草原の戦士として
ジェメ族の集落へ近づいていくと騎兵たちが槍を構えて飛び出してきて彼らを停止させた。知った顔がいくつかある。
「ウィアナの弟子、シェルイだ。族長様とお話がしたい」
「狼の子か! 待ってろ」
兵士の一人が族長メージェベスの天幕へ走り去っていった。残った兵士たちはシェルイを見て小声で話していた。
しばらくして兵士が戻ってきた。
「お会いになられるそうだ。来い」
シェルイらは彼に続いて族長の天幕に入った。その天幕は当然ではあるが他のテントよりもかなり大きかった。中には数個の部屋があり、メージェベスはその奥の部屋に鎮座していた。
「よく来たな。狼の子。一年ぶりか。お前の師はおらぬのか」
「死にました。俺とウィアナは海を目指して帝国領に入りましたが帝国軍の攻撃を受け、ウィアナは死にました」
メージェベスや彼の側近たちが驚く。小さい頃は知らなかったがウィアナはこの草原の民では知らない者はいないほどの高名な戦士だった。十四歳の頃から戦場に出て戦うたびに巨大な戦果を挙げて帰還する。大人たちは言うことを聞かない子供に悪い子の元にはウィアナが来るよといって脅しているほどだった。
「そうか。死んだか。それでお前は逃げ戻ってきたわけか。その牙は折れているか?」
族長はシェルイを見下ろす。シェルイは顔を上げた。その顔に迷いはなかった。憎悪と決意がせめぎ合っている。
「いいえ。俺は帝国を滅ぼして必ず海に辿り着きます」
「お前にそれができるのか?」
「そのために族長様に庇護を求めに来ました」
メージェベスはシェルイに次の言葉を促す。
「俺はこの草原で強くなる。帝国と戦い、撃ち滅ぼす戦力を手に入れます」
「たかだか一部族では太刀打ちできぬぞ。昨年、王が死んでその後釜を狙って各部族が争っておる。まだ戦いは表面化しておらぬが時間の問題だ。帝国に抗しうる力を得ることができるか?」
シェルイは亡命中に商人から遊牧民の連合王国国王ジェーベが病死したことを聞いた。ジェーベは後継者を定めずに死んだため各部族は政争を繰り広げている。
「俺は内戦で成り上がり、全ての部族を束ねて一つの国にします」
「大口を叩く。よろしい。お前を我が一族の末席に加えよう。お前が連れてきた者共も同様に扱う」
「ありがとうございます」
シェルイは天幕と馬、十頭の家畜を与えられ、戦士として働くことになった。脱走奴隷たちは長い亡命の旅を終え、やっと安堵した。シェルイだけではなくティン、ディアナも戦士の職に就いた。家のことは子供たちに任せることにした。幼いがシェルイよりはしっかりした子供たちだ。安心して預けられる。
戦士となった三人は厳しい訓練を受けた。幼少期から遊牧民族出身であるウィアナの教育を受けていたシェルイは簡単に馴染めたがティンとディアナはかなり苦労していた。二人は物覚えも良く、才能はあるが馬術を覚えたばかりなので一人前と認められるにはかなり時間がかかるだろう。
彼らがジェメ族の戦士として初陣を迎えたのは半月後のことだった。近隣の部族ハテルキ族が攻めてきたのである。その兵力は三千五百騎。ジェメ族の兵力は三千騎。まともに戦っては敗北は必至であった。
メージェベスは全軍に出撃を命じた。傘下の氏族から兵を集め、両軍は草原で対峙した。本拠地の守備に二百の兵力を割いたのでジェメ族は二千八百の兵で戦うことになった。シェルイらは本陣付きの戦士として従軍した。互いに陣を横に広く展開し、軽装騎兵が矢を射かけ合う。まだ様子見だ。これで陣形が崩れれば重装騎兵を突撃させる。崩れなければ敵陣の左右に回り込んで陣形を揺さぶる。それが騎馬民族の戦争だ。
「シェルイ、狼の子よ。お前はこの状況をどう見る?」
「何故俺に?」
「お前があのウィアナの後継者だからだ。あの女は戦士でもあり参謀でもあった」
ウィアナはシェルイを戦場に連れて行かなかった。シェルイが同行を望んでもジェメ族に置いて戦場へ赴いていた。
「…このまま戦えば負けます。敗れる原因は複数あり勝てる原因はありません」
シェルイは前方の敵味方を見る。
「練度は同程度。恐らく指揮官も同程度でしょう。となれば勝敗を分けるのは地形と兵力ですが地形は互角、兵力では五百ほど負けています。余程の奇策がなければ負けます」
「なるほどな。だが戦況の分析は多少の兵法を学べばできる。自軍に勝利をもたらすのが将の器であろう」
要するに勝つための方策を出せということである。
「危険ですけど一応策と呼べるものはあります」
シェルイは自らの考えを伝えた。
ジェメ軍は左右に陣形を伸ばし、敵の両翼に集中的に矢を浴びせた。ハテルキ族は両翼の守備を固めると同時に手薄になったジェメ軍中央を突破すべく重装騎兵を送り込んだ。ジェメ族中央本陣を守るのは二百騎ほどの軽装騎兵のみ。ハテルキ族の突撃を前に緊張を隠せないでいる。弓矢による攻撃もあまり効果がない。かといって逃げることもせずその場に布陣している。
「間もなく接触します!」
「今だ! 左右に避けよ!」
本陣を守っている騎兵たちが左右に分かれて逃げた。突進するハテルキ族が前方に見つけたものは馬防柵であった。全速力で前進していた彼らは停止できず、馬防柵に突っ込んで前列の兵に被害が出た。後列は停止したものの、左右からジェメ族の突撃を受けた。両側から圧迫され、密集したハテルキ族重装騎兵隊はジェメ族の領域射撃を受け、多くが倒れた。生き残った者は後方の退路からの脱出を試みたが狭い場所での反転は多くの混乱を招き、さらに多くの将兵が討ち取られた。
重装騎兵隊が降服の意を示し、メージェベスはそれを受諾した。そしてハテルキ軍本隊へ総攻撃を仕掛けた。シェルイは先頭に立って戦場を駆け、敵兵を何人も切り捨てた。
敗北を悟ったハテルキ族族長ルヌウは自害して果て、残余の兵は武器を捨てて投降した。この戦いでジェメ族は百二十三騎を失った。一方、敗者となったハテルキ軍は六百七十一騎が戦死した。
「か、勝った…」
ディアナは信じられないといった表情で呟いた。
シェルイは負傷したため天幕で治療を受けていた。そこにメージェベスが訪れ彼を労った。
「よくやった。お前の功績は我が部族の誰もが知ることになろう」
「俺が言うのも何ですがここまで綺麗に成功するとは思いませんでした」
シェルイは笑った。
「儂がお前の策を用いたのはかつてお前の師が似た策を講じ、我が部族を勝利させたからだ。やはりお前は奴の弟子だ。知略だけでなくその武勇もな。誇るが良い。驕ることなく精進せよ」
ジェメ族の集落に戻るとメージェベスの娘、シャルが出迎えた。月の出ない夜のような艶やかな黒髪と黒曜石に似た紫を帯びた黒い瞳。遊牧民にしてはかなり温和で気弱な性格の少女だ。歳はシェルイよりも二つ下だった。そもそもシェルイが自分の年齢を知らないのでおおよその年齢ではあるが。
「お父様、お帰りなさいませ」
「おお、シャル。今日も勝ったぞ。おお、そうだシェルイよ。お前は今、いくつだ?」
シェルイは自分に話が振られるとは思っていなかったし質問の意図が分からなかったので少し狼狽えながらも答えた。
「十五か十六だと思います。何分、物心つくころまで狼と過ごしていましたので詳しくはわかりません」
「なるほどではあと一年二年すれば結婚を考える歳であるな。どうだ、儂の娘を娶れ。柔弱な娘だが器量は悪くない」
「え」
シェルイは硬直した。確かにジェメ族の男子は十六歳から十八歳までに結婚するのが大多数だ。一方で女子は十四歳から十六歳までが結婚適齢期とされる。一年も経てば二人は結婚してもおかしくない年齢になる。
「お、お父様。私にそのような話は早うございます」
「何を言っている。ジェメ族の女子たるもの早く結婚して子を多く生んで一族を発展させるのだ」
シェルイは彼らから離れた。自分が家庭を持つ未来など想像したこともない。ウィアナと海の傍に小さな小屋を建てて二人で暮らしたいと思っていたが家庭とはまた別のものである気がする。
ハテルキ族はジェメ族に吸収され、その民や軍もそのままジェメ族が引き継いだ。メージェベスは各部族の統一を掲げ、他部族への侵略を開始した。




