決意
山道をしばらく進むと一隊の行商と出くわした。シェルイは仲間たちに戦いの準備をさせつつ、会話を試みた。正体を明かすわけにはいかないので偽ることになる。
「こちらはバナージャブ家若君トゥナン様御一行です! 東のムートゥージャ王国を目指しています!」
シェルイが叫ぶと一人の男が進み出た。濃い髭面の男だ。顔は日焼けしている。声を聞く限り三十代後半のようだが日焼けのせいか四十代に見える。
「我々はナルディン商会の行商だ。何かお困りのことはございませんか」
「食糧が足りません。あと熱病の薬も欲しいです。銀貨を持っていますので取引をお願いします」
すると男は荷馬車から食糧が入った袋を持ってきてシェルイに渡した。シェルイが銀貨を出そうとすると男は首を横に振った。
「いいんだ。子供から金をとるようなことはしない。食糧で困っているなら放っておけないさ。だからその銀貨はいつか必要な時まで取っておきなさい」
「え、でも…」
「いいから。何、恩に感じる必要はない。当たり前のことだから。もし恩だと思うのなら…困っている人がいたら助けてあげてほしい。助けた人がまた別の人を助ける。これほど誇らしいことはないからね」
シェルイは馬を降りて頭を下げた。
「ありがとうございます」
「見たところ…脱走してきた奴隷かな?」
「!」
シェルイらは体を硬直させた。シェルイ、ティン、ディアナは怪しまれないように屋敷から持ってきた主人とその妻の服を着ていた。子供たちやヘルにもディアナが立ち寄った村で買ってきた服を着せているし近くの泉で水浴びもしてきた。見た目は脱走奴隷には見えないはずだ。
「いやいや警戒しないでくれ。何も君たちを突き出そうというわけじゃない。僕らも元々は奴隷だったんだ」
「え?」
行商の随行員は五名。彼らは男の話を聞いて笑っていた。
「前まで農耕奴隷として酷使されてたんだけど主人が変わったんだ。その人はとても優しくて僕たちを解放してくれた。市民権と教育とお金までくれた。だから君たちを通報したりするつもりはないよ」
しかし簡単に信用するつもりはない。脱走奴隷の通報に報奨金などは出ないが役人からの覚えが良くなる可能性はある。信用が第一の商人であればそのためにシェルイらを売る可能性がある。
「あ、そうだ。名乗るのを忘れていたね。僕はグレゴリウス。東に逃げるのなら共に行こう。よろしくね」
男は手を差し出した。シェルイは悩んだが選択肢は多くない。変装が見破られた以上、彼らが通報しなくても関所などで見破られてしまうのは目に見えていた。であれば商人の丁稚として国境を越えるしかない。一か八か賭けてみるしかない。
「…よろしくお願いします」
シェルイは彼の手を握り、頭を下げた。
こうしてシェルイらは商人の使い走りとして国境を目指すことにした。商人たちが持ち合わせていた薬によってヘルの容態は回復していったが体力が落ちているため起き上がって動けるようになるまではかなりの時間を要する。シェルイはグレゴリウスから国際情勢や経済、商売について学んだ。勉学が得意な彼は知識をすぐに吸収していった。
「君は物覚えがいいね。貴族の出だったりするのかい?」
「それが…自分がどこで生まれたのかわからないんですよ。物心がついた頃から山で狼と暮らしてました」
「悪いことを聞いた。すまない」
「いえ。楽しかったので」
大変な毎日だったがとても充実した日々だった。家族がいたから。自分とは異なる生物であることは理解していたが気持ちは通いあっていた。
「それである女の人に拾われて勉強したんです。去年、魔女として殺されましたが。海を目指して旅をしていたんですけど騎士団に捕まってヴェーレトという町で処刑されました」
それを聞いて随行員の一人が声をあげた。
「おい、その女の髪って銀色か?」
「え、あ、はい。銀色です」
「そいつちょっとした有名人だぞ。百人を超える騎士と一人で戦ったって。生き残った騎士の一人が言ってたらしい。普通ならほら話だと思うがプライドの高い騎士様がそんな嘘を言うわけもないし早朝に街を出て行った騎士団が半分になって帰ってきたからすぐに唯の噂じゃねえことはわかった」
「ああ! ヴェーレトの魔女か!」
グレゴリウスは荷台に飛び乗り、荷物を漁った。その中から一振りの剣を取り出した。それはシェルイにとってとても見覚えのある剣だった。
「ウィアナの剣だ…」
シェルイは呟いた。グレゴリウスらは驚いたような顔をした。
「確かにこの剣の鞘にはウィアナと刻まれている。良い剣だが異教徒の剣だし名が刻んであるしで安売りされていたから買ったんだ。お守りとしてね。だがその剣は君の手にある方がいいらしい」
剣がシェルイの手に渡る。質素な造りの剣で装飾の類はほとんどない。幾何学的な装飾を好むヤルダバオート教圏ではあまり値段はつかないだろう。
少年の目から涙が零れた。彼は剣を抱きしめた。愛する人が遺した形見。それが何の因果か彼の手に渡ったのだ。
「ウィアナ…。ごめんウィアナ…。やっぱり…寒いよ」
少年は剣を抱えて蹲る。彼女が死んでから一年。泣かないと決めていた。泣けば視界が滲み、前が見えなくなる。彼は前に進まねばならなかった。それを理解していた。だから涙を流さないと決めていたのにその温かさを思い出してしまう。涙が流れてしまう。その温かさを思い出すたびに身を包む寒さが苦しい。
「君がいない世界は…寒くて寂しくて…あの日に戻れたら…。海なんて見れなくても一緒にいられれば良かった。それをあの時わかっていれば…今も君といられたのかな」
ディアナとティンがシェルイの肩に手を置く。シェルイは涙を拭った。まだ泣くわけにはいかない。守るべきものがまだ残っている。せめて東の国に逃れるまでは気を抜けない。ここは敵地の中。泣いていたせいで誰かを守れないということになれば死んだウィアナに叱られてしまう。
「ウィアナ、約束だ。俺は絶対、君を海に連れて行く。どれだけの血を流しても、いつか必ず辿り着く。それまで見守っててくれ」




