挿話・中:春子の螢石
「ごめんくださーい」
「……くださーい」
翌日、昼前。
昭一は母親から持たされたお見舞いの品を手に、春子の家の玄関を叩く。
後ろには“ホタル”もいる。髪色と目が目立つので、昭一は自分の麦わら帽子を目深にかぶらせた。
「はーい、ただ今」
ほどなくして、立派な作りの洋風扉が開かれた。顔を出した中年の女性は、春子の母親だ。
「あら、しょーちゃん。こんにちは」
「おばさん、こんにちは。これ、母ちゃんから」
昭一は持ってきたスイカと夏ミカンを春子の母親に渡す。
春子の母親はそれを笑顔で受け取りながら、
「ありがたいわ。あとでお礼に伺うから、お母さんによろしく言っておいてくれるかしら」
「うん、わかった。それでさ、おばさん。ちょっとだけ春子姉ちゃんのお見舞いしてもいい? こいつも一緒に」
昭一は後ろの“ホタル”を手で示す。
“ホタル”は「こんにちは」と、やや遠慮がちにあいさつをする。
「いいけれど、その子は?」
「おれの友だち。春子姉ちゃんとも仲いいんだってさ。こいつちょっと恥ずかしがり屋で……えーっと、勘弁してやってくれないかな」
苦笑いを浮かべて、昭一は“ホタル”を見やる。
昨日は昭一相手に全然臆さなかったくせに、意外と人見知りなところがあったのだ。
「あら、そうなの」
春子の母親は「ふふふ」と笑う。
気を悪くはしていないようだと、昭一は内心胸をなで下ろす。
「春子はまだ具合が良くないのだけど、少しなら大丈夫よ。上がってちょうだい」
「しょーちゃんたちに移るといけないから、少しだけね」
「わかってる。ありがとう、おばさん」
「……ありがと」
昭一と“ホタル”は、春子の部屋に通された。春子の母親は、部屋の扉を閉め、離れたようだ。足音が遠ざかっていく。
春子の部屋は、板張りの床に、家具など洋風で揃えられていた。
もの自体は少ないが、飴色の西洋風箪笥(横文字ではなんと言うのだろう? と昭一は首をひねる)の上に乗ったぬいぐるみなどが、さりげなく女の子らしさを演出している。
そんな部屋の一角に、ベッドがあった。
「ハルコ!」
“ホタル”は麦わら帽子を吹っ飛ばす勢いで、しかし静かに駆け寄る。ベッドの上に、昭一の知る春子は目を閉じて横たわっていた。
いつもはゆるく三つ編みにしている黒髪はほどかれて枕元に広がり、白い肌は熱のせいかやや赤味がある。閉じたまぶたを縁取る睫毛は黒く、長い。
額に濡れタオルを乗せた春子は、ゆっくりと目を開いた。
「ホタル……?」
“ホタル”が名乗ったものとも、昭一が呼ぶものとも調子が違う。
春子は“ホタル”ではなく「ホタル」と口にした。
「来てくれたのね……」
「あー、だめだって寝てねえと!」
春子が起き上がろうとしたのを見て、麦わら帽子を拾った昭一は慌てて走り寄る。
横になるよう促したつもりなのだが、春子はベッドの背もたれ(ヘッドボード、という名称はあとで知った)に背を預けて上半身を起こしてしまった(額から落ちたタオルは、昭一が拾って水桶に入れた)。
そして不思議そうに昭一と“ホタル”を見て、
「しょうちゃん……? どうしてホタルと」
「おれは元々母ちゃんにお見舞い持ってくように頼まれてて、こいつは、えーっと……」
昭一は答えあぐねる。春子と“ホタル”の関係がまだいまいちつかめておらず、何と言っていいのかわからないのだ。
「ショーチャン? とはね、昨日河原で会ったんだよ」
「おいおまえ変な呼び方すんなよ」
未知の単語のごとく発音されて、昭一は眉間に皺を寄せる。
“ホタル”はきょとんとした顔で、
「じゃあ何て呼べばいい? ぼく、ショーチャン? の名前知らないよ?」
「そういや言ってなかったか。おれは昭一だよ」
「ショーイチ? わかった!」
「……まあいいけどよ」
発音が若干おかしいことには目をつぶる。このあたりでやめておかないと、不毛なやりとりが際限なく続きかねない。
なんとなく、昭一はそう思った。
「ふふっ」
突然吹き出した春子に、昭一と“ホタル”は視線を向ける。
春子はそれに気づいて口元を押さえ、少し恥ずかしそうに目を泳がせた。
「ごめんなさい、ふたりがなんだかおもしろくて。ホタルが私以外の人と気安く話してるのも、見ていて楽しかったし」
そして照れくさそうに、また「ふふ」と笑う。
「なあ、おれもこいつの名前知らないんだけど」
「ぼくは“ホタル”だよ」
「おまえは横から入ってくんなよ」
「えー?」
「話が進まねえだろうがよ!」
昭一は半眼で、なかば睨むように“ホタル”を見る。話の腰を折られてばかりで、思うように会話が進まない。
そんなふたりを前に、春子は笑いを堪えきれないといった様子で、
「“ホタル”は種としての名前ね。この子自体の名前はホタル。まあ、“ホタル”はみんなホタルなんだけれど」
「……?」
「そういう“いきもの”だと思って、ね? 昨日会ったのなら、ホタルがどんな子か、しょうちゃんも見たんでしょう?」
疑問符が取れないままの昭一に、春子は苦笑を向ける。
昨日の夕方の出来事を思い出して、昭一はしぶしぶながら頷いた。
「ホタルは……この子は、私が卵から孵して育てたの。卵は、」
春子は、ベッドの枕元の横にある、面積が小さいテーブルに手を伸ばす。上には、蓋がガラス張りの、中が細かく区切られた小物入れがあった。
春子は蓋を開け、中から小さな石を、親指と人差し指でつまんで昭一に見せる。
それは八面体の、淡い碧色の透明な石だった。
「これよ、螢石。“ホタル”はみんなこれから生まれるの」
「生まれるときに粉々になっちゃうんだけどね」
“ホタル”改め、ホタルが補足する。
昭一はいっそう眉間の皺を深くし、首が真横になるのではないかというくらいに傾けた。
「そんな顔しないでよ。昨日見たでしょ? ぼくが光ってるとこ」
「あれがありなら、これもありだと思って。ね?」
春子の優しい苦笑に見つめられて、昭一はまた仕方なく頷く。
ホタルはもとより滅茶苦茶だが、春子が言うなら、その滅茶苦茶さも納得せざるをえない気がするのだ。
世の中、不思議はひとつではないのだろう。
「しょうちゃん。手を出して」
「え? うん……」
言われた通りに手を出すと、春子は、
「じゃあ、はい」
昭一の掌に、そのまま螢石をのせた。
「え、春子姉ちゃん何これ」
「それはしょうちゃんにお願いするわね。私はもう、無理そうだから」
「え?」
「ハルコ、ぼくを大人にしてくれるんじゃないの? あと少しだよ?」
春子は困ったように笑うだけだ。
ホタルを「大人にする」ことといい、昭一は春子に聞きたいことが色々とある。
さらなる質問をしようと、昭一が口を開けたとき、
「しょーちゃんたち、そろそろお昼だから、今日はここまでにしておかない?」
板をコンコンと叩く音とともに、カチャリと取っ手が回り、重量感のある扉が開けられる。
昭一が、片手に持っていた麦わら帽子をとっさにホタルの頭にかぶせたとき、春子の母親が部屋に入ってきた。手には、粥と薬袋の載った盆を持っている。
「春子が風邪でなかったら、お昼を一緒に、と言うところなのだけど……」
春子の母親は優しく笑う。
「いや、おれたちが長居しすぎちまったんだよ。春子姉ちゃんも、ごめんな」
昭一はひと言詫びて、春子に向き直る。
春子は母親に似た笑顔で、
「しょうちゃん、その子をお願いね」
言葉の意味を尋ねられぬまま、昭一とホタルは春子の家を辞した。
◇ ◆ ◇
事態が急変したのは、夕飯時だった。




