう。なんなら二枚でもいいぞ?」
「本当か!?」
彼女の言葉に男は素早く顔をあげた。歓喜に満ち溢れているのだろう。彼の表情は目を見開きつつもその口元は震えほころんでいる。
「嘘は言わない。その代わり条件がある」
「もしかしたらこの後、私と同じ人物がこの店にくるかも知れない。その時この石を彼女に譲ってほしい。それが金貨二枚の条件だ」
男は即座に首を縦に振った。彼女の不可解な言葉に怪訝な表情さえ浮かべない。完全に金貨二枚に心を奪われている様子である。
店主はリリーナから金貨二枚を受け取ると、白い石を大事そうに両手で包み込み陳列棚へ並べた。ただの石を丁寧に扱うその光景が可笑しかったのか、シオンの含み笑いが細々と囁くように店内に響く。
盗品商を出ると前を歩くリリーナへシオンが語り掛けた。
「なんの意味があるのか教えてくれない?」
「過去の私への『置き土産』だよ」
「仮に死の世界の到来で私が記憶を無くした状態で過去へ戻った場合、盗品商に魔法道具を置いている後であれば再び入手することができる」
「自らで保管してもいいが保管場所を忘れる可能性もあるし、何より所持していた場合、喪失する可能性の方が高い。『敵』の手に渡れば最悪な状況にもなりかねない」
「恐らく死の世界になった場合、私は状況の把握を優先するだろう。死への帰還でな。そうなると王都への駄賃の確保に剥いだ物品を盗品商へ持ち込む可能性は高い」
「賢い私のことだ。石がただのそれとは思わないだろう。気が付く可能性は十分にある」
シオンがその言葉に納得したのか頷いた。
まだ死の世界へと変貌していないこの時間に石を安全な場所に確保することで再度、入手することができる。つまり「水晶の加護」を何度も行使することが可能になることを意味するのだ。
彼女は自らの身に起きる最悪の状況を考慮しているのだろう。水晶の加護さえあれば何度も生者を維持し時を遡ることができる。リリーナはそれに来るべき死の世界へ一条の光明を見出しているのかも知れない。
ティエンダの街並みを歩く彼女の口が再び言葉を紡いだ。
「そして、ここから重要な話だ。水晶の加護を行使する場所」
「それはここコンフィアンス領にある森林の遺跡。そこで行使する」
リリーナは後ろに付き従うかのように歩を進めるシオンへ振り向き、笑顔を見せる。
「シオン。お前と最初に出会ったあの森だよ」
コンフィアンス領の端に森林が広がっていた。
そこは旅人が歩く道から外れた位置にあり、深緑の狼が跋扈する為、ほぼ誰も立ち寄ることがない場所である。
木々の奥にそれは佇んでいた。
生い茂る葉の隙間から差し込む光の帯に照らされ、静かに佇むのは石で建造された遺跡である。白かったであろう外壁は黒く汚れ周りを覆う木々から伸びた蔓が至る所に這っている。
何のために造られたのかさえわからないその遺跡の奥にある玄室。ヒカリゴケによる淡い薄緑色の光が周囲を照らす中、リリーナとシオンは静かに腰を下ろしていた。
死世界への変換がいつ起こるか。正確な時間は二人にもわからないはずである。
だがリリーナは何か異質な気配を感じ取ったのか、ティエンダを出た後すぐさまこの遺跡へと赴くことを告げる。シオンにそれを断る理由などないだろう。何故なら彼女はそのためにここにいるのだから。
静寂が支配する空間の中、浮揚で僅かに体を浮かせ腰を下ろしているリリーナが、視線を移すことなくシオンへと語り掛けた。
「……一つ。聞いていいか?」
「何かしら?」
「何故、私を助けようとした?」
おそらくデジャヴを感じるであろうその言葉にシオンは鼻で笑う。
「未来のあなたにも言われたわそれ。ご想像にお任せするわ。銀の賢者」
微笑みながらそう口にするシオンの言葉にリリーナは、うずくまるかのように体を丸めた。
水晶の加護の効力を知っている今のリリーナならばわかるのだろう。何故、記憶を失うはずのシオンが石を託したであろうその記憶を持ち得ているのか。
「シオン。お前。石を託した私を喰ったんだな」
「死者となった私はお前に未来を託し、それを過去の私が受け取ったというわけか……」
「シオン」
顔を上げたリリーナの表情は真剣身を帯びたものだった。その青い瞳でシオンを見つめる。薄暗い空間の中、青と赤が交差した。
「もし私が記憶を失ったとしても私を導いてくれ。心が折れそうになっても。例え生者が私達だけになっても死の世界を生き抜けるように」
「そして……倒すべき相手を倒すために」
リリーナの目の前で戦友である彼女は、静かに頷いた。
その瞬間、重なり合う視線を引き裂くかのように地面を光の帯が走る。大地は静かだ。だが光だけが凄まじい速度で駆け抜けていく。
振動も音もない光に包まれた中、リリーナはゆっくりと立ち上がった。青いサファイアの瞳を見ることさえできないが確かに存在するであろう「闇」へ向け、鋭く光り輝かせる。
駆け抜ける太い光の帯に重なるように三重に展開する「三重・魔力増幅魔法陣」が浮かび上がる。彼女の瞳に魔法構成が刻まれ高速で流れていった。
「いくぞ。シオン」
「生を勝ち取る……その為に!」
眩い光が周辺を支配し視界が覆われていく中、リリーナの口が魔法名を奏でた。
「最上位防護魔法・水晶の加護<ハイエンドプロテクションマジック・クリスタルディバインプロテクション>!」
その言葉を最後に膨大な輝きを帯びた光の海は消え去る。
光と交錯し生み出されたものは深淵なる闇そのものだった。




