準備
ようやく草原の征服を終えたが問題は残っている。ウィルヘルミナ王国軍は北のネテア王国王都トーヴァーを中心に支配地域を広げている。地方領主であり兵権の所有者であった諸侯らは王都占領と同時に確保されており、兵を動かせる者がいなくなってしまったからだ。とはいえいつまでも戦争状態を継続するわけにもいかず、ネテア王国の処遇について決定して状況を落ち着かせなくてはならない。
まずシェルイはニコラウスや諸侯の処刑を命じた。条約の横紙破りは決して許さないという意思表示だ。第一王女マリアや第二王女フレムから助命嘆願が届いたためニコラウスを助命することにした。地下牢に繋ぎ、そこで一生を終えさせる。食事なども必要最低限度での待遇だ。フレム王女は不満を抱いていたがそれを表面化させることはなかった。クロトベキ族族長ハルトリルを正式な総督として派遣した。
次いでネテア王国が負っていた賠償金の支払い義務を免除したが穀倉地帯や牧草地、各種資源採掘場は占領した。
王女マリアを国王に即位させ、中央集権的な統治を行わせる。もちろんウィルヘルミナ王国の監視下である。第二王女フレムは駐在武官としてザーラで生活させることにした。これには人質としての意味がある。マリアとフレムの仲は良好と聞いている。間違っても裏切って攻めてくることはないだろう。
ネテア王国は名目上は独立した国家として存立しているが事実上ウィルヘルミナ王国の属国であった。
シェルイはトーヴァーに再び入城し、マリアとフィレムと初めて顔を合わせた。
「お初目にかかります。シェルイ王。先王ニコラウス二世が長子マリアと申します」
「同じく第二子フレムと申します」
二人の王女は同時に頭を下げた。
「父ニコラウスや諸侯を止められなかった責は王族たる私共にあります。ですので臣下や民にはご寛大な処置を賜りたく願います」
マリアが言った。
「俺たちが処罰すべきだと考えた奴らはもう罰した。これ以上誰かを罰するつもりはないよ」
これまでの事柄において処罰を下すべき者は一人残らず処罰した。反ウィルヘルミナ王国勢力を一掃した以上、人材を処罰してネテア王国の国力を削ぐ必要もない。イクリシュの提言通り東側世界の国々が一丸となって帝国の脅威に立ち向かわねばならないのだ。
「でも政治体制には口出しさせてもらう。同じことが起きても困るから」
ネテア王国において歴代の国王は諸侯の代表者に過ぎなかった。諸侯たちは名目上は王から領地を与えられた王の臣下であったが王権が国土全域に広がってはいなかった。納税や有事の際の出兵などといった義務を負っていたもののそれ以外の統治は諸侯に一任され、法もまちまちであった。ニコラウスのルクアラン家もそういった諸侯の一人であり、後継を残さず病没した先王の後釜を戦争や交渉によって手に入れたに過ぎないのだ。こういった理由でネテア王国においてこれまで国王の権勢は小さかった。
「はい。甘んじて受け入れます」
「できればネテアとは友好的な関係を築いていきたいと思ってる。ここまで滅茶苦茶にして言うのもなんだけど」
「それは我々が信義に欠く行いを二度も貴国に対して行ったからです。良い感情を抱いているとは言えませんが貴国の対処は間違っているとは申せません」
フレムは拳を握り締めてそう述べた。かつてのネテア王国の国力や兵力はウィルヘルミナ王国を大きく上回っていた。まともに戦えばネテア王国の勝利であった。それがたった一度の戦役で将兵を失い、金銭を吸い取られ、領土を奪われている。王族として良い感情は持っていなくて当然だ。
「マリア。君にはネテアの復興と強国化を頼むことにする。外交と対帝国の軍事政策以外は基本的に君に任せるつもりだし人材の登用にも口出しはしないつもりだからよろしく」
シェルイは彼女たちに加え、ウィルヘルミナ・ネテア両国の官僚と将軍を集めて会議を開いた。シェルイは帝国との戦いが始まるまでにネテア王国に復興してもらい、帝国との戦いに財貨や兵を出させるつもりである。会議に参加していた者たちは皆、彼の考えを理解していたし彼もそれを隠すこともなかった。
「王国の国力は実のところ中央政府も把握しておりません。国王の直轄地以外は諸侯の管理に任せており、中央の役人が立ち入れないため人口や農耕地の把握ができていません。相当の財産隠しが行われているものと思われます」
ネテア王国官僚ボルドー・ハディンが声をあげる。彼はかつて南部の地方役人だったが手堅い事務作業や部署経営の手腕を買われ、中央政府で働くことになったが先王ニコラウスに嫌われて僻地に左遷されていた。
「これを機に前時代の終焉を万民に知らしめるためにも諸侯をここで一掃し、中央の調査・支配の手を全土に伸ばすべきかと」
彼は三十代後半の痩せぎすの男で、髪は整えられているが普段からあまり手入れされていないように見える髪質だった。中央の会議に召集されたためやむなく髪を整えたのだろう。髭も剃っているようだが反りの腰が目立つ。
「人口はわからなくても有人集落の位置とか数は把握してるよな?」
ハディンは首を横に振った。
「いえ。王国北部は山岳地帯や森林が多く、その中の集落となると我々どころか領主である諸侯も知らないものもあるでしょう。自らがネテア国民であるという認識すらない者も一定数いると思われます」
シェルイは頭を抱えた。遊牧民には馴染みのない文化だが農耕民の国家は人口や農耕地によって税が決定される。最大限の税収を得ようとするならばその正確な数字を把握することは不可欠だ。今のネテア王国の税収は本当の国力に基づく数字ではない。しかし見方を変えるのであればネテア王国のポテンシャルは現在ネテア王国首脳部やウィルヘルミナ王国が把握しているものよりずっと高い。今より多くの税収や徴兵を期待できるかもしれないのだ。
「じゃあ中央から人を派遣して調査した方がいいな」
シェルイはマリアの方を見た。ネテア王国の内政においてシェルイは助言までしかしないと決めている。命令を下すかどうかは国王であるマリアにかかっている。彼女はその意図に気付いたようでハディンに対して命令を下した。
「ハディン卿、卿に王国全土の調査を命じます。予算は惜しみません。卿が指揮を執り、完成させなさい」
「お任せを」
ついで軍の再編に移った。ウィルヘルミナ王国との戦いでネテア王国は七人の将軍と八万の兵を失った。そこから軍の立て直しは困難を極める。
「そもそもネテアの兵が大して強くねえ。将軍もドルゴン将軍以外も大したことがない。教育も訓練も装備もダメダメ。よくこれで他の国に攻め込んだねって感じだ」
シェルイは頬杖を突いて
ネテア王国軍は数ばかり多く、兵の士気も練度も低い。装備も一揆に毛が生えたような劣悪なもの。将軍たちも能力はあるが別々の方向を見ているため軍としてのまとまりを欠き、総司令官がいなければすぐに瓦解してしまうような脆弱な組織だ。囮にはなるだろうが方面軍として起用するにはあまりに頼りない。
「まずは宮廷費を減らして軍事費に回すことになりましょう。加えて諸侯が蓄えていた財も用いれば建て直しはできるでしょう。これからは傭兵に頼らず国軍を増強していくべきと存じます」
ハディンの言葉に皆が頷いた。
予算の無駄を減らし、国の立て直しを狙う。強すぎず、弱すぎずの塩梅での回復をシェルイは望んでいた。ネテア王国には帝国軍からの攻撃を防ぐ軍を出してもらうと共に財布としての役割も期待していた。弱すぎても困るが強すぎても困るのだ。今回のような事件を起こされても困る。今回のような奇策は二度も通用しないであろうし、帝国との戦争も本格化するためネテア方面に軍を置く余裕もなくなる。
細かなことはマリアやハルトリル総督に委ね、シェルイは帰国した。思えばずっと戦っている。この一年でヤルダバオート神聖帝国、ネテア王国、東方諸国連合、南北の敵対的遊牧民。戦って勝って国は富んだ。列国もウィルヘルミナ王国の強さを知り、気軽に手を出してくることはなくなったはずだ。
それでも心安らぐことはなかった。多くの仲間を殺し、多くの味方を死なせた。復讐を誓ったあの日から常に走り続けてきた。本人は自覚していなかったが身体以上に精神が疲労し、摩耗していた。
「さーて寝るかー」
シェルイは自分の天幕の中で寝転がった。シャルが嫁入り時に持ってきた婚礼品の毛布にくるまる。
「お疲れのようですね」
天井を見つめるシェルイの視界に久々に見る顔が映った。一年前にシェルイの妻となったシャルだ。彼女は困ったように笑い、シェルイの顔を覗き込む。黒く艶やかな長髪がシェルイの顔に垂れる。
「なんだ、いたのか」
「ええ。私たちの家ですので。声を何度かおかけしましたが…」
「ごめん。気付かなかった」
二人はしばらく会うことができなかった。シェルイは戦争や政務で忙しくシャルのいる天幕にあまり帰っていなかった。シャルも王妃としてシェルイ不在時に家臣団を纏め、戦時には後方支援の監督をしていた。夫婦の時間というものをほとんどとれていなかった。
起きあがろうとするシェルイをシャルが抑える。
「無茶をしてはいけませんよ。適度に休まなければなりません。僭越ながら私がお側で見守ります」
「…ありがとう」
シェルイは小さく笑う。
「シャル、今更言うのもなんだけど申し訳なく思ってる」
「?」
シャルは首を傾げた。
「この結婚はメージェベスの親父が決めた話だ。君の意思に関係なく決められた。何というか何というべきか…ごめん」
シェルイは目を閉じる。彼女との婚姻は政略的目的でのことだ。シェルイは政治や戦争にかまけて彼女に夫らしいこともしてやれていない。後方支援を彼女に任せ、戦争に連れて行くことも多かった。
「そのようなことをお気になさっていたのですか? 私は貴方に嫁いだことに後悔はありません。シェルイ様の方こそ私でよかったのですか? 父が酒の場で強引に決めた婚姻と聞きました」
「俺には勿体ないお嫁さんだ」
シャルは嬉しそうにはにかむ。
「ごめん。あまり夫らしいことができなくて」
「いえ。シェルイ様はこれまで誰にもできなかった難業に挑もうとなされています。それをお支えするのは妻として幸せなことです。だから貴方はどこまでもお行きください。私がお支えします」
シャルはシェルイの頭を持ち上げて自分の膝に乗せた。柔らかい感触がシェルイの後頭部に当たる。
「たまにはこうやって同じ天幕で夜を過ごせれば何も言うことはありません」
「ははは」
大陸有数の大国の国王と王妃のゲルにしてはあまり大きくないゲルを小さな蝋燭が照らす。夜に眠りに落ちるまでの灯火としては丁度良い照明だ。若き王妃は母親から伝え聞いた子守唄を口ずさんだ。疲れ切ったシェルイが温かな眠りに落ちるまでさほど多くの時間を必要としなかった。




