脱走
六人の奴隷たちは三頭引きの馬車と一頭の馬を乗り物として東への逃避行を開始した。本当は西に行って海を見たかったがその後がない。魔物が多くいる危険地帯を抜けなければならない。北も南も同じだ。東へ進み、非ヤルダバオート教国家へ逃げ延びるしかない。小さな子供たちだけでなくシェルイらも緊張していた。
「ねえシェルイ兄さん、私たち自由になれるの?」
「ああ。自由になれる。だから少し待ってな」
シェルイは子供たちの頭を撫でた。
「ティン、ディアナ。手筈通りに頼んだぞ」
「ああ。任せろ」
「シェルイ、気を付けてね」
彼は馬に跨り、仲間たちから離れ、南西に向かう。帰ってくる主人バルマスを始末するためだ。生かして帰せばシェルイらの叛乱と脱走がすぐに明るみになる。すぐに追手が差し向けられるだろう。彼を殺せば発覚はかなり遅れるだろう。シェルイは弓矢をもって街道脇の森の中で待ち伏せていた。程なくして馬に乗ったバルマスと従者のガイが街道をゆっくりと北上してきた。シェルイは森から飛び出して矢を放った。第一矢がバルマスのこめかみを貫いた。第の二矢は目を見開いて驚いているガイの首に突き刺さった。彼らの体は馬上から転げ落ちた。
「あっ…がっ…」
ガイは致命傷を負ったものの即死ではなかったらしく、咳き込んで血を吐きながら痙攣していた。それも僅かな時間のこと。一秒ごとに咳と痙攣は小さくなっていく。とどめを刺すべくシェルイは二人の元に駆け寄った。ガイはシェルイの手にある弓を見て全てを察したようだ。
「お前…どうして…俺は…」
「あんたに恨みはない。あんたは悪くない。自分の職務に忠実だっただけだ。この行いが罰せられるべきものならいつか必ず報いを受けよう」
シェルイはしゃがみ、自分を睨みつけるガイの頭を掴んで強引に捩じった。首の骨が折れて絶命する。ナイフで刺してもよかったが隠滅が面倒なので流れる血は少ない方が良い。
二人の屍は冷たい地面に転がっている。
バルマスは奴隷を虐待するような男だった。しかし従者のガイは残虐な人間ではなかった。殺したいとは思わなかった。けれど二人が共に進んでいる以上、彼を残せば通報される。そうなればこの脱出計画は破綻する。
馬と金目の物を奪い、水で地面の血を洗い流し、死体は森の中に埋める。それから馬を走らせ、先行していたティンらに追いついた。彼らは野盗に襲われている最中であった。シェルイは騎射で三人の野盗を撃ち抜き、残りを剣で斬り捨てた。逃げ出した者はティンの強弓から放たれた矢が射抜いた。
「すげえなその弓。どこで拾ったんだ?」
シェルイはティンの弓を褒めた。
「ははは。最初に倒した敵から奪ったんだ。いいだろこれ」
ティンは笑った。
「それでそっちは? って聞くまでもねえか」
「ああ。始末しといた。このまま東へ行こう。今、この国は南の反帝国連合との戦いで兵力も注意もそっちに向いてる。いざって時は力づくで行こう」
彼らは襲い来る野盗を撃破し、街を避けながら東へ進む。食糧は狩りや採集によって調達する。シェルイは仲間たちに馬術や戦闘術を教えた。また、読み書きも教えた。どのような道を歩むにしても知恵と力は不可欠だ。乱世ならば尚更だ。
彼らは山地で一人の山賊と出会した。その山賊は槍だけを持っている。銀の髪を長く伸ばした長身の女だった。
「お前たちは帝国人か?」
シェルイは頷いた。脱走奴隷などとは言えない。逃げられて通報されればとんでもないことになる。
「では死ね」
女は槍を構えて突進してきた。三人は矢を放つ。女は槍を振り回してそれを叩き落とすと跳び上がってシェルイに鋭い突きを繰り出した。シェルイは剣でそれを防ぐ。ティンとディアナも剣を抜いて三人で彼女を囲んだ。しかし力の差は歴然だった。三人は槍の一振りで弾き飛ばされた。それでも子供たちを守らねばならないと再び立ち上がる。女は馬車の中を見て様子がおかしいことに気がついた。
「お前たちは本当に帝国人か?」
シェルイの首元に槍を突きつけて女は言った。
「…」
シェルイは黙った。万が一正体を知られても始末すれば問題ないと思っていたが今目の前にいるこの女はシェルイらが太刀打ちできるような相手ではない。だが同時に困惑していた。彼女は帝国人を憎んでいるように見えた。攻撃を仕掛けてきたのも彼女の問いにシェルイが答えてからだ。
「…いや。脱走奴隷だ。主人の元を逃げ出してきた」
「…そうか」
女は槍を引いた。
「邪魔立てして悪かった。良ければ道案内をしよう」
馬車を降りて道を歩き出す。三人は顔を見合わせた。
「どうする? あいつヤバいくらい強いぞ。腕力もティンより強かった」
「でも悪い人じゃなさそう。私たちと同じような境遇じゃないのかな」
三人は話し合って彼女を信じることにした。もし彼女が攻撃してくるようなことがあれば馬に乗ったシェルイが攻撃を引きつけて馬車を逃がし、シェルイも頃合いを見て逃げ出す。彼らは名も知らぬ女に半信半疑でついていった。
「俺、シェルイっていうんだ。君は?」
「…忘れた。物心ついた頃から剣闘奴隷をしていた。何度も主人が代わり、その度に呼び名が変わった。だから名前という名前はない」
「へー。じゃあ俺たちで名前を考えよう。なんかいい案あるか?」
シェルイは仲間たちに尋ねた。ああでもないこうでもないと話し合いは続き、結局はディアナの曽祖母のヘルで決定した。
「じゃあヘル、よろしく!」
青年は笑って手を差し出した。
「…」
女は目を背けて返事をしなかった。ヘルという名前を気に入っているかどうかはわからない。そもそも名前という概念を理解できているかもわからない。
「どうやって逃げてきたんだ?」
「別の街に移送されている途中、土砂崩れに遭って私以外の全員が死んだ。それからずっとこの山にいる」
「じゃあ俺たちと東に行かない? 人数が多い方が楽しいぞ」
彼女は無視した。ティンが肩を竦める。信頼していないのはお互い様らしい。一行は山を抜けるために東へ進む。しかしその最中、ヘルが倒れて気を失った。顔色は悪く呼吸も乱れている。呼びかけても反応がない。シェルイは彼女を馬車に乗せた。
「あー。これヤバいな」
シェルイは言った。彼はウィアナから医術をある程度学んでいたから彼女が病にかかっていることはわかった。
「治るの?」
「治る…けど薬がいる。薬草があれば治るけど山地に生えてない」
かといって平地に出れば帝国軍に見つかってしまう。シェルイは水でふやかしたパンを彼女の口に詰め込んだ。病気との戦いは体力によって結果が左右される。何か打開策を見つけるまではどうにか体力で持ち堪えてもらうしかない。ヘルの体は軽く、飢えているのが容易にわかった。この山には食べられる植物は多く生えているし動物もいる。ヘルほどの技量があれば餓死はしないはずだ。
ヘルが目を覚ました。
「…いい。食わせないでくれ。私は死にたい」
「何で死にたい?」
「…生きていたところで何もない。ただ虚しいだけ。生まれてこなければよかった。だからもう終わりにしたい」
シェルイは彼女の口に硬いパンを突っ込んだ。
「シェルイ! 駄目だよそんなことしちゃ!」
ティンがシェルイの肩を掴んで止める。
「俺は…生きて叶えたい夢がある奴が死ぬのを見てきた。そんな奴何人も見てきた」
「そんなの私には関係ない」
「ある! もうたくさんだ。もう死ぬのを見たくない。死なせない。死にたいなら俺たちのいない所で死んでくれ」
洗濯用に溜めてある水で麻布を濡らし、彼女の体を拭う。体表を汚れや垢が覆っていると怪我や病気の治りが遅くなる。不衛生こそが病気の原因であり悪化の原因であるとウィアナが言っていた。
「生きるか死ぬか決めるのは私だ…」
「だったら死ぬまでの時間を俺にくれ。この世に生まれて、死にたいって思いながら死んでいくなんて寂しいじゃないか。生きたいって思える理由を一緒に探させてほしい」
根負けしたのはヘルだった。好きにするといいと言って口の中に突っ込まれたパンを咀嚼した。




