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女傑の狂気

 シェルイは諸将に宣言した。

「時は来た! 軍を起こす!」

 ウィルヘルミナ王国軍は軍を二手に分けた。シェルイ率いる五千騎が北のネテアへ、メージェベス率いるイディア、ティン、ヴェレン、クトゥ、ドゥダイの軍四万五千騎が東へ向かう。

「シェルイ様、せめて私の隊だけでもお連れください。万が一があれば…」

 イディアがシェルイを止めた。シェルイの軍は単独で数万からなるネテア王国軍を止めなければならない。かなり危険な役である。

「大丈夫大丈夫。俺の軍は逃げ足なら王国一だ」

 イディアの肩を叩き、馬を走らせる。他の将軍たちはとっくに諦めて手を振って見送っている。彼らの王は死にたがりではないのだが誰よりも危険な役を自ら買って出る。戦士たちの王としての自分の役割をそういうものだと認識しているし、後方であれやこれや指示を出すよりも戦う方が向いていると思っているのだ。

 シェルイ軍は俊足を活かしてあっという間に国境を越え、王都に迫った。王都には既に諸侯たちが集まっているという。しかしその軍はまだ到着していない。王都の中には国王軍三万がいるのみである。それでも城壁に拠って戦われたら勝機はないし野戦になっても危うい。

「フィオラ。任せた」

 シェルイはフィオラの策を使うことを決めた。

「お任せを。必ずや勝利を」

 フィオラは人質となっていた要人たちや僅かな護衛と共に王都に戻っていった。これでウィルヘルミナ王国軍はネテア王国軍に対する盾を失ったのである。

 フィオラらはすぐに王城内へ通された。謁見の間では軍議が行われていた。彼らは悩んでいた。ウィルヘルミナ軍はたった五千騎で攻め込み、人質を返還したのだ。その意図を推察するのに手間取っていた。諸侯たちはそのまま攻撃することを訴えたが国軍総司令官ドルゴンが懸命に押しとどめていた。彼はウィルヘルミナ軍の恐ろしさと底知れなさを身を以て体験していた。

「無事だったか、フィオラ、我が姪よ」

「はい。シェルイ王は陛下に戦争賠償金について提案したいことがあるとのことで私を使者としてお戻しになりました」

 諸侯はざわめいた。フィオラはシェルイの文書をニコラウスに手渡した。ニコラウスはぞんざいな手つきで封を解き、文書に目を通した。やがてニコラウスの体が怒りに震え始めた。その顔は真っ赤に染まり、長く豊かに蓄えられた髭が揺れる。

 ニコラウスは手紙を宰相補佐のマートンに投げて読み上げるよう命じた。マートンも読み上げる途中で怒りに燃え始めた。そこには東方諸国と結んで約束を反故にしようとしたことを糾弾する挨拶から始まり、戦争賠償金の半額を支払わなくて良いと書いてあった。マートンは思わず文書を握り潰した。

「増長したか小僧! たった五千の兵で何ができる! 草原の羊飼いめ!」

 諸侯たちは決戦すべしとの声を張り上げた。無知無能の小僧を討ち果たし、逆に草原を奪い取ってやれと叫ぶ。だが国軍司令官ドルゴンは強硬に反対した。また、近衛兵の指揮権を預かるフレム王女も開戦に反対した。彼女は先の戦いで遠征に参加しながら捕虜になることなく国に帰ることができた唯一の将であった。

「シェルイ王は紛れもなく戦争の天才です。数に恃んで戦いを挑めば今度こそ我が国は滅びます!」

 王女は必死にそう主張したが彼女の声は諸侯群臣の好戦的な声にかき消されて誰の耳にも入らない。

 僅かにいた反戦派の者たちもウィルヘルミナ王国軍に勝てないこと、同盟関係を破って侵攻し、敗北した後に損害賠償金を支払うことに同意しておいてそれを反故にするようなことを行えば国際社会の信頼を失うであろうことを述べたが謁見の間の興奮を鎮めることはできなかった。フィオラは強く和平を主張したが聞き入れられなかった。



 城の南で待機していたシェルイ軍は北へ向かい王都へ攻撃しようとしていた。ディアナがシェルイを諫める。

「これ以上近づいたら危ないよ。想定よりかなり時間が経ってる。失敗か裏切りを考えないと…」

 シェルイは剣の柄を叩く。

「この作戦で一番危険なのはフィオラだ。俺たちは信じる。もう少し待ってくれ」

 覚悟は決めている。どんなに危険であっても信じると決めた。彼女を信用できる根拠はないがそもそも信じなければ始まらないのだ。



「陛下! お聞きください」

 フィオラは叫ぶ。

「…近衛兵、我が姪は疲れておる。寝所まで連れて行け」

 数名の近衛兵がフィオラたちに近付く。鎧の音が大きくなる。彼女は俯き、自らの力量不足と宮廷の物分かりの悪さを嘆いたが、同時にほくそ笑んでいた。きっと彼女自身はこの時を待っていたのだ。

フィオラは腕を掴まれた瞬間、兵士の腰の剣を抜き、剣の柄で兵士を殴り飛ばした。瞬間、彼女の従者たちが兵士に襲いかかり、武器を奪って気絶させた。

諸侯たちがざわめく。

「乱心召されたか!」

フレムは剣を抜いた。だがフィオラたちは彼女に目もくれず玉座に座るニコラウス、その傍に立つドルゴン、マートンに剣を突きつけた。ニコラウスは顔を引き攣らせて声にならない悲鳴をあげた。

「ニコラウス陛下、叔父上。今度は貴方が人質になるのです。ウィルヘルミナ王国軍の捕虜となるのですわ。ご覚悟はよろしくて?」

「き、貴様! 国を売ったか!」

 フィオラは笑った。

「後世に汚名を残すことになりますぞ!」

 諸侯の一人が叫ぶ。

 それを聞いて彼女は笑い声を謁見の間に響かせる。

「結構。よろしい。後世の名誉とやらのために今を捨てては本末転倒。私はあの国で今を懸命に生きて戦う人たちを見ました。私もこれからのために戦います」

 彼女はいまだ王都のすぐ近くに布陣する仲間たちを想う。彼らはいつだって本気で考えて、本気で戦って、本気で笑って、本気で怒る。無謀で向こう見ずな大偉業を成し遂げようとしている。その生き方に彼女の心の中の獣が咆哮をあげたのだ。

「考え直せ!」

 剣を突きつけられながらもニコラウスは喚いた。

「あの小僧にどんな魅力的な褒美を約束された? 宰相か? 側室か? 今剣を捨てれば宰相にしてやる。なんだったら次期国王にしてやってもいい! あのような貧しい蛮族の国で手に入るどのような栄誉より良い物をくれてやる!」

 ニコラウスはなぜ自分たちがウィルヘルミナに敗北したのか未だに理解できていなかった。ウィルヘルミナは軍内の意思を統一し、情報を集め、迅速に動いたからだ。いわば組織としての完成度の差。将の差ではない。それがわかっていないから変わろうとしない。他者を変えようとする。フィオラは心底呆れた。こんな俗物を王位に押し上げた自らの過去を恥じた。

 玉座の間に大勢の近衛兵が押し寄せる。

「国王…。とても甘美な響きです。ええ、確かにこの玉座を夢見たこともあります」

 艶やかで妖しい声でニコラウスに囁く。彼女の細く白い指が玉座の背もたれを滑る。

「だろう⁉︎ ならば共に城外の敵を討ち滅ぼそう! お前たちは囲まれている。斬り殺されるより、栄光ある道を歩もうではないか!」

 玉座の間にはすでに百人を超える近衛兵が入っている。剣に覚えのある諸侯らも武器を構えている。王や宰相補佐、国軍最高司令官が捕虜になっている以上、安易に攻撃することはないが隙を見せればすぐに襲いかかってくるだろう。

「遠慮しておきます。城の外には命懸けで私を信じて待つ人がいる。だから私はその信頼に応えます。即刻、城門を開きなさい! 城兵は武器を捨て、投降を!」

「そ、そんなことできるわけが…」

 フレムが顔を青くする。

「王の命が惜しくないのならそれもよろしい。一人でも多く道連れにし、ここで討ち死にする覚悟はできています」

「な、何が貴方をそこまで突き動かすのですか。これまで誠実に仕事をこなしていた貴方が…」

 フレムは会話で時間を稼ごうとする。彼女はフィオラを個人的に警戒していた。物腰柔らかく、優秀で、良く命令に従う能臣。だが稀に寒気を覚えるような狂気を瞳に走らせるのだ。それでも命令違反を犯すようなことはなく、特に何もすることはなかった。

「王たる者、大きな野望を持たねばなりません。同盟国の領土を掠め取るような小悪党の志ではなく、見果てぬ夢、燃え上がるような大望を! それなくして王は王足りえず。叔父上にはそれがなかった。たかだか一国の王冠を頭上に乗せ、つまらない戦争を起こすような者のために死んでいくなど耐え切れない」

 彼女の目には狂気があった。強大な理性の下に隠れ、滅多に顔を出すことはないがその狂気は彼女の理性の行使の方向性を決定していた。彼女は王族としての責務ではなく、他者には理解されぬ自身の狂気と哲学によってその才覚を発揮しているのだ。

「人類史開闢より数千年、幾千万、幾億の人間が生まれ死んでいきました。死が変えられぬ終着であるのなら、宿命であるのなら微睡みに生を擦り減らすより、身を焦がす夢を追って死にたい」

焼き焦がすような、突き刺すようなその狂気にフレムは怯んだ。まるで悪鬼のような獰猛で残忍な瞳。肉親ですら容易く裏切るその怪物をシェルイという男はどのようにして手懐けたのだろうか。

「では…シェルイ王にはそれがあるというのですか?」

「シェルイ様には大望がある。帝国を打倒し、最果ての海に至るその夢がある。帝国に阻まれ、その西の魔獣領域に阻まれて何人たりとも到達したことのないその地へ必ず辿り着く。私はその夢を支えたい。さあ城壁の解放を!」

 フィオラの剣がニコラウスの首に食い込み、赤い血を垂らした。これまで説得によって窮地を脱しようとしていた彼だったが恐怖と痛みに敗北を認め、フレムに命じた。

「か、開門だ! 開門しろ!」

 フレムは剣を捨て、兵士たちに武装解除を命じた。同時に門番に門を開かせた。門が開く様子を見ていたシェルイは兵士たちに突入を命じた。彼らは一気に城内に雪崩れ込み、瞬く間に王宮を占拠した。城壁を確保し、全兵士を拘束する。王侯貴族その悉くを捕縛し、地下室に幽閉する。

「はっはっは。上手くいくもんだな」

 シェルイはフィオラの出迎えを受けた。フィオラは恭しく一礼すると柔らかく微笑んだ。その笑みに狂気の翳りは見えなかった。

「お待ちしておりました」

「よくやってくれた。ありがとう」

 シェルイは彼女に手を差し出した。フィオラはその手を握った。

「勿体なきお言葉」

 彼女の頬に血が付いているのをシェルイは見つけた。手ぬぐいを取り出して拭き取ってやる。

「あっ…シェルイ様…」

「怪我はないか?」

「ええ。これは返り血で…私も部下たちも無事にございます。ご心配くださりありがとうございます」

 フィオラは頬を赤くした。シェルイはフィオラと彼女と共に王宮に乗り込んだ者たちに充分な褒美を約束した。

 こうしてウィルヘルミナ王国軍はネテア王国首都トーヴァーを無血で占領することに成功した。トーヴァーに向かう三万のネテア兵も王命で停止・帰還させた。

「これで片方は片付いた。残りは東」

 シェルイはニコラウスらネテアの王族や貴族らをウィルヘルミナに送り、フィオラをネテア王国領臨時総督に任命してトーヴァーを委ねて自らは二千五百の兵を率いて東へ向かった。


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