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AQWESS  作者:
「今」のためのこれから
26/37

 バスは中央高校の焼け跡をぐるりと迂回し、都市の各地を巡っていく。

 襲撃を受けた校舎は、公費による建て直しの計画が持ち上がっているとのことだった。老朽化も見せ始めていた建物であっただけに、修繕を行うよりは全面改修を行う方が有益だと判断されたという。数年がかりの計画だと理事長は息まき、保護者は学業への影響を心配したものの、当の生徒たちは新しい校舎での生活に難なく溶け込んでしまったらしい。

「こっちは元気だよ。イチカも無事でなにより。また一緒に買い食いもできちゃうもんね」

 中央広場に降り立って、ミサキは大きく伸びをする。変わりのない態度にイチカが息をついたのもつかの間。ミサキはぐるりと体を反転させ、にいと笑ってみせる。

「それに、イチカ。エイトくんとはちゃあんとうまくいったみたいで?」

「……あのね」

「ちょっと前なんか文句たらたらだったもん、心配にもなるよね。やーよかったよかった、安心した。美青年の彼氏を持つ友達なんて誇りだよ」

「もう、ミサキ!」

 叫びこそすれ、否定までは訴えられなかった。イチカは思わずエイトの表情を探る。彼はミサキとの距離感を掴みかねているようで、彼女の発言にも困ったように視線をあちこいへやるばかりだった。

(エイトを責めなかっただけよかった、って思うべきなのかしら)

 下層での逃亡劇の詳細を友人に伝えることはしていない。しかしエイトがイチカに同行しているという事実に相対すれば、彼女たちなりに察する部分があったのだろう。前夜にイチカが心配していたような殺伐とした状況は、結局訪れることのないままだった。

 問われれば説明を渋るつもりはない。けれども日常に非日常を持ち込むことはまだ恐ろしい。そんなイチカの怯えも、二人であれば笑い飛ばすのだろうが。

(それでも、いつもみたいに話していたいんだもの)

 帰る場所はまだそこにある、と信じていたいだけだった。それもこれも、皆イチカのわがままだ。放り置いてくれるふたりに、礼のひとつも言えないことだけが心残りだった。

 ミサキは広場の傍らで足を止める。さて、と区切りをつけた。

「やることがあるみたいだし、ふたりのお邪魔をしちゃ悪いし。早々に退散すべきなんだろうけどさ、ちょっと遊んでもらうぐらいは良いよね」

「遊ぶって、なにを」

「はいはい皆さんご注目。ここに取り出したるは一枚のコインです」

 ミサキが掌に置いた銀色の金属片は、偏りなく正円に形取られている。精巧に描かれた花にも幾何学的な均衡が取られていた。まじまじと見つめるイチカに、ミサキはいひひと笑う。

「知らない? 硬貨。ずっと昔の道具だもんね。あたしもじーちゃんの棚からこっそり持ってきたんだけどさ」

「写真では見たことあるけど、実物は初めてだわ。へえ……」

「自慢するために持ってきたんじゃないんだって。ほらイチカ、顔上げて。あっちあっち。広場の端っこ、クレープ売ってるでしょ」

 広場の北端には屋台の並ぶ一角がある。日替わりで品揃えを変える屋台のうちには、ミサキの言う通り、クレープを扱う店も軒を連ねている。記事の発する甘い香りが、広場の反対側にあたるイチカのもとまで届いていた。

「コイントス、って知ってる? コインをはじいて、表裏のどちらが出たかに賭けるの。あたし練習してきたんだよ」

「負けた人間に奢らせようっていうわけ?」

「あ、エイトくんは見ていていいよ。あたしとイチカの真剣勝負だからね」

「でも、お友達同士で積もる話もあるでしょうし、俺が」

「あなたは黙っていて。私が売られた喧嘩だもの、買わないわけにはいかないから」

 はあ、とエイトが口をつぐむ。ミサキが袖をまくりあげた。彼女にはじき上げれられたコインは日光をひらめかせ、めまぐるしく回転したのちに、ふたたび手の甲の上に戻ってくる。それを掌で抑え込んで、ミサキは重ねた両手を掲げてみせた。

「投げたのがあたしだから、イチカに選ばせてあげる」

「表」

「じゃああたしが裏ね。……言っておくけど、さっきの花が描かれているほうが裏だよ」

 コインを覆った掌が除けられる。先の花が姿を現すのを、イチカは険しい表情で出迎えた。

「はい、あたしの勝ち。行ってらっしゃい、イチカ。苺のやつがいいなあ」

「……わかったわよ、買ってくればいいんでしょう、買ってくれば。エイトは?」

「いや、俺は外野ですし、勝負にも関わっていませんし。なにも」

「何でもいいのね」

「え、イチカ」

 追いすがろうとするエイトを、うるさい、の一言で切って捨てる。イチカは肩を怒らせて、ずんずんと広場を横切っていった。




 聞き分けのいいふうを装っていても、イチカが根に持つ人間であることはよくよく心得ている。あとが怖いな、と彼女の背中を見送ってしばらく、エイトは満足げなミサキを一瞥した。

「さっきのコイン。確か、両面とも同じデザインでしたよね」

「え?」

「同じものを家で見たことがあります。貨幣経済末期のものだ」

 エイトの指摘を受けて、ミサキはコインを掌で裏返す。同じ花の模様が顔を出すのを見せると、悪びれもせずに笑った。

「ご名答。よくご存じで」

「下層ではまだ、そう珍しいものでもありませんから」

 エイトの両親が当然のごとく持ち歩いていたものだ。電子経済の行き渡った昨今、行く先々で迷惑気に顔をしかめられていたのを思い出す。

 ミサキはコインをポケットに差し入れる。悪いことしちゃったね、とイチカの背に目を向けた。

「エイトくんとお話がしてみたくて。きみみたいな美青年を相手にする機会なんてそうそうないもの」

「はあ」

「あ、自覚はあるんだ。そりゃそうか。……便利そうだよね、それ。女の子なんて選び放題でしょう?」

 そこに至り、エイトは表情を凍らせる。

 温度を下げた空気の中でようやく理解した。今朝がた顔を合わせてから、ミサキの瞳は一度として、エイトを映しては笑っていない。

(……友好的にとはいかないか。当然だけど)

 エイトは彼女らの友人を騙し、テロリストに引き渡した――学校を爆破することも厭わない過激派に。出会い頭に殴られることも覚悟の上だった。むしろ今の今まで、エイトの裏切りから目を背けられていたほうが不自然だったのだ。

 ミサキが答えを待っている。肺の空気をそっと吐き出して、エイトは慎重に言葉を選んだ。

「イチカ、だけですよ」

「うん、そうだね。今はイチカだけだよね」

 言葉尻に重ねるように、ミサキは言う。

「前に会ったときだってそのはずだった。あの子を探して、一日中町を駆け回ってくれた。それでもあんなことができたんだよね。純粋なあの子を引っかけるのは、とっても簡単なことだったでしょう」

 否定はしなかった。すべて事実だ。唇を結んだままのエイトに、ミサキは続ける。

「私たちは確かに子供だもの。都市がどんなに大変だって、どうにかする力なんか持っていないよ。でも、その解決のために、たまたまイチカが選ばれたのだとしても、イチカがなにかを我慢しなきゃいけないなら、それだけは絶対に許したくなかった。……きみはさあ、そんな私たちも、イチカも、丸ごと騙してあの子を連れて行ったんだよ」

「……はい」

「はいじゃないよ」

 その一言を境に、ミサキの笑みがかき消えた。

 眼下の海は波音を響かせる。どこか遠くに子供たちの歓声が上がっていた。上下層が巻き起こす対立の影も、都市を覆い尽くすには曖昧が過ぎるのだ。そこにあると知りながら、誰も、頭上から災禍が降りかかるとは考えていない。

 いくつもの身勝手を抱えて、都市があった。居場所を渡すまいとする願いが抗争を生んだ。けれどもそれを正当化することだけは許されなかった。

 落ちた沈黙を耐えて数秒、エイトはそっと口を開く。

「……イチカを、利用するつもりでいました。イチカを下層に連れ出して、彼女を欲しがる相手に売りつけて、俺が上層に上るだけのお金を手に入れようと思った」

 逃げ道を探し続けた身が、どれだけ誠実であれるものだろう。嘘とはったりでごまかし続けた唇が、真実の前には容易く震えそうになる。

「でも、気が付けば、連れ出されていたのは俺のほうでした」

「それは上層?」

「イチカのそばです」

 絶えず、水音が耳にこだまする。それまでの望み、執着、すべてを捨てる覚悟があったわけではなかった。後悔がなかったといえば嘘になる。それでも。

 ――呼吸を止めてしまうなら、

 臆病者を信じ抜いた少女の声が、自分に逃避を許さない。その不自由を責任と呼ぶなら、息苦しさは自由の証だ。

「恋をしました。彼女のそばにいられるなら、次の一瞬には、息が止まってしまっても構わないと思えるような」

 ミサキが顔を歪める。そうして大きく首を振った。

「やめてよ。きみがいなくなったらイチカが泣いちゃう」

「イチカの日常にはそれ以上の価値があります。俺に騙されたイチカが最初に心配したのは、お友達が無事かどうか、だったんだ」

 ミサキは視線を下ろし、小刻みに肩を震わせる。エイトが不穏な空気を感じ取ったとき、ぼとり、と彼女の足元に水滴が落ちた。

(えっ)

 ふたつ、みっつ、と増える水の跡。ず、と鼻をすすって、ミサキはなおも地面を睨みつけている。動揺したエイトの耳に届いたのは、高らかに響いたイチカの靴音だった。

「……ちょっと、なに泣かしてるのよ」

 クレープを右手にふたつ、左手にひとつ握って、イチカはエイトに非難の目を向ける。背に冷や汗を感じて、エイトは一歩を後ずさった。なだめようと両手を上げる。

「いや、これは」

「人の友達になにを言ったわけ……?」

「だからなにも、」

「イチカああ」

 母親を見つけた子供さながらに、ミサキがイチカに縋りつく。

 やられた、と思ったときには遅かった。イチカはすでに顔面から表情をそぎ落とし、失望を浮かべた両目でエイトを見据えている。

「……最っ低」

「誤解ですって!」

 説明してもらいましょうか、と詰め寄られれば、エイトに弁解のすべはない。

 その背後、イチカから受け取ったクレープを、ミサキはすでに口に含んでいる。ちらりとエイトを振り向いて、してやったりと歯を見せた。

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