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2:ファースト・インプレッション

 七月も下旬に入り、ヒカルの夏休みが始まった。

 毎年恒例、田舎訪問だ。


 ヒカルの父親が重い荷物を車からおろし、祖父の家に運び入れている。

 ヒカルも夏休みの宿題が入ったバッグや着替えなどを持って、滞在する部屋に運びこんでいた。


「じゃあ、父さんはそろそろ母さんのところに行くからな」


 あらかた荷物を片付けたあと、父親はヒカルに声をかけた。ヒカルと同じ濃灰色の虹彩に、力仕事でやや疲れた光が見て取れる。

 ヒカルの父方には北欧系の血が流れているらしく、父親にもヒカルも、その特徴が出ているのだ。


 ヒカルの両親はこの夏、田舎に滞在しない。

 母親のお腹は今とても大きくて、いつヒカルの弟か妹が産まれてもおかしくないのだ。母親はもう入院していて、父親はいつでも病院に行ったり入院の手伝いができるよう、家に残ることになっている。


 普通ならばヒカルも一緒に残るところだろう。

 しかし父親は、ヒカルが心配になるほど家事が苦手だ。

 子供の面倒まで見るのは厳しいだろうからと、今回のことは母親とヒカルが提案した。

 だから、この夏はヒカルだけ祖父の家に世話になる。


「今回はひとりだけど、おじいちゃんたちの言うことをよく聞くんだぞ」

「いつもちゃんと聞いてるよ。それより、父さんもちゃんとしたご飯食べなよ。母さんいないからって、カップ麺ばっかじゃだめだからね」

「気をつける」


 まなじりをわずかに下げ、父親は苦笑した。


「それじゃあお義父とうさん、ヒカルをよろしくお願いします!」

「お、行くのか」


 父親が大きく声を出すと、奥から祖父が出てきた。今日は青いアロハシャツにハーフパンツという、だいぶラフな恰好だ。


「ヒカルはちゃんと預かるから、ミツアキくんもがんばれよ。カナのことは任せたからな」

「はい。父親として夫として、恥ずかしくないようにがんばります!」


 父親は背筋を伸ばし、祖父は口を三日月型に開いて笑った。


「じゃあな、ヒカル」

「うん。父さんがんばってね」


 ヒカルと祖父は表へ出て、たんだんと小さくなる父親の車を見送った。




 運び入れた荷物をあたらかた片付け、ヒカルは居間で祖父と休憩していた。

 風通しはいいが、冷房といえば扇風機しかないこの家では、作業したあとの冷たい麦茶は格別だ。

 カランと、表面の溶けた氷がすべって涼しげな音を立てる。


「今年は少ないね、あの子たち」


 ヒカルは何気なく口を開く。

 この家に遊びに来る、名前も知らない子供たち。ヒカルはまとめて「あの子たち」と呼んでいる。


「少子化だって言うしなあ。この辺でも子供は減った」


 祖父は硬いせんべいをかじる。全部自前だという自慢の歯で、ぼりぼりと軽快な音を立てて噛み砕いていく。


「そういえば、あの子は? ゴールデンウィークのときにいた女の子」


 「あの子たち」の例に漏れず、人見知りだった少女。

 見かけたのはゴールデンウィーク中片手で数えるほどだが、薄茶色の長い髪が印象に残っていた。


「あの子はもう来んよ」

「ふーん、そう」


 特に感慨もなく相槌を打つ。


 夏頃集まる「あの子たち」の中には、ある時からふつりと来なくなる子供がいる。

 理由を聞いたことはないが、そういうものなのだとヒカルは思っていた。

 夏というには少し早いゴールデンウィークに見た少女も、そうだったのだろう。


「そのかわり……というわけじゃないが、今はふたり遊びに来てる。おーい!」


 祖父は大きめの声で呼ばわった。しかし、返答はない。


「あー、外に行っちまったかな」


 ぽりぽりと、祖父はつるつるの頭を掻く。そしてヒカルを振り返り、


「ヒカル、ちょっと呼んできてくれんか。たぶん小川の方にいると思うんだ。女の子と男の子だ」

「僕が?」


 ヒカルは驚いて、思わず自分を指差した。

 今までも祖父の家に泊まりに来たことはあったし、滞在中に「あの子たち」が来ていたこともある。

 しかし、祖父がこんな風に直接ヒカルをかかわらせようとすることは、最近なかったことだ。

 そんなヒカルを気にした風もなく、


「じゃあ頼むわ。見ればすぐわかる子たちだ」


 祖父はにかっと笑ってせっついたのだった。



 ◇ ◆ ◇



 青々と葉を茂らせるアサガオの棚の横を抜け、見上げるほど背が高いヒマワリ畑の前を通り過ぎる。

 麦わら帽子と日焼け止めの上から、じりじりと肌を焼く陽射しにうんざりしながら、ヒカルは歩く。


 祖父の家からほど近い小川にはすぐ着いた。沢と言ってもいいような細い水のせせらぎとは別に、ぱちゃぱちゃと水音が聞こえてくる。


 いるのは別の子かもしれない。

 しかし、ヒカルの懸念は杞憂に終わる。


 川縁かわべりに生える丈の高い草を避けて近づくと、ひとりの少女がいた。


 肩下くらいまでの長さの黒髪に、日焼けしていない白い肌。細い身体に、肩紐が太いデザインの薄水色のワンピース。

 ちらりと見えた顔立ちは整っていて、ガラス玉のような目は、見る者にどこか人形じみた印象を与える。年はヒカルと同じくらいか。

 この子だ、とヒカルは直感した。


「あの――」


 ゆっくり近づきつつ声をかけようとすると、少女はしゃがみこんで、流れの中に手を入れた。

 探るように動かしたあと、水から手を引き抜く。濡れた指先には、親指の先ほどの巻貝をつまんでいる。


 あれは何といったか。

 ヒカルが頭の中に図鑑のページを呼び出していると、



 少女がためらいなく、巻貝を形のいい口の中に放り込んだ。



「わああああああっ!?」


 ヒカルは思わずかけ寄った。

 少女が、びくりと肩を跳ねさせてヒカルを見る。わずかに見開かれた少女の目は蒼く、日本人ではないのかなと一瞬思ったが、


「ちょ、それっ!」


 混乱した頭では、それだけ言うのが精いっぱいだった。

 少女は硬い表情で瞬きを繰り返し、


「殻は食べない」


 立ち上がってから、ぺっと自分の掌の上に何か吐き出した。

 いきなりの行動でさらにうろたえたヒカルに、ほんの少しだけ手を近づけ、砕けた殻の破片を見せる。


 巻貝がどうしてそうなったのか。

 殻以外がどうなってしまって、少女が何をどうしたか。


 そういう諸々を、ヒカルは想像しないよう必死で努力した。のだが。


「生で食べるものじゃ……そもそも食べるものじゃないよねっ!?」


 思わず口に出してしまい、激しく後悔した。

 少女はやや身を引きつつ、


「別に……“ホタル”ならふつう」

「ホタル、どうしたの」


 伸び放題の草をかき分けて、ヒカルより何歳か年下であろう少年が、少女の後ろから現れた。


 濃い茶色の髪に、ガラス玉のような目は深緑色。白いTシャツとカーキ色の短パンを着た体は、年相応に細い。

 こちらも幼いながら整った顔立ちで、祖父の言っていたふたりのうち、もうひとりだろうと知れた。


 そして少年がつまんでいる黒い巻貝に気付き、ヒカルは口許を引きつらせる。

 少年はそれを自分の口に運び、噛まずに――中身をちゅるりと吸い出した。殻はぽいとそのあたりに放られる。

 ヒカルは思わず、その場にくずおれた。


「ねえホタル、どうしたの?」

「私にもわからないの、ホタル。この男の子が急に大きな声を出した」


 尋ね人ふたりは、怪訝な色を乏しい表情に乗せてヒカルを見下ろしている。


 これが、ヒカルと“ホタルたち”の、最初のやり取りだった。

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