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六、願いは月の下に揺れる

「……み、きみ!」

「…………え?」

 揺さぶられて、僕ははっとした。振り向くと、白い制服の看護師と黒服の男がいて、看護師の手が窓の外を眺めていた僕の肩に置かれていた。

 ぱしんっ……

 僕は、反射的にその手を振り払った。

 肩に触れていたその指の感覚が生々しく僕の意識に張りついて、気持ち悪かった。

 しかし、驚いたような顔で僕を見る二人にはっとし、僕は手を引っ込め、俯くように頭を下げた。

「ごめ、なさ……」

 思っていたより弱々しい声で、届いたかどうかは自信がない。

 そんな僕の様子に、黒服の男が口を開く。

「まあ、仕方ないわな。あんな現場に遭遇したんじゃ……」

 ……あんな現場? ──僕は思わず身を固くする。まさかこの人、日暮くんのことを知って言っているわけじゃないよな……

「おおっと、すまん。嫌なことを思い出させたか」

「……いえ」

 発した声には、思った以上に色がなかった。

「状況は、わかるか?」

「……全く」

 ゆるゆると首を横に振る。わかったのは、看護師がいるから、ここは病院だろうということくらいだ。

「……きみは、今朝、殺人事件のあった現場に来てしまった。通報を受けて調査を始めた我々が、まだ片付いていなかった被害者の遺体を……きみは見て、そのまま気を失ってしまったんだ」

 ああ、この人は警察の人だったんだ。言われてみれば、記憶の最後に見た顔かもしれない。

「繋がりました」

「それはよかった。……きみには、酷なものを見せたね。……永倉 七重さん。同級生だったんだろう? 友達……だったのかな。辛かったろうに……」

 一人、表情を翳らす刑事さんに、僕は何を言ったらいいかわからず、押し黙る。

 永倉 七重。殺されたあの子はそういう名前だったのか。

 まあ、どうでもいいや。

「こちらこそ、ご迷惑おかけしました。ところでここって……」

「中央病院だ。落ち着いたら、ご両親に連絡するといい」

 ……悪気はないんだろうけれど、この刑事さんの言葉はちくちく刺さるなぁ……少し困りながら、僕はこう答えた。

「両親は……いないんです」

 刑事さんがはっとする。悪かったね、そうとは知らず、などと返してくるのを半分に聞きつつ、僕は心の中で付け足した。


 あの子と同じで。




「この子を殺したのはね」


 黒い塊を見て、日暮くんは言った。


「多分、嫉妬なんだよ。普通の人が、羨ましかった。妬ましかった。嫉みなしには見られなかった。……だから俺は、人と関われなかった。嫉妬はいつしか憎悪にすり替わり、きっとその人を殺すから」


 理不尽な殺人。

 永倉さんは、普通に暮らしていた、幸せな女の子だったんだろうに、普通で幸せだったが故に、そんな理不尽な殺人の対象に選ばれてしまった。

 けれど、殺人鬼の彼の身の上を聞いた上で、彼の殺人動機を責めることができる人など、いるのだろうか。




 ◇◇◇




「俺はあの人たちを殺したときの感触が忘れられない」

 紅に塗れたナイフを見つめ、彼は言った。

「父さんはね、胸を一突き。予想していたより、簡単に息の根が止まっていて、びっくりした。母さんはね……やめて、と泣き叫ぶあの人の喉を切り裂いて、動かなくなってから、……………………お腹を、引き裂いた」

 息を飲む。ひゅっ、と喉から変な音がした。

 母親の、お腹を引き裂く。それが何を意味するか思い至り、背中を駆け巡るものがあった。──彼の母親は妊娠していたと、直前に言っていた。兄弟ができると思い、嬉しかったのだ、と。

 それが──

「……弟だったか、妹だったか、今じゃもうわからないけどね、……すごく欲しかったそれも、一緒に殺した。殺してしまった。俺の手に、迷いはなかった」

 石榴石の瞳に、光はなく、ただ闇色に落ちていく──

「紅い、茶色い中にあった、手のひら大の"何か"を……俺はぷちん、と潰した」


 それと同時に、同じ音を立てて、俺の中の何かも切れたんだろうな。


 彼は哀しげに言って、淡いピンクの中で笑った。

 握った七十余円の紅茶豆乳を飲みきり、いつものように畳む。僕はその光景を見るともなしに見ていた。……見ていることしかできなかった。

「この子を殺したのはね」

 ふと、彼は足元の黒い塊に視線を落として言った。

「多分、嫉妬なんだよ。普通の人が、羨ましかった。妬ましかった。嫉みなしには見られなかった。……だから俺は、人と関われなかった。嫉妬はいつしか憎悪にすり替わり、きっとその人を殺すから」

 嫉妬。

 幸せだったから。

 僕はなんとなく、心に浮かんだ一つの想像を口にした。

「僕の両親を殺したのも、それが理由?」

 僕は、両親が殺されるまで、普通の幸せを手にしていたから。

 しかし、返ってきたのは否定だった。

「違うよ。俺は君に」

 ふわり、とピンク色の花弁が舞う。




「俺は君に、殺してほしかったんだ」




「迷えていたら、よかったのにね──君と一緒なら」

 そう言った彼はやんわりと微笑む。その微笑みを凪ぐように、風が僕らの間を抜けていく。彼の少し長い黒髪がさわさわと揺れた。

 彼は続ける。

「一緒なら、こんな思いはせずに済んだのに」

 手にした紙パックをぺしゃりと畳む。"紅茶豆乳"と書かれたそのパックは僅かに残っていたピンク色の霧をこぼして、されるがままに、潰れた。


 ぽつん──

 ピンクの雫が落ちた先──茶色い地面には。

 夕陽よりも紅い色が広がっていた。




 僕は、どうしたらいいんだろう?

 彼の望みを叶えてあげる? ……それは、たった一人の親友の望みは、叶えたいに決まっている。

 けれどそれが、よりによって、どうして……"殺してほしい"なんだ……!




 月のない紅い夜は思った以上に明るくて、


 見えなくていい彼の表情はよく見えて


 見たい夢は、見させてくれない──





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