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四章 音の響く夜



 暮れなずむ街。俺達は家路に着いた。まだ誰も帰っていないらしく、借りた鍵で玄関を開けて中に入る。

「先に輸血しとくか」

 寝室へ行き、用意されていた四百ミリリットル輸血パックを点滴スタンドにセットする。消毒薬を染み込ませたガーゼで左腕の静脈の上を殺菌し、浮いた血管に針を入れた。

「………」

 輸血が正常に落ち始めたのを確認し、針の周囲をガーゼとテープでしっかり固定する。

「ふぅ……」

 緊張した。片手でやると結構難しい。

「終わったぞまーくん。あんまり動かさないようにな」

「………」

 黒水晶の瞳は相変わらず透明で何物も映していないが、何となくリラックスしている気がする。勿論俺の見間違いの可能性は高い。

「皆が戻って来るまで茶でも飲もうか」

 そう言って黒髪を撫でるだけで胸に安堵が広がっていく。


 ガラガラ……。


「結構喧しいなこのスタンド。そうだ」

 リビングへ戻り、壁付けの家庭用電話の受話器を取る。ピ、ポ、パッと。

『幽霊は見つかりましたか、旦那様?』

「バッチリな。今エルの家だ。しばらくこっちに泊まるかもしれない」

『分かりました。誠様はお元気ですか?エルシェンカ様から、そちらで療養されていると聞いておりますが』

 傍らの幽霊は親しい爺の声にも無反応だ。

「あ、ああ順調に回復してるよ。今寝てて電話に出られないけど」

『安心しました。いつお帰りになれそうですか?』

「まだ何とも言えないな。まーくんとオリオールも早く爺の顔見たいってさ」そう言えばあのガキどこ行った?エルもあいつの事は何も言わなかったな。

『私も早く御二人とお話したいです。……旦那様』

「何だ?」

 嘘を吐いたのがバレたか?ドキドキしながら返事を待つ。

『そちらを発つ前に一言御連絡下さい。お迎えのケーキを準備する都合がありますので』

 拍子抜けした。

「あ、ああ。必ず掛けるよ。ありがとう爺」


 カチャン。ピンポーン!


 玄関の方だ。誰かがインターホンを押したらしい。

「すぐ行くから待っててくれ!」

 くそっ!この点滴スタンド、予想外に扱い辛い。僅かな段差に引っ掛かり、持ち上げようとすると片手では目茶目茶重い。その間にもピンポンは鳴り続ける。

「悪い!今手が離せないんだ!鍵は開いてるから勝手に入って来てくれ!」

「ちょっと、大丈夫!?」聞き慣れた声。


 ガチャッ。


「アイザ?」

「わわ、どうしたの!?」

 大きなバッグを手に、慌てて彼女が駆け寄ってくる。

「キャスターが引っ掛かって、片手じゃ重くて外せないんだ」

「分かった、よいしょっと」

 ようやく平らな床に戻って来られた。

「ありがとう。ところで何でここに?」

「エルから四に連絡があって、皆が大変みたいだからアタシにも何かできないかと思って、取る物取って来た」

「許可書は?」

「これの事?」ポケットから弟が持っていたのと似た紙切れを取り出す。「四が改札で見せろってくれたけど……そう言えば今日はやけに街中静かだね。何かあったの?」

 思わず転びかけて足を踏ん張った。

「聞いていないのか?」

「うん。外、変な臭いしてるし、爆発事故でもあったの?」

「あれは死臭だ」スタンドを支えようとするとアイザが手を貸してくれた。「ありがと。取り合えず茶飲みながら話そう。“白の星”から来て疲れただろ」

「平気だよこれぐらい」

 廊下を歩きながら彼女は誠の顔をじっと見た。

「誠、元気?アタシだよ、分かる?」

「………」

「やっぱり意識無いんだね」

「偶に戻る時はあるようなんだ。気長に待つしかないな」

 キッチンは普段料理をしないとあって必要最低限の器具しか無かった。幸い食器は棚に貰い物の家族用セットが箱ごと突っ込んであり、取り合えず六人分は確保できた――とアイザはゴソゴソ漁りながら先に座らせた俺達に説明する。

「鍋やフライパンも使われた形跡無し。一体どんな食生活してるのあいつ」

「逆に使われてる物は?」

「うーんと……薬缶は使い込んでる、真っ黒」

 小さな食器棚と冷却魔術の掛かった箱、要するに冷蔵庫に挟まれて両開きの棚が鎮座している。扉が開かれるとムワッ、苦みのある香り。

「あいつ本気で家ではコーヒーしか飲まないんだね」

「紅茶は?」

「あっても多分コーヒーの味しかしないよ」

 見えているだけでも五十種類以上の瓶が並ぶ中、アイザは適当に何とかブレンドと書かれた物を掴んだ。フィルターに粉を入れて一旦こちらへ戻ってくる。

「ん、これ煙草?」テーブルの上に放置したアロマパイプの箱を摘み上げる。「と何でツボの本?」

「聞き込みの礼で買った。中身はニコチンじゃなくてアロマ。要るならやるぞ」

「アタシも結構、咽喉やられそうだもん。店の皆も吸わないし」

「そいつは殊勝な心掛けだ。金は掛かる飯は不味くなる、あんな物好きな奴の気が知れない」

「この本、店にあるよ。時々四が見ながら押してる」何故か少し不満気。「自分でしなくてもやってあげるのになぁ」

 薬缶が蒸気を噴き上げだした。彼女は表情を切り替えて「はいはい」コンロへ向かう。


 コポコポコポ……。


「誠はカフェ・オ・レの方がいい?ミルクは一応持って来たけど」感情の無い目を覗き込む。「うん、じゃあそうするね」

 バッグのジッパーを開け、五百ミリリットルの紙パック牛乳を取り出す。

「準備がいいな」

「他にも色々持って来たよ。お握りとか」

 黒と白が混じり合う。柔らかな茶色に二匙の砂糖が入り撹拌された。

「はい、誠どうぞ」ストローを半開きの唇にそっと持って行く。


 ちゅう。


「「わ………!!」」

 こんな事でここまで感動してしまうとは!思わず誠の頭上でハイタッチを交わす。

「凄い、歴史的瞬間だ……」自分でも言い過ぎだと思ったが、正に子供が初めて立った時の親の心境。


 ちゅう……ちゅう……。


「凄い凄い!」「どんどん飲んでる!!」興奮しながらコーヒーを手に一挙一動を見守る。


「ただいまぁ!」ガチャッ。


「アイザさんも来てたの?久し振りです」

 少女がペコリと頭を下げた。

「ああうん、さっきの船で着いた所。それより見てよリーズ、誠が、自分でカフェ・オ・レ飲んでるの!」

「わ、本当だ!!意識が戻ったの?」

「いや、それはまだなんだがな」口元が自然緩む。「専門家としては快方に向かってると思うか?」

「多分。良かった!きっとウィルさんが一日中傍にいたお陰ですね!」

 少女の褒め言葉にカッ、顔が熱くなる。

「まさか」

「近くの馴染んだ氣が回復に一役買っているんですよ。意識が戻るのももうすぐです恐らく」


「いつまで待たせるつもりだ」


 げっ!プルーブルーで会った第七対策の奴じゃないか!?何でここに?

「済みませんシャーゼさん。でも見ての通り今の誠君は何も喋れませんよ、ストローを咥えてなくても」

 リーズは俺達に小声で「ごめんなさい」と呟いた。

「誠君にどうしても訊きたい事があるらしくて……無理だって散々説明したんだけど、医務室から出てくるの待ち伏せされちゃって」

 奴はカフェ・オ・レを啜る誠を無言で観察した後、「父さんに何をした?」そう尋ねた。

「母さんはお前を死神だと言っているが、本当に亡者の魂を刈り取ったのか?」繋いでいない方の腕を取る。「こんな細腕で」

「………」

「お前は何者だ!?お前が、この事件の首謀者なのか!?答えろ!!」

「止めろ!」掴んだ手を力一杯引き剥がす。「まーくんは事件に無関係だ!捜査なら他を当たれ!」

「そうはいかない。ウィルベルグ、お前もあの光景を見ればこいつが関係していないはずがないと分かるはずだ」

「こんな状態で何も話せっこない!帰ってくれ!!」



 目の前が凄くぼんやりしている。

(……明るい……どこ?)

 口の中が不思議な苦さと甘さで一杯だ。美味しい、のかな?

 何だかふわふわする。身体だけでなく、中にいる心も浮き上がっている感じ。

 段々視界がクリアになってくる。口から伸びるストロー、ストローの刺さったカップが見えた。

 ようやく全身が時折振動を受けているのに気付いた。

(音……?誰かの、声?)

 おかしいな。自分の身体なのに凄く遠い……景色を見ているみたいで、全く動かせない。

「肉体が駄目ならまず氣を感じ取ってみたらどうだ?」

 あの人の声は意味まですっと綺麗に心に入った。

(氣を………あ、見える)

 周りに四つの異なる氣。一番近くのは私の身体の端と繋がっていた。とても温かくて優しい、身近な人の氣。寄り添うように集中すると、服を着る時のように身体に巧く入っていく感覚。


「………ぁ」


 五感が一気に回復した。振動が意味ある言葉になる。

「こちらも手ぶらで帰れるか!父さんにこいつが何かをしてから、母さんは余計におかしくなった!事のあらましを聞くまで引き下がれるか!」

「それは私達も一緒です!今までどこで何をしていたのか、あの服に飛び散った血は何だったのか、訊きたい事は一杯あります!でも仕方がないじゃないですか、こんな夢遊病状態じゃあ………え?」

「どうしたのリーズ?」

「あ、あ……ウィルさん……誠君が」

「え?」

 繋いだ右手が持ち上がる。私の顔を覗き込む四人。

(ええと……)

 段々と思い出した。隣にいるのが聖族のウィル、私の初めての友達。左右にいるのも友達のリーズとアイザ。最後の男の人はどこかで見た事あるような……。

「意識が戻ったのか?私は第七対策のシャーゼ・フィクス。お前とは一度プルーブルーで会ったな、解るか?」

 そうだ、喫茶店でコンシュさんを探していた人。こくん、首を縦に一度振る。

「理解はできているようだな。では私の父母の事は思い出せるか?」

「ふ……ぼ?」

「父親と母親の事だ。お前は深夜母の病室に入り、蘇った父の死体を再び停止させた。母はお前を死神だ、殺したとずっと言い続けている……一体何をしたのか答えてもらうぞ」

 ぱたっ。右手の甲に温かい物が落ちた。

「な……!?」シャーゼさんが目を丸くしている。「いきなり泣き出す奴があるか!?」

 首を右に捩る。カップの中身と同じ色の瞳からボロボロ雫が溢れている。

「ど、うしたの……どこか痛いの、ウィル……?」胸が締め付けられるように苦しい。

「いいや……良かった、やっと気が付いた……」ボロッ。「ずっとあのままだったら……良かった、本当に……」

 涙を袖で拭いて、その手で私の髪を撫でた。

「具合の悪い所は無いか?」

「うん……まだ少し身体と心が馴染んでない感じはするけど……大丈夫」

「?リーズ、そんな症状あるのか?」

「ずっと夢遊病状態だったから、覚醒しても離人感が少し残ってるのかも。多分しばらくすれば治ると思うよ誠君」リーズの唇が綻ぶ。「おかえり」

「おかえり誠。アタシ達皆心配してたんだよ?」満面の笑み。

「もうすぐエルとケルフも帰って来る。あいつ等にも元気な顔見せてやらないとな」少し照れながら手首のハンカチを解いた。縛っていた所が赤くなっている。どうして括っていたんだろう?「とにかく万々歳だ。後は事件を解決して」

「――感動の再会は済んだか?」

 シャーゼさんは不機嫌そうに眉を顰めている。

「ご、ごめんなさい!ええと……」頭の中を回転させて思い出す。「シャーゼさんのお父さんとお母さん、それに私が死神の話、ですよね?」

「あ、ああ……」あれ?どうしてポカンとしているんだろう?

「私、もしかして間違えました?だったらごめんなさい。あの、今度はちゃんと聞きますから」

「いや……合っている」不思議な事に彼は私から目線を逸らした。「小晶、お前はちゃんと聞けている。私が保証する」

「保証って大袈裟な」

「ちょっと待って下さい。今思い出します」

 ええと……前は宇宙船にいてエルと会って……その前は良い匂いの布団の中にいて……その前は。


―――♪♫、♬♩、♪♫♩、♬♩♪、♫――


「まーくん??その曲は?」

 無意識に口ずさんだらしい。

「ふわふわのお布団の前の所で聞こえたの」

 さらに遡ってみたけど、その前はプルーブルーのあの夜だった。間は無い。

「……ごめんなさい。シャーゼさんのお父さんとお母さんの事は……覚えてないみたいです。折角訊きに来てくれたのに、役に立てなくて済みません」

「――あの時お前に意識は無いように見えた。記憶していなくても無理はない……あ、謝る必要は無い。病み上がりに問い詰めて済まなかった」

 深々と頭を下げられて吃驚。

「何かさっきと態度違わないか二人共?」

「誠が予想外に素直過ぎてたじたじって感じだね」

「第七対策の仕事で一筋も二筋もいかない奴ばっか相手にしてる影響かもな」

「あはは。こんなシャーゼさんを見たらアムリさん吃驚して尻餅着いちゃうかも」

 アイザが立ち上がり、「エル秘蔵のコーヒーは如何だい二人共。ウィルと誠もお代りどう?」

「お願いします」

「ま、まあ一杯ぐらいなら付き合ってやっても構わん」

「頼むよ。まーくん今度はホットミルクにするか?」

「うん」

「じゃあ少し待ってな」

 ウィルはコンロの前に立ち、ミルクパンに紙パックの牛乳と砂糖を入れて火にかけた。

 二杯目のお茶会の支度が整う。

「美味しい」

 さっきのは苦かったけど、こっちはふんわりミルクの匂いが甘さと一緒に入って来てぽかぽかする。「今まで飲んだ中で一番好きかもしれない」

「なら良かった」

 リーズがカップを傾けながらシャーゼさんに「さっきの話はつまり、この街の異変がシャーゼさんのお父さんにも起きたって事ですよね?」と尋ねた。

「その件だけどさ、アタシにも簡単でいいから説明してくれない?」

「あ、そういやまだだった!悪い」

「構わないよ。誠も丁度目が覚めたし手間が省けて良い」

 お父さんの死体が蘇った、って話かな?

「シャーゼさんのお父さんも、私達と同じ不死族なの?」


「「「!!!?」」」


「え?何で皆そんな吃驚した顔してるの?」

 揃って口をパクパクさせている。

「――ウィルベルグ。どうやらこいつはまだ完全に治った訳ではないようだな」

「?」

「夢遊病の次は誇大妄想か。しかも不死とは、私を前にして随分な冗談だ」

「本当、ですよ?私とオリオールは“黒の星”から宇宙船に乗って旅をしていたんです」

 シャーゼさんは何故か人差し指を立てた。

「一つアドバイスしておいてやろう小晶。不死族は自分が不死族だとはまず言わん。まして第七対策委員の前では絶対にな」含み笑い。「正体がバレれば取り調べの上の強制送還だからな、分かったか?」

「………?」

「妄想が長引いているなら中々理解は難しいだろうな。まあ、私の前ぐらいなら戯言を吐いても構わん。だが他の人間がいる時は止めておけ、無駄に混乱させる」

「嘘を吐くのは良くないです」

「やれやれ、やはりそう簡単に治る物ではないか」頭を掻く。「なら私は病弱です、とでも紹介すればいい」

「私は貧血です、病気ではありません」金属の棒の上の点滴袋を指差す。

「……虚弱です、なら構わんだろう?」

 少し考えて頷く。「それなら嘘ではありません。分かりました。今度から初対面の人にはそう言います」

 でも不思議。死なない事以外他の六種と全然変わらないのに、どうして隠さないといけないんだろう?

 ウィルの方を見ると難しい表情。

「?どうしたの?」

「ああ……そいつは考えてなかった。軽率だったな。これからは俺達も気を付けるよ」

「えっ?」

 そんなに大事な事だったの?私、うっかり沢山の人に言い触らしたりしてないよね……?

 私が余程不安そうにしていたのか、彼は慌てて両手を振った。「大丈夫、真に受ける奴なんてそうそういない。お前もあんまり脅かさないでくれ」

「フン」

 シャーゼさんは反論せずコーヒーを啜る。

「蘇ったのは父だけではない。“泥崩の術”で今はシャバム中の死体が夜を迎えると動き出す。お陰で政府と警察はてんてこ舞いだ」ずず。「尤も、殆どは生者以下の無害な連中、お前達不死族とは比べ物にならん程低級な動くだけの亡者さ」

「じゃあ街中の臭いは……!」

 アイザは真っ青になってブルブル震え出した。

「腐臭程度はすぐに慣れる。問題は原因不明で、解決の見通しが全く立たない事だ」苛立たしげに舌打ち。「それにどうやら凶暴な奴も混じっているようだしな。これ以上そいつを野放しにして死人を増やす訳にはいかん」

「“死肉喰らい”……」

 私達と似ている、けれど壊れた心を持った、殺さなければ救えない者。彼が死んだ時の痛みは、まだ恐怖と一緒に覚えている……。

「この間“蒼の星”であったばかりなのに、“死肉喰らい”事件って頻発する物なんですか?」

「二つならギリギリ偶然と言い張れるかもしれん。だがそもそも禁忌の術で発生する物、少なくとも政府にはここ百年一度も記録されていない」

「“腐水”でさえエルが文献で辛うじて知っていたぐらいだからな。こっちのはどうなんだ?」

「状況はそう変わらない。この街で存在を知るのは古くから生きる奴ぐらいだ。かと言って、奴は首謀者ではない」

「どうしてだい?」

「“泥崩”の封を破った魔力は奴とは明らかに違う。政府全体の総意だ、現場検証の立ち会いは十人を超えていた、まず間違い無い」

 誰が、何のために秘密の封印を解いたのだろう……静かに土に還ろうとしていたのに、無理矢理起こされた人達が余りにも可哀相だ。


「ただいまー!」


 エルとケルフは真っ直ぐこちらに来た。

「誠!正気に戻ったのか!!」

「うん。もう大丈夫。ケルフも元気そうで良かった。あの時の傷は平気なの?」

「リーズに治してもらって全然平気だよ。持つべき者は優秀な妹だな」

「もうお兄ちゃんてば調子良いんだから!」ふふっ。

「あー腹減った!お、こんな所にお握りが」

「アタシが作ってきたんだよ、はい」

「ありがと」

 海苔の巻かれた三角ご飯をぱく。

「うんまい!この絶妙な塩加減ぎゃ最高」

「褒めるなら飲み込んでからにしろよ」ウィルが苦笑気味に諭す。

 元気なケルフとは対照的に、エルは掴んだ書類を見たまま険しい顔付き。

「事件の調査は進んだのか?」

「ああ、まぁ……ね」

 煮え切らない返答にシャーゼさんは眉を上げた。

「珍しいな。いつも自信家なお前が」

「僕にも困る事ぐらいあるよ。でも心配する必要は無い、事件とは無関係だ」

 エルは首をやれやれと振る。

「そんな顔をしないでよ誠。君は感受性も共感性も高いから、話したら僕以上に気にするに決まってる――それより見慣れない客人だね。シャーゼ、何か用かい?」

「小晶に父の事を訊きたかったのだが、生憎何も覚えていなかった。これを飲み終わったら政府館へ出勤する」

 何故かエルは首を捻る。

「ジョウンの?誠と面識なんて無いはずだけど」

 病院での出来事をシャーゼさんがかいつまんで話すと、「有り得ない」首を横に振った。

「どういう意味だ?」

「言葉通りだよ。ジョウン・フィクスは本人の希望で死後火葬され、現在我が家の庭に埋まっている。“泥崩”で蘇るはずがない」

「馬鹿な!父の遺骨を何故家族でもないお前が保管している!?」

「未成年のしかも母親がああなったばかりの君達に、あんな無残な遺体を送り付ける訳にはいかなかった。勿論、その内落ち着いたら返すつもりだったけど、中々タイミングがね。そっちもすっかり忘れてるみたいだったし」

 シャーゼさんは顔を赤くしたり蒼くしたりしている。

「信じられないなら今から掘り出して直接返すよ。丁度人手は沢山ある」

 光の魔力の球が浮かぶ中、私達は玄関から芝生の庭に出た。点滴のスタンドは外に出すと汚れるので外し、輸血パックはズボンのポケットに仕舞う。

「化けて出ないよな、お前の親。もし出て来たら率先して謝れよ、今まで忘れてたお前が元凶なんだからさ」スコップを持ったウィルの言葉に対し、シャーゼさんは「化けてくれた方が助かる」と言った。

「犯人の第七は未だ特定できていない。父の証言があれば罪を償わせ……母も正気に戻るかもしれん」

「第、七……?」

 私達の仲間がシャーゼさんのお父さんを?

「そんな……」

「私が第七対策委員になったのもそのためだ。尤も奴等にしてみれば父など単なる食糧に過ぎず、とっくに忘れている可能性は大だがな」

「……酷い」

「いいのか、お前にとっては同族だぞ?」

「でも、だけど――悪い事は悪い事です!幾ら生きていくためでも人の命を奪うなんて!!」

 林に声が木霊する。

「まーくん……」

「人を殺して生き永らえるくらいなら、永遠に飢えたまま地の底で眠っていた方がマシです!」

 シャーゼさんの目がかっ、と見開かれる。

「―――お前は、馬鹿なのだな。どうしようもなく……」強く噛んだ唇が白くなる。「重度の精神障害だ」

 自分のために人が犠牲になるなんて一度で充分だ。隣の彼を見て、苦しい程そう思う。

「これだ」

 地面に半分埋まった灰色の石板。数えて二十以上同じ物がある。


――我が友人ジョウン・フィクス、ここに眠る。


 エルの目の前に建てられたお墓は至って普通だ。他のにも遺体が起き上がった跡は無い。

「ここは火葬後の遺骨しかないよ。“泥崩”は骨だけだと効力を発揮しない」

 氣は静寂。死者達は安らかに眠っている。

「うん……ここの人達は平和みたい」

「?」

「誠は氣って言う、第六感って言うか、何て言ったらいいのか分かんねえけど、目に見えない精神的な波動を物を感じ取るんだよ。な、誠?」

「う、うん。多分ケルフの説明通りだと、思います」

 シャーゼさんは顎に手を当てて少し考え込んでいた。分かりにくかったのかな?と思ったら人差し指を伸ばした。

「……つまり小晶、この私邸墓地の死者は術による冒涜を免れているのだな?」

「はい」

「この下にいる父も……ならば、あの死者はどこの誰だ?」

「掘り返さないのか?」

「おい、小娘」

「えっ!私ですか?」リーズは吃驚してビクッ!とした。

「あの死体は政府館に運ばれたはずだ。解剖記録を探すぞ、付いて来い」

「は、はい!」

 彼は順番に私達を見て、最後に私に焦点を合わせた。

「小晶、私の代わりに父に祈っておいてくれ。その後は自宅待機、分かったな?」

「手を合わすぐらいしていきゃいいのに」ウィルが呟く。

「行くぞ」「皆何か分かったら連絡するね」

 私の返事を待たず、二人は林を走っていってしまった。

「人に親の墓参り任せるか普通」

 ジョウンさんのお墓の前で屈んで手を合わせる。ゆっくり深呼吸して死者達の淡く澄んだ氣と私の氣を触れ合わせる。穏やかな彼等は個々の魂を越え、空気のように大気や大地に存在していた。

 四人も合掌して黙祷を捧げているのが分かる。祈る皆を死者達は緩やかに温かく包み込んで歓迎した。

「……不思議な感じ。人のお墓なのに何だか……見守られているような気配がする」

「アイザがきちんと祈ってくれたから、ここの人達とっても喜んでるよ」

「死んでるのに喋るの?」

 小さな小さな囁きが皮膚を心地良く入ってくる。

「言葉にはならないけど感じ取れるの。エルにはいつもお墓を綺麗にしてくれてありがとう、って」

「一応家の庭なんだ、当然だよ。礼なら雇っているハウスキーパーに言えばいい」

 私は立ち上がって、お墓を順番に撫でながら巡る。生きている人と同じ、彼等も接触するスキンシップを好むようだ。

「そうしてるとまるで墓守だな」

「お墓を守っているのはエルだよ、ね?」

 彼は少し俯き「そんな大層な者じゃないよ。還る所の無い友人達と暮らしているだけさ……過ごした記憶と共に」

 それから私達を見てはにかんだ。

「どうやら君達は入れなくて済みそうでほっとしたよ」

「縁起でも無い事言うな」

「御免御免」

 ふっ、とエルの顔から何かが消えた気がした。


「先に僕が入るかもしれない」



―――♪♫、♬♩、♪♫♩、♬♩♪、♫――


「!?」

 突然あの曲がどこかから聞こえてきた。私達が喋っているのと同じぐらいの音量だ。

「何だ、近くで誰か弾いてるのか?」

「どうしたんだ義父さん?」

「ピアノだよ、聞こえるだろ?」

「えっ?アタシは何も聞こえないよ?」「俺も」「僕も」「私は聞こえてる」


―――♪♫、♬♩、♪♫♩、♬♩♪、♫――


―――♪♫、♬♩、♪♫♩、♬♩♪、♫――


 曲に合わせて口ずさんでみる。

「それだ。俺とまーくんしか聞こえないのか?」

「―――“もぐらさん”……詩野さん!彼女が危な―――!!」

 そこまで叫んでエルの身体が前に倒れる。慌てて私とケルフが支えた。

「おい、エル!?」

「……呼吸がやけに速い。脈は………かなり薄い、聞き取れないよ」

 額は肌寒い気温なのに汗が滲んでいる。そっと掌を当てて氣を探る。

「とても疲れる、氣もかなり弱い……横にして休ませないと」

「分かった。ケルフ、ベッドまで運ぶぞ。手伝え」

「了解」



 気絶した弟を義息と左右から肩を貸して運ぼうとした時だった。


「いやぁぁぁっっっっ!!!!」


 夜空を劈く悲鳴が響き渡る。

「まーくん、どうした!?」

「こっちは持つよ!早く行ってあげて!」

 弟の肩をアイザに預け、頭を抱えて蹲る誠に駆け寄った。


「嫌……やだ、止めて!……皆を無理矢理起こさないで……!!」


 半狂乱になりながら涙を止め処無く零し続ける。

「おい、まさか……」

 この様子は尋常ではない。

「まさか、死者が動き出したって事……?」

「マジかよ……」

 えづく背中を擦りながらどうにか立たせる。


「や……いやぁ!!お願い、その音を止めて!!!」


 目の焦点が合っていなかった。俺達が見えていないようだ。


「苦しいよぅ……怖いよ、痛い……どうして眠らせたまま……そっとしてしておいてくれないの……?私達は、何も悪くないのに……?」


 どうやら操られた連中の思念をもろに浴びてしまっているようだ。筆舌に尽くし難い程痛々しい姿に、抱き締める事しかできない自分が歯痒い。

「大丈夫だ、必ず俺達がお前等をまた安心して眠れるようにしてやる。だから騒がないでくれ、この身体の持ち主はとても弱いんだ」

 訴えようと変化は無い。いっそ全て祓って楽にできたらいいのに――!!

「わぁっ!!義父さん、アイザあそこ!!」

 林を抜けて何者かが近付いてくる。厭にゆっくり歩く度じゅる……じゅるっ……気味の悪い音がした。


「きゃぁ――っ!!」


 腐敗の進んだ成人男性らしき死体は、腹から暗褐色の臓物を地面に引き摺りながらこちらに向かって摺り足で歩いて来た。蕩けかけ濁った目玉に消えかけのエルの魔力の光が映る。

「くそっ!この墓地に入って来るな!!」

 数分前まで死者とそれを懐かしむ生者の楽園の均衡が、こいつの侵入によって容易く崩れてしまった。静かだった空気が心無しがざわめいている。


 バンッ!


 義息の撃った弾は一発で死体の頭部を粉砕した。肉片と脳漿が飛散してもろに墓石に掛かった。

 だがビクビク、と痙攣はしたが前進は止まない。助けを求めるように腕を伸ばして五メートル程まで接近した。

「弱点とか先にエルに訊いとけば良かった!」

「お前闇雲に撃っただけか!?」

「だって怖えよあんなの!!条件反射で銃を構えたくなるだろ!」

「その気持ちは凄くよく分かるけど、取り合えずどうすんの?」

 待てよ……そうだ、確か弟の話では。

「まーくん御免!」泣きっ放しの彼をぐいっ!と死体の方へ押し出す。


 ぐぁああぁぁっっっ!


 吹き飛ばされた傷口から黒い靄のような物が立ち昇り、真っ白な誠の左手に吸い込まれて消えた。死体はぐちゃっ!とその場に崩れ落ち、二度と動かなくなった。

「え、え?何今の?誠がしたの?」

「近付くと浄化できるらしい。夢遊病の時にできたからもしかしてと思ったんだが、成功みたいだな」

 本当に浄化、なんだろうか……?あの靄は不吉だ。身体に蓄積させて大丈夫なのか?

「そんな隠し玉があるなら最初から言ってくれよ!」

「お前が考え無しに撃つのが悪い。それ、後でお前が責任持って片付けろよ」

「分かってる……うう気持ち悪……」

 彼を再び支える。うわ言は一段落したようだが、無表情で「ぁ……あ……」赤子のような声を発し続けていた。

 アイザは目視で死体と誠の距離を測っていたのか「効果範囲は二メートル以内って所だね」と呟いた。そのまま背中のエルを担ぎ直す、ん?

「一人で重くないのか?」

「平気だよ、いつも店の商品運びで慣れてるし」

 ふっ。最後の魔力が尽きた。墓地が闇に包まれかけた時、丁度雲が晴れた。右半分の月が辺りを照らす。

「これなら明かりを借りなくても政府館まで歩いていけそうだな」

 医務室に行けば過労に効く栄養剤の一本や二本常備されているだろう。問題は……。

(ここまで重症な人間の対処法を、実習途中の学生が知っているかどうかだ)

「まーくん、政府館に着いたらリーズに診てもらおう。少しは声が治まるかもしれない」

 聞こえているのかいないのか、彼は首を一度小さく縦に振った。

「よし、ならさっさと移動しようぜ」

 銃を持ったケルフを先頭に俺達が続く。エルの家はさっき家主が戸締りして改めて鍵を掛ける必要は無い。

 街には酷い死臭が充満していた。目に見える範囲だけでも五つの遺体が徘徊し、内一つは政府員に倒され、頭に油を掛けられている所だ。シュボッ!魔力の炎が瞬く間に遺体を舐め尽し、焦げ臭さを振り撒く中でも他の奴等の動きは些かも止まらない。

「ぞっとするな……」

 仕事とは言えあんな残虐な行為をするしかない政府員や警察官達。術を使った奴はあいつ等の現在、そして未来に背負う苦痛をどうとも思っていないに違いない。

 肩を貸す彼は俯き耳を塞いで外界の刺激を防いでいる。それが唯一の幸いだ。こんな地獄絵図を見たら確実に狂ってしまう。

「う……おえっ……」

「大丈夫か?」

 ケルフに弟を預け、アイザは地面に蹲って、吐いた。辺りにコーヒーの臭いが漂う。

「ほらティッシュ」

「あ、りがと……ゴメンね、二人共」唇を真っ青にして彼女は謝る。

「気ぃ遣うな。俺達だって結構ムカムカしてる」

「はは……凄い臭いだもんね、無理ないよ」

 俺は首に提げたラベンダーの匂い袋を彼女に差し出す。えらく驚かれた。

「俺が親切だったら変か?」

「いや、まぁ……珍しいなと思って。でも、ありがとう。有り難く貰っておくよ」

 紐を首に掛け鼻の前に当てて思い切り匂いを嗅ぐ。

「取り合えず大丈夫。早く政府館へ急ごう。ケルフ、エルを返して」

「ああ」

 軽々と背負って何事も無かったように歩き出す。

「強いな、アイザは」事情を知らないまま単身来た事といい、女とは思えない行動力には目を瞠る物がある。

「?ウィルだって充分強いじゃん。誠のためにこんな所に来て頑張るなんてさ、心が強くないとできないよ?」

「……そっか」


―――♪♫、♬♩、♪♫♩、♬♩♪、♫――


(何だ、急に音が大きくなったぞ……?)

 数秒して異変が起こった。それまでてんでバラバラに歩いていた遺体達が、吸い寄せられるように一斉にこちらへ向かってきたのだ!

「ぎゃっ!!?な、何だよ!寄って来るな!!」

「曲が今いきなり大きくなった。もしかしてこの音が“泥崩”なんじゃないか?」

「多分そうだ。エルが正体は音波だって言ってた」

「それこそ早く言え!!」

 鳴り出した時に自分で気付くべきだった。誠が言ったじゃないか。音を止めて、と。

「皆、行くぞ!」

 奴等の速度は普通に歩く程度。早歩きなら余裕で引き離せた、が。

「おいおい……本気かよ」

 政府館の玄関前はこちらに顔を向けた死体達で一杯だ。意地でも通さないつもりか。

「仕方ない。二人共、まーくんから離れるなよ」

 浄化効果は絶大だった。圏内に入るや否や肉壁は俺達に触れる事さえ叶わないまま崩れ落ちる。

 泥と考えたくもない液体で汚れた取っ手を引き、玄関ドアを開けた。



「入ってったぞ、どうする“信仰者”殿?」

 政府館まで徒歩二分の寮。窓からライフルのスコープで玄関を覗いていた青年が問い掛けた。

「オリオール」

「は、はい!」

 ベッドの縁と足首を手錠で繋がれた子供に神父は目をやる。

「一度だけチャンスをあげます。小柄なあなたなら上階の窓からでも侵入できるでしょう?」

「樹登りは得意です……」

「目的は、言わなくても分かっていますね?」にっこり笑う。「失敗は赦されませんよ」

「けどあの中にはエル達がいるぜ?子供一人でできるのか」

「邪魔者は排除すればいいだけ、そうでしょうオリオール?」

「!!?神父様……それって……」

 少年は眦に雫を溜める。

「そこまでする必要が僕達にあるんですか……?あんまりです……兄様が可哀相……」

「あなたを一族に迎え入れたのは大きな過ちだったようです。子供らしく我々の言う事を素直に聞いていれば良かったのに」

 神父の靴が少年の胸部にめり込んだ。ボキボキボキ……ローラーのような丁寧さで全ての肋を折る。

「が……がはっ……!」

 たまらず内臓から競り上がった黒っぽい血を吐き出す少年。

「苦しいでしょう?普通の身体だったら痛みでショック死していますよ。けれどあなたは死ねない、死んで逃げる事は赦されない」

 肺に刺さった骨が空気を奪い、少年はゼイゼイと酸素を求める。

「止めろよ!こんな状態でまともに動ける訳が」

「彼には這ってでも行く義務があります。一族の秩序を回復する義務が、そうでしょう?」

「だからって子供相手に恐慌政治を敷いていいはずないだろ!?」

「あなたは優秀な諜報役ですが、情に甘い所があるようです。まだ若いので無理もありません」微笑み「罰を与えなくてよい事を祈りましょう」と呟いた。

「“信仰者”殿、外界でそういうの何て言うか知ってるか?イカレたクレイジー野郎だ」

「そうですか。俗世では変わった言い方をしますね」

 嫌味をさらりと流されて“狙撃者”の頬に冷や汗が伝った。

「お行きなさい。でないと今度は全ての骨が折れますよ」

 束縛を解き、神父は残酷にそう告げた。




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